読みやすい
距離170メートルといったところで、男の姿を正確に感じ取った。
あれからも修練していたことが功を奏したのか、随分と気配を察する距離が増えたようにも思える。
日本にいた頃は150メートルでも十分すぎたが、今後はできる限り上げた方がいいだろうな。
足音を自然に立てながら男の方へ向かっていく。
林をずかずかと音を出しながら歩いているのにも理由がある。
あえてそうすることで相手に強い警戒心を与えないためだ。
これなら素人感を演出した上に、油断までさせられるかもしれない。
何よりも下手に気配を殺して近づき、それに気づかれた場合がかなり面倒だ。
警戒を強められただけじゃなく、頭のいいやつなら距離を取ろうとする。
身を潜めて確実な一撃を当ててくるか、そのまま煙のように消えるだろう。
それでは意味がない。
この男は以前の馬鹿盗賊とは違い、確実に捕縛する必要がある。
聞きたいこともあるし、情報も多く持っているかもしれない。
気配から見える男の姿は魔術師の格好をしている。
睡眠系の魔法を使ったとやつらから聞いていたが、周辺の魔物が弱いとはいえひとりで林を歩くようなやつだ。
腕に相当の自信がなければそんなことはできない。
今回初めて組んだ男だとあいつらは言っていた。
その言葉を信じるなら下っ端どもを使い捨てるようなやつだろうな、こういう気配を出しているタイプは。
さらには合流ポイントに真っ直ぐ進んでくることも訝しく感じるはずだ。
なら、その点も利用させてもらうか。
ダメなら一気にケリをつけて戻ればいい。
睡眠魔法を確実に当てるにはかなりの修練と、発動までしっかり魔力を練らなければならないと学んでいる。
それと思われる魔法を練りこんだ瞬間が最大の隙になるだろうな。
まぁ、そんな隙だらけになるものを発動させるような馬鹿だとも思えないが。
視界に男を捕らえるが、向こうはどうやらまだ気がついていないらしい。
これだけ音を出して、気配すらむき出しでいるのに気付かない程度なのか?
それともこちらを油断させる演技か?
10メートルほどまで近づくと、ようやくこちらを向いた。
男の目を見て、その不気味さの意味を俺も確信できた。
黒いローブを目深にかぶっているが、あれは"復讐者"の目だ。
すべてを投げ打ってでも目標の命を狙うような。
これでおおよそはこの男の目的も掴めた。
恐らくはあの場で命を絶っては意味がないんだ。
正確には、それじゃまだ足りないと思ってるんだろう。
そういった闇の深さを感じさせるおぞましい目をしている。
だからといって放置することもできないんだけどな。
まずは冷静に言葉をかけてみるか。
「あんたがトシュテンさんか?」
「……誰だ、お前は。
連中はどうした?」
「大きなクマと戦ってたな。
俺が合流した時には倒してたが、かなりの怪我を負っていた。
幸いポーションで少しは回復したんだが、歩けるには時間がかかるそうだ」
「……代わりにお前が来た、ということか?」
「そうだ」
その言葉がいかに訝しくても、それを訊ねることはない。
あんたには、そんな疑っている余裕すらないんだろう?
だから続く言葉も俺には読みやすい。
こいつを手にしようとするはずだ。
「……例の物はどこにある?」
「俺が預かってる。
分け前は連中からもらうさ」
「……好きにすればいい。
そいつをよこせ」
「わかった」
男にゆっくりと近づく。
やはり明確な目的があるんだろう。
こんな怪しい俺を信じるしか道がない。
1メートルまで近づいた俺は懐に右手を入れ、男が欲しがる物を差し出す。
手を伸ばしてきた男の腕を右手で払い、強烈な左拳を脇腹に叩き込んだ。