見下ろす視線
射光が入り込む明るい林を、少女はひた走る。
白いワンピースとサンダルで歩くには危険すぎる場所を。
焦りがはっきりとうかがえるその額からは雫が流れ、彼女を焦燥させる。
なんでこんなことに!
どうしてあたしが!
夢や幻ならいいが、背後に迫るそれらは現実であることを自覚させる。
一度だけ振り返る少女の瞳には、おぞましい笑みを浮かべた2匹の魔物。
いや、魔物であれば、これほどまで恐ろしい気持ちにはなっていない。
そう思えるほどの下卑た気配を幼いながらに強く感じ取っていた。
――町の近くまで逃げるしかない。
……町の近く、まで?
そこで少女の思考は途切れる。
町の近くにまで出れば、人通りもあるかもしれない。
門を護る人に助けてもらえるかもしれない。
だが少女の思考はそこで途切れていた。
……町は……どっち、なの?
少女はひどく混乱する。
こんなこと、普通は起こらない。
しかし、それどころではないことを理解する。
いや、何も理解できていないことを知った。
少女は取り乱す。
自分が何も憶えていないことに。
歪むような視界が広がり、呼吸は激しくなる。
明らかに疲労感とは別の何かが心を蝕むように襲いかかる。
――それでも、逃げなくちゃ!
……でも、どこに?
――どこだっていい!
……どっちに?
――せめて人のいる場所に!
……こんな林に誰かいるの?
まるでもうひとりの自分と話をしているような自問自答を続ける。
ポジティブな言葉を出せば、ネガティブな答えが返ってくる問いかけを。
それは希望を踏み潰されているような気持ちになる、辛い問答だった。
少女は思う。
そうだ、こんな場所に、人なんかいない。
誰も助けにはこれない。
誰も助けてはくれない。
自分で……あたしがなんとかしなくちゃ、ダメなんだ!
……でも、どうやって?
そんな力、あたしには……。
マホウ……?
そうだ、魔法だ。
魔法を使えば敵を倒せるかもしれない!
まだ使ったこともないけど、使わなきゃダメだ!
捕まれば、きっと殺されることよりもずっとひどい目に遭う!
怖い……怖い……。
震えが……止まらない……。
でも……勇気を。
少しだけでいい。
勇気を、あたしに!
振り向こうと強い決意を固めると同時に、少女は空を飛んでいた。
意思を込めた瞳が一気に驚きと焦りの色に変わる。
つまずいた。
そう思った時にはすでに地面へ倒れこんでいた。
かなりの衝撃が少女に襲いかかる。
全力で走りながら転んだのだから、痛くて当然だ。
だが、少女には痛みよりも恐怖が色濃く迫っていたことに意識が向かう。
真後ろで足音が止まる。
振り向くと、そこにはおぞましい顔をした魔物がふたり立っていた。
「……あ……あぁ…………」
「つーかまえた」
おぞましい音を発する魔物に、少女は震えが止まらない。
隣の魔物と何かを話しているようだが、恐怖心からよく聞き取れなかった。
心を冷静に保とうとするもうまくいかず、足に力も入らない少女は中途半端に声だけが聞こえる自分自身に情けなく思った。
抑えきれず、頬を伝う雫。
小刻みに揺れる唇。
恐怖に染まる瞳。
魔物どもは、そんな少女に話しかけた。
「やっと捕まえたよ、お嬢ちゃん」
「おーおー、せっかくの上玉が台無しだぜ」
「問題ねぇよ、さっさと縛って連れてこうぜ」
「だな。あとはあの人に会ぅだぎぇ――!」
「あ? なに言ってンぎゃッ――!」
ごろごろと真横に転がる男達。
何が起こったのかと少女が目を丸くしてると、さっきまで魔物がいた場所に誰かがいるようだ。
「……ったく。
本当にロクでもないな、この世界は……。
まだこんな馬鹿どもがこの辺りにいたのかよ……」
少女は思う。
それは、颯爽と淑女の危機を救う白銀の騎士……などでは断じてないと。
自分を見下ろす視線がぎらつく、漆黒の衣に身を纏った黒い髪の魔王だと。
あー……。
これ、確実にダメなやつだ……。
そこで少女の意識は途切れた。




