まだ希望はある
ヒトの子が言う事は正しい。
悔しいが、我に選択の自由はない。
ヒトに頼る道しか、もう残されてはいない。
……それでも軽々しくヒトに頼る事など出来ない。
しかし、そうしなければ全てが最悪の結末にしか辿り着けない。
「…………そうか、わかった。
あとは好きにすればいい。
プライドに生きることも俺は否定はしない。
……この状況では理解なんてできないが……って、なんだ、フラヴィ?」
……フィヨ種の娘?
なぜ、そんなに懸命になっている……。
お前には関係のないはずだ。
≪ヒトと共に去れ、娘よ。
…………なんだと?
何を言っている……。
娘には関係のない話――≫
怯えながらも懸命に話し続ける娘の言葉は、我の心臓を跳ね上げさせた。
"…………でも……その子はどうするの?…………"
……そうか。
だからそんなにも懸命だったのだな。
最愛の我が娘を心配しての言動だったのか。
……そうだな。
我にはもう一つしか為す術がない。
我が種族名を知れば使役される心配を懸念していたが、フィヨ種の娘を大切にしているのであれば悪いようにはならないかもしれないな……。
「…………ヒトの子よ。
強者と見込んで、頼みがある」
「なんだ?」
「……我が娘を、護ってはくれまいか」
「……やっと話す気になったか。
もう少しで帰るところだったぞ」
……まさか、ヒトの子にも気付かれていたのか?
……確かに我の腹で隠していた筈だが。
知った上で、話しかけていたというのか?
「……娘に気づいて……いたのか……?」
「娘かどうかはわからんが、もうひとつ命を抱えていることは察していた。
さっきの様子から、恐らくフラヴィも気がついてたんだろうな」
"うんっうんっ"
とても嬉しそうなフィヨ種の娘に、最愛の娘を重ね合わせる。
その成長を一番近くで見守れない事に後悔と申し訳なさを強く感じた。
だが、まだ希望はある。
我はそう思いたい。
どうか、そなたの手で我が愛する娘を育てて欲しい。
「……まだ、どうするかは言ってないが?
それに、人間を信じられないから黙っていたんだろう?」
確かにそうだ。
我も数百年、人里に降りる事はなかった。
ヒトに我が子を連れ去られ、短い生涯を使役されるくらいならいっその事この牙で楽に、とすら思っていた。
しかし我は、そなたの瞳の色を信じ、我の最も愛する子を託したい。
不思議とそう思えるようになったのは、フィヨ種の娘のお蔭か。
≪我にはもう選べるほどの時間はない。
こうする他に術がないのだ≫
「そんな状態なんだ、さすがにわかってたよ。
……俺が約束できるのは、この子がひとりでも生きていくのに必要となる知識と、自分を護れるだけの強さを与えることくらいしかできない。
この子自身が俺達から離れる可能性も捨てきれない以上、フラヴィのようにずっと面倒を見ることはできないかもしれないぞ?」
≪構わぬ。
この子自身がそれを選ぶのなら、それはもうそなたの責任ではない≫
「……そうか……わかった。
俺なりに最善を尽くすことくらいは約束できる」
あぁ……。
我は何を警戒していたのだろうか。
この幼いと言える程の少年が放つ輝きに気が付かないとは……。
本当に我も、落ちたものだ。
この少年になら、我が最愛の娘を託す事が出来る。
強さも、誠実さも、そして娘を大切にしてくれる事すらも疑いようがない。
フィヨ種の娘が"父"と慕っているこの少年なら、問題など起きよう筈もない。
≪感謝する。
どうか、最愛の娘を……≫
「あぁ、わかってる。
……この子の名前は?」
そう訊ねてきた年端もいかない少年に、最愛の娘の名を言葉にする。
ヒトの匂いに嫌悪せず、穏やかに眠るこの子の姿に安堵しながら。
ふと、何かの礼くらいにはなるだろう事を思い付く。
「我の躯から自由に持っていくといい。
我ほどにもなると、暫くは世界に留まるだろう。
その間に牙でも皮でも好きにするといい」
フェンリスの牙も毛皮も価値があると噂を耳にしている。
ヒト如きに我が身を穢されるのは癪だが、この者ならば別だ。
少しばかりでも感謝の気持ちにはなるだろう。
「…………は? 何言ってんだ?」
大きく目を丸くしているな。
この者はその価値を知らないのか?
「ヒトの世界ではかなり重宝されていると聞いたが?」
「そういう意味じゃない。
なんでこの子の母親を傷つけなきゃいけないんだって聞いてんだよ」
「ふむ? そういうものなのか?
必要ならば糧にするのが道理ではないのか?」
「俺の国元じゃ、死者を冒涜する行為だよ、それは。
そんなことをしたらこの子に顔向けができないだろうが……」
良く分からない価値観だ。
必要な物でないなら構わないが……。
しかし、娘を案じてくれている事だけは十分に理解出来た。
「良くは分からないが、分かった。
それもそなたの好きにするといい」
そう呆れた顔をするな、ヒトの子よ。
これでも我はそなたに深い感謝をしている。
そなたの傍にいれば、この子も幸せになれるだろう。
不思議な話だが、我はそれを確信出来た。
……とても複雑な心境ではあるが、な。
「……そうだ、あんたの名前を聞いてなかったな」
「それは必要な事なのか?」
「当たり前だろ。
成長したこの子に、お前の母さんの名は知らない、なんて答えろってのか?」
「……ふむ。
そういうものなのか……。
我はブランディーヌだ」
……む。
なんだ、この気配は。
どことなく軽い不快感を覚える……。
「……何やら不快な気配を感じるが」
「……気のせいだろ」
まぁいい。
この子さえ健やかに育ってくれるなら、それで……。