これでいい
しかし、気になる記述も日記には書かれていた。
それに何も思わないわけではない。
俺自身、それをどう捉えていいのか分からずにいる。
ルートヴィヒ・ユーベルヴェーク。
彼は200年前、この世界に降り立った"空人"だ。
彼の手記によれば、この世界から出ることを目的として行動していなかったようにも思える。
それでも、俺が不安に思わない理由には繋がらない。
彼は元いた世界への帰還を諦めたのではないだろうか。
いや、彼にはこの世界、この国でやるべきことを見つけた。
それはルートヴィヒの生きがいと言っていいのかもしれない。
日本に帰れないと決まったわけじゃない。
それを確証するだけの記述も書かれてはいなかった。
彼自身、この世界で生きていくと自らが決めた可能性だってある。
……でも、もし本当に、帰還する術がないのだとしたら……。
俺はこの世界で生きていかなければならないのだろうか。
もう二度と、家族には会えないのだろうか……。
「……ぱーぱ?」
フラヴィの声で現実に引き戻された。
それはいま考えることじゃなかったな。
心配そうに見つめるフラヴィの頭を優しくなで、大丈夫だよと言葉にした。
日記を彼の手元に戻し、古びた地図も本の上に添える。
その様子を見たエルルは首を傾げながら訊ねた。
「いいの?」
「あぁ、これでいい。
こうすることで、この場所を探し当てるやつはいなくなる。
ここはルートヴィヒの墓でもあるんだから、静かに眠らせてあげたいだろ?」
微笑みながら答えると、エルルは目尻に涙をためながら笑顔で答えた。
「うん! そうだね!
きっとそれがいちばんいいとあたしも思うよ!」
とても嬉しそうな声が部屋に優しく響いた。
正解の地図が1枚でもなければこの場所は見つからない。
金銭的な価値のある物がないとしても、彼の亡骸と日記に価値を見出す馬鹿が出ないとも限らないんだ。
そんなこと俺たちは望んでいない。
彼の想いも、大切な宝物も、彼自身も。
そのすべてを守ることができる。
だからこれでいい。
こうすることがいちばんだと思えた。
その場を後にしようとすると、書物の下に何かが挟まっているのが見えた。
気になって確認してみると、古代語で書かれた一枚の紙を見つける。
覗き込んだエルルは半目になりながら言葉にした。
「……うわ、古代語で書かれてるの?」
「みたいだな」
「確か首都にある大図書館に入り浸らないと解読できないって、ローベルトのおじいちゃんは言ってたね」
「いや、問題ない。
俺の言語理解スキルがうまく発動してるみたいだ」
「こ、古代語も読めたんだ、トーヤ。
じゃあ謎解きをしてた時も、しっかり読めてたの?」
「まぁ、そうだな」
目を丸くするエルルだが、あの時は下手に口を出さない方がいいと思えた。
その理由を聞きたいのが丸分かりの表情をしてるが、聞いていいのか葛藤の真っ最中みたいだな。
「俺の言語理解スキルは古代語ですら読み書きできるが、それを努力して身につけた人の前で言葉にできないだろう?
だからあの場では黙ってることしかできなかったんだよ」
「……そっか……うん、そうだよね」
どこか誇らしげに俺を見つめるエルルに思うところはあるが、気持ちは伝わったみたいだな。
努力で手にした人の前で、努力してないやつが言葉にしてはいけない。
そんな失礼なこと、誰にも赦されるはずがないんだから。