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空人は気ままに世界を歩む  作者: しんた
第十四章 空が落ちる日
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何も聞こえない

「……ゴミクスどもが。

 この俺と対等の交渉だと?

 どれだけ頭が腐ってやがるんだ」


 階段を下りながら悪態をつく姿を平然と見られるようになったのは、一体いつの頃からだろうか。

 思い出せないほど古いことだと思えてしまうが、それも唐突に終わるだろう。


 男の護衛を強制されてから変わり続ける仲間に、俺は何の感慨も湧かなかった。

 気がつけば20人以上は出入りをしてるが、護衛を去った者の詳細は知らない。

 いつの間にか解任され、そして二度と会うことはなかった。


 きっと彼らは責任を取り、自ら公国を去ったんだ。


 そう思うようになってから、どれほどの月日が経ったのだろうか。

 まるで永遠にも思える地獄のような日々の中、安らぎなど感じたことがない。


「クソどもめ。

 俺を相手にあのふてぶてしい態度、万死に値する。

 いや、生ぬるいな。

 ……いっそ狩る(・・)か……」


 何も聞こえない。

 何も入ってこない。


 やや後ろを歩く3人も同じだ。

 この男の言葉をまともに覚えていればどうなるのかを理解している。

 たった一言ぼやいただけで逆鱗に触れ、そのまま退職(・・)したやつを何人も知っているからな。


 聞かれたことにしか答えない。

 言葉は最小限に、何よりも不興を買わないように。


 ……それが、大切なものを護るために必要なことだ。


 しかし、さすがは"自由都市同盟"だ。

 その名に相応しい対応をしていた。


 それがどんな相手であれ、自由を貫く姿勢には驚きの一言だ。

 この国に生まれ育っていれば、俺たちの人生も激変していただろうな。



 気色悪く嘲笑う姿も、俺たちには見えない。

 ただ、家族の下へ無事に帰りたいと願うだけだ。


 足を進めていると、喧騒が耳に届く。

 この数年、心から笑ったことなど一度もない。

 羨ましい限りだと本心から思う。


「……ふん。

 ゴミ溜めには似合いの場所だな。

 漂う腐臭に吐き気がする」


 俺たちには何も聞こえない。

 ただ、機嫌を損ねないようにするだけだ。


 ……そういえば、空腹で音を鳴らした同僚がいた気がする。

 翌日には転属(・・)したやつで、もう顔も憶えていないが。


「……そこそこの女がいるな」


 何のためらいもなく、出口へ向かう足が方向を変えた。

 その直線状には5人の女性たちが席についていた。


 楽しげに語らう姿に家族を連想するが、格好から察すると冒険者のようだ。


 ……本当に自由な国だと、心から思う。

 あんな幼い少女たちが戦うための装いをしているのだから。


 横にいた同僚の口がわずかに開き、俺は睨みを利かせる。

 すぐに口を閉じたことに安堵しながら、軽く首を横に振った。


 "余計なことはするな"、と。


 同僚のためではない。

 下手に言葉などかけようものなら、こちらにも飛び火しかねない。

 俺はまだ転属(・・)するつもりはないんだ。


 任務を放り出して、逃げたやつもいたな。

 翌日、家族ごと公国を去ったと、人づてに聞かされた(・・・・・)


 ……そうだ。

 あの時、思ったんだ。

 俺は、"人ならざるもの"に仕えていると。


 獰猛な魔物が愛玩動物に思えた。

 トラの魔物だろうと、子猫にすら思えた。

 同時に離れることも逃げることもできなくなり、俺は虚ろな存在になった。


 時々分からなくなることがある。

 もしかしたらこれは悪い夢で。

 未だ醒めることのない悪夢の中で。


 地獄の只中をもがくこともできず、現実とは思えない恐ろしい場所を彷徨い続けているんじゃないだろうかと。


「俺の奴隷にしてやる。

 光栄に思え、雌ども」

「……何を言っているのだ、この男は」


 美しい人たちだ。

 ローブを纏い、大きめの杖を所持していることから魔術師なのだろう。

 まるで宝石を溶かしたような髪色に、思わず見とれてしまう。


 銀糸に薄い青色の女性と、銀糸に薄い桃色の女性か。

 どこかの国にいる美姫たちだと聞いても頷けるほどの美しさだ。


 喧騒の音が途切れ、女性たちの声が際立つ。

 だが何を言っているのか、俺には聞こえない。

 分かることがあるとすれば、とても強い苛立ちを持っているように見えた。


 白銀の髪の少女が立ち上がり、鋭い顔で言葉にした。

 その瞳には歴戦の勇士を思わせる色が宿ってるようにも感じられたが、それがどういった意味を持つのかまでは理解が及ばないのだな。


 ……どうか、その男を怒らせないでくれ。

 そんな言葉すら口に出せず、俺たちはただただ懇願するように見守る。


 幼い少女が立ち上がり、女性たちに何かを伝えている。

 その立ち位置から仲裁をしているのだろうか。


 とても美しい黒髪の子だ。

 東方には多いと聞いたが、公国では見かけない色だな。

 しかし、こんな幼い子も武装しているとは、思っていたよりも危険な国なのかもしれない。


「……クソガキ、あのゴミの血縁者だな……」


 血が逆流したような気配を感じた。

 全身から汗が噴き出し、震えが止まらない。


「……いいことを思いついた。

 こいつを"ウサギ"にしよう」


 心臓が飛び跳ねた。


 思い起こすのは魔術師の男とその娘。

 忘れたくても生涯忘れられない、おぞましい出来事が呼び覚まされる。


 馬上から幼い少女を射抜くなど、人間の所業ではない。

 悪魔と教会から呼ばれた存在が本当にいるとすれば、間違いなく眼前にいる男の顔をしているだろう。


 ……だが、俺には何もできない。

 何も聞こえないし、何も見えていない。


 美しく長い髪を真上に掴み上げ、幼い子が宙を浮いた。

 苦悶の表情を浮かべながら、それでも女性たちに何かを訴えているようだ。


 ただ一言、"約束"と耳に届いた気がする。


 いや、気のせいだろう。

 静まり返る館内なのだから、聞こえるはずもない。


 ……おぞましい家系だ。

 まるで凶悪な魔物が取り憑いているとしか思えないほどに。


 いや、本当に連中は魔物なんじゃないだろうか。

 人の皮をかぶった悪魔だと聞いても、俺たちは納得する。


 今も何かを訴えるように女性たちへ言葉にする少女。


 赦してほしいとは言わない。

 暴挙を静観する我々を心から恨んでくれていい。

 俺たちには、どうすることも、できない。



 時が止まったような静寂の中、涙目の少女に謝罪をした瞬間、空が落ちたような凄まじい衝撃が全身を鋭く貫いた。

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