暗号が必要
《ヴァイス殿の準備は問題なさそうで安心したよ。
すべては明日の交渉次第ではあるが、今日のところはゆっくり休んでほしい》
「はい。
お言葉に甘えさせていただきます」
随分と話が長くなってしまったが、あとは貴族との対峙から事が動くだろう。
どうなるかはまだ分からない。
どう転ぶのかも見えない現状で俺にできることはない、か。
あとは指輪を穏便に返し、ルーナとギルドに任せよう。
俺が行動するのはその後だ。
そのためにできる限りのことはしてきた。
子供たちもかなり強くなったし、俺自身もそれなりには形になった。
あとは気を抜かず、俺にできることをしよう。
《……こんな時でもなければ迷宮の話をずっと聞いていたいのだけれど……副官に睨まれてしまったから、諦めるとするよ……》
とても長く深いため息が水晶から漏れた。
いや、ある意味では副官のほうが苦労してそうだな。
彼の性格や普段の姿がなんとなく見えたような気がするのは、どこかデルプフェルト冒険者ギルドマスターのローベルトさんを連想したからなのかもしれないな。
《さて、あとはヴァイス殿の自由にしてくれてかまわないよ。
迷宮ではずっと修練続きみたいだから、町でゆっくりと羽を伸ばすといい》
「はい」
《今後はテレーゼを通してもらう形になるが、私でも何か力になれることがあれば遠慮なく言ってほしい。
できる限り協力すると、改めて伝えておくよ。
それではこれで失礼するね》
「お忙しい中、ありがとうございました」
《こちらも楽しめたよ、ありがとうヴァイス殿。
首都に来た際は是非私を訪ねてほしい。
今度はゆっくりと話を聞かせてもらいたい》
「機会があれば是非寄らせていただきます」
本来グランドマスターとは想像もつかないほど多忙なはずだ。
こんな時でもなければ長話すらできないものなのかもしれない。
そういった意味では、迷宮の話をしながら気分転換になってもらえたらいいと思うが、それは都合が良すぎる解釈だよな。
しばらくの間を挟み、テレーゼはお茶に口をつけてから言葉にした。
「ヴィクトル様は協力すると仰っていましたが、実際に力を貸すために動くとなればそれなりの日数がかかってしまうことも留意してください。
当ギルドも可能な限り尽力させていただきますが、それも限界がありますので。
場合によっては難しいこともあるかもしれません」
「それについても理解しているつもりです。
確実に暗殺者を捕らえるために準備をしてきました。
あとは指輪を返し、貴族が動くまで町で待機させていただきます」
覚悟を改めていると、なははと笑った彼女はどこか楽しそうに話した。
「もしもの場合はアタシが出向くっす。
使者を送ることもゼロじゃないんすけど、その場合はヴァイスっちの名前を伝える他にギルドの遣いだと分かるような暗号が必要っすね」
「それはあなたが使っている言葉でいいんじゃないかしら」
テレーゼさんの言葉に嫌な予感がした。
まさかと思いつつも、彼女から発せられた言葉に戸惑いを隠せなかった。
「いいんすか?
んじゃ暗号は、"クマちゃん恋人探しに町を徘徊中"ってことで!」
……新手の精神攻撃だろうか。
それともただの嫌がらせか。
「……俺の聞き間違いか?」
「大丈夫っすよ!
毎回色々変えてるんで、安全性は保障するっす!
あ、"凶悪にゃんこ大量発生中につき救援求む"のほうがいいっすか?」
「…………最初のでいい……」
「そっすか?」
平然と聞き返す彼女には至って日常のことのようだな。
これは今まで誰の忠告も受けなかったか、それとも誰も口をだせなかったのか。
もしかしたら、その両方って可能性もあるだろうか……。
というか、使者がむさいおっさんだったらどうするつもりなんだ?
そんなやつからそのわけ分からん言葉を俺は聞かなきゃならないのか?
……いや、考えるのはよそう。
ルーナはそういうやつだと思うだけでいい。
フィリーネさんの苦労が骨身に沁みるようだ。