どんな教育を受ければ
そうでもなければ、20代半ばそこそこで当主などと言葉にするわけがない。
同時に、ふんぞり返る男の瞳から放たれる色がまともではないことも明らかだ。
権力を振りかざすのが当たり前だと言わんばかりの上に、貴族以外は人ではないと断言するかのような選民主義。
こいつの父親がどんなやつかは想像に難くない。
だからこそ、その可能性が頭をよぎる。
若造が当主の指輪を持ち歩き、隣国ですらないこの国にいる理由なんて限られているはずだ。
十中八九、闇組織との繋がりを持とうとするだろう。
それには身分を明かすために指輪が必要、かつバウムガルテンにまで来たということは、まず間違いなく支部どころではない規模の拠点があると思えた。
可能性が高いのは暗黒街。
それも表面上は気づかれない地下じゃないだろうか。
どこかに隠し扉か、それに近い何かがあると俺はみているが、これだけ広い大都市を闇雲に捜し歩いたところで見つけられるわけもない。
結局は眼前の男か、暗殺者から自白させるほうが確実だな。
どちらも嘘をつく可能性はあるが、暗殺者に限って言えば最も有益な情報を手に入れられると俺は確信している。
トシュテンから奪った薬がまさか役に立つとは思わなかったが、この際だ。
たとえ薬品が非合法だろうと、最大限利用させてもらう。
問題は、ニスカヴァーラが病床に伏している場合だな。
たかだか風邪程度で当主の指輪を若造が持ち出すとは思えない以上、かなり思わしくない状態だと見るのが自然だ。
いや、こちらとしてはありがたいことこの上ないが、"だからこそ当主を任せられたのでは"とも思えてならない。
今も高圧的な態度をこちらに示している男が当主として継いだとすれば、それはそれで好機だと見るべきだ。
人をゴミ扱いする男なら、ほんの少し挑発するだけで暗殺者と接点を持つ。
ほいほいとやって来た悪党を捕縛して毒を封じ、情報を聞き出せばあとはギルドが片をつけてくれる。
護衛者はどうなるか分からないし、本音を言えば興味もないが、この部屋を出れば眼前の男とは二度と会うこともないだろう。
だがこれは、あくまでも可能性の話に過ぎない。
しかし冗談だと断言できないほど真実味を帯びた言葉に思えるし、この推察だと辻褄が合うようにも感じられた。
それに真実かどうかは、さほど問題ではないと判断されるかもしれない。
その可能性があるだけで中立派を動かす切欠にも十分なりうるからな。
恐らく黒い噂の絶えない危険人物を処理する"絶好の好機"と考えるはず。
それだけ多くの派閥が動く事態ともなれば、たとえ疑惑であろうと逮捕、拘束後にじっくりと調べ上げればいいだけだ。
叩いても埃が出ないなんて、そんなことあるわけがない。
まず間違いなく切欠を与えるだけでパルヴィアの大貴族の中立派も動く。
であればこちらも動きやすい。
この情報をヴィクトルさんへ伝えれば、一気に形勢が有利になるだろう。
書簡のみならず、情報を大貴族へ持ち寄れば大きな力になるはずだ。
しかし、これには問題もある。
こんな馬鹿が漏らした言葉ひとつで裁判の決定的な証拠にはならない。
だからこそ、暗殺者との繋がりをはっきりとさせる必要が出てきた。
逆に言えば男を怒らせ、俺に刺客を向けさせることで片がつく。
そのための準備は怠らなかったし、こんな男が当主を名乗れる程度の相手なら障害にもならないのは明白だ。
テレーゼさんに視線を向けるとわずかに首を横に振り、続けて縦に頷いた。
……予定通りに指輪を渡して男を泳がせる、か。
このまま怒らせるように挑発したほうが早いとは思うが、それがいいと判断したのなら俺も従うだけだ。
テーブルにことんと問題の物を置き、丁寧な口調を心がけながら言葉にした。
「デルプフェルト周辺で遭遇した盗賊が所持していた指輪です」
「……クズが」
俺の聞き間違いじゃなかったみたいだな。
まぁ、先ほどの悪態を考えれば、続く言葉も予想がつく。
「薄汚い手で指輪に触れるとは、余程踏み潰されたいと見える。
クズが触れていいものじゃないことすら理解できん害虫が」
手にしただけでイラつかれても、こちらとしては助かるだけだな。
どうせなら襲いかかってくれるなら、そのまま返り討ちにしてやれるんだが。
ヒールもあるからな。
適当に傷だけ回復させて、顔は腫れたまま放置してもいいな。
少しは大人しくなるかもしれない。
「それでは、拾得物への謝礼金をご提示ください」
謝礼金と言葉にしたリーゼルだが、本来は買取金となる。
わざわざ無償で大切なものを渡すくらいなら売り払うほうが楽だし、金になる。
親切心から無償で届ける物好きなんて、ほとんどいないらしいからな。
ある意味では正当な権利だと、この世界では思われている。
ここにも異世界ならではと感じることに触れているが、海外での拾得物がどういった扱いを受けるのかを俺が知らないだけで、この対応は至って常識的だったりするんだろうか。
視線を合わせずに貴族の動向を探る。
どうやら相当苛立っているようだ。
大きな舌打ちをした男は、怒気を含ませながら答えた。
「……まぁいい。
寛大な俺は、そんなゴミにも慈悲をくれてやらんこともない。
魔物を狩ることでしか小銭を稼げないクズどもは、日々腐ったパンを手に入れるのにも必死なのだろう。
俺からすればゴミ溜めに金を捨てるようなものだが、そんなにもさもしいのなら恵んでやる」
いちいち挑発しないと会話もできないのか、こいつは。
いったいどんな教育を受ければ、こんなやつに育つんだよ。
「拾え、ゴミクズ」
床に向かって放られたコインの音が部屋に小さく響いた。
瞬間、リーゼルの眉がぴくりと動き、ほんのわずかに苛立つ気配が感じられた。
さすがに商家の娘からすると、お金を大切にしない輩を快く思わないらしい。
その気持ちは十分に理解できるんだが、ここは抑えてもらわないと面倒になる。
それも彼女は察したのだろう。
すぐに穏やかな心を取り戻せたようだ。