どこを見ても
"夜風の箱庭"
この町にも何軒か宿屋はあるが、魔物と一緒に泊まれる場所は少ないそうだ。
本来であれば一般客のみを対象としていることを眼前の看板は示しているが、この店は魔物でも快く泊まらせてくれる店主が経営していると、ギルドマスターであるローベルトと憲兵の小隊長エトヴィンは教えてくれた。
とはいえ、ブランシェは未だ大型犬にしか思えない顔立ちだし、魔物として扱われない可能性も捨てきれないと俺は思うが。
魔物の入店を許可する狼の絵柄が書かれていないことは、逆に言えば魔物を入れるなという意味にも繋がりかねないが、この宿の店主は違うようだ。
外観は普通の宿だが、それだけでも俺にとってはヨーロッパを旅行している気分にさせられる。
特に町の中を歩いている時は、どうしても町並みや家の佇まいに視線が向く。
綺麗に舗装された石畳。
緩やかな曲線を描く坂道。
家と家の間から覗かせた青空。
行き交う人々の服装と髪や瞳の色。
ちょっとしたスペースに飾られた鉢植えに咲く花まで、どこを見ても見飽きることがない。
中世後期と思われる文明なのも、そう感じさせている理由のひとつなんだろう。
そんな気持ちにさせられながら小さな子供達を連れ、宿の前に立っていた。
「やっぱりいいな、ヨーロッパは」
「よーろっぱ? なにそれ?」
「いや、なんでもない」
さすがにエルル達にはわからない言葉だったな。
口元を若干緩ませつつ、俺は宿の扉を開けた。
淡いクリーム色の内壁に温かみを感じた。
綺麗に整えられた観葉植物が彩りを添える。
なんてことはない内装なのに、それがいいと思えてしまう自然な風景。
きっとヨーロッパを旅すればこんな気持ちになるんだろうな。
目の前にある受付の上に置かれた小さなベルを鳴らし、店主が来るのを待つ俺はそんなことを考えていた。
「綺麗な宿。
ここに泊まるんだよね?」
「あぁ。
ブランシェも泊まれるといいが、ダメなら町の外で一泊だな。
エルルは野宿でも大丈夫か?」
「うん、みんなと一緒なら平気。
それに外ならトーヤのご飯も食べられるんでしょ?」
「その件については店主に訊ねてみるつもりだ。
町の中なら食べ物屋がいっぱいあるんだが……」
「わふっわふわふっわふっ」
「ぶらんしぇ、ぱーぱのごはんがたべたいって」
「そういえばブランシェは食べた量が少なかったんだよな。
あとでお腹いっぱいご飯をあげるからな」
「わふぅぅ」
これでもかってくらい瞳が輝いてるな。
相当腹が減ってるだろうし、随分と待たせたから何か美味しいものを作るか。
「大変お待たせいたしました」
カウンターの奥から出てきたのは20代後半くらいの女性。
濃い茶色の髪を綺麗にまとめている大人の女性だった。
垂れ気味の瞳、左目の下にある泣きボクロが可愛らしく思えた。
「はじめましての方ですね。
ようこそ、"夜風の箱庭"へ。
私はこの宿の店主、カミラと申します。
お泊りは3名様でよろしいでしょうか?」
「いや、この子もお願いしたいんだが、宿泊は可能か?」
そう言葉にした俺はブランシェに視線を向けた。
「まぁまぁ! 可愛らしいわんちゃん!
もちろん宿泊は可能です!
むしろ大歓迎ですよ!
ご滞在は何泊になられますか!?」
テンションの高い店主は瞳を潤ませながら答えた。
これはよほどの犬好きなのだろうことは見て取れるが、若干しょんぼりしたブランシェを気遣うべきか悩んでしまう。
まぁ、悪く思われていないことはいいことだよな……たぶん。
「明日にはこの町を離れる予定なので、一泊だけお願いしたい」
「そう……ですか……」
どれだけ犬好きなんだろうか、この人は……。
がっくりと肩を落とす彼女に申し訳なさが込み上げてきた。