空に手を伸ばしながらも
13年前の立春、ひとりの冒険者が町に運び込まれて来たそうだ。
魔物に手ひどくやられたその男性は治療も効果を見せず、この世を去った。
こんな世界だ。
よくある話と人は言うかもしれない。
でも、それでも司祭にとっては忘れがたい話として耳にしたそうだ。
「……フリートヘルムさんはこの町に運ばれて来た時にはもう、言葉すら満足に出せなかったと聞いています。
危篤な状態でありながら、それでも力を振り絞るかのように発した想いは、"彼女"と"指輪"という単語、そして謝罪の言葉だったそうです。
きっとあの方にはその大切な女性が見えていたのでしょうね。
空に手を伸ばしながらも"すまない"と、必死に声を出したのだと伺いました」
彼はランクSが目前とすら言われた凄腕の冒険者で、ソロ活動をしていた彼に口を出すような者はいなかったほどの強者だとギルドでは聞いた。
そんな彼がなぜ、という疑問は残るが、それでも冒険者である以上危険はつきものだし、ほんの些細な油断が命の危機に直面することもある世界だ。
考えるのも恐ろしいが、なんら不思議なことではないのかもしれない。
それでも切なく思えるのは、今もなお寂しいと思える場所で空を見上げながら孤独に待ち続ける女性を知っているからなんだろうな。
楽しげな様子に見えてどこか悲しい色を瞳に宿したあの女性は、13年もの間、彼の所在を知ることなく今を生き続けている。
もしかしたら俺たちが依頼を受けなければ、知ることはなかったかもしれない。
だからこそエルルは瞳に涙を溜めて、声を震わせながら言葉にした。
誰も望まないような悲しい話に聞こえてならないからだろう。
フラヴィも同じような気配を感じさせるが、それは俺にも言えることだな。
重々しい空気に包まれていると、司祭は大切に持っていた布を外して中を見せながら話を続けた。
「これは、フリートヘルムさんが大切に持っていた一対の指輪です。
そんなあの方のためにと努力をしても、町では女性の話を誰も聞いたことがないとだけは分かったのですが、それは同時に誰もあの方の大切な人を知らないということに繋がります。
10年もの間、微力ながら私なりに手を尽くしたつもりではありますが、結局想い人は見つからず、せめて指輪だけでもと、教会で大切に預からせていただいていたのです。
……どうか、この指輪をあの方の想いと共に、あの方が想う大切な方へお渡し願えませんでしょうか?」
まるで懇願するように言葉を紡ぐ司祭に、俺は答えた。
「むしろこちらからお願いします。
どうか、その大切な指輪を預からせてください」
自然と出た言葉に驚きはなかった。
そうしなければならないと俺には強く思えたからだ。
そんな俺に優しい表情に戻った司祭は、心からの感謝を言葉にした。




