どれかひとつでも
さて、どうやって育てたものかと考えていると、大狼は言葉を続けた。
「我の躯から自由に持っていくといい。
我ほどにもなると、暫くは世界に留まるだろう。
その間に牙でも皮でも好きにするといい」
……なんだ?
こいつ、いま、なんて?
「…………は? 何言ってんだ?」
いきなり何を言ってるんだ、こいつは……。
言うにこと欠いて、なんてことを口走ってんだよ……。
「ヒトの世界ではかなり重宝されていると聞いたが?」
「そういう意味じゃない。
なんでこの子の母親を傷つけなきゃいけないんだって聞いてんだよ」
「ふむ? そういうものなのか?
必要ならば糧にするのが道理ではないのか?」
「俺の国元じゃ、死者を冒涜する行為だよ、それは。
そんなことをしたらこの子に顔向けができないだろうが……」
それをしていいのは言葉を介さない、一方的に襲ってくる魔物だけだろ。
ドロップ品ならいざ知らず、なんで剥ぎ取らなきゃならないんだよ。
「良くは分からないが、分かった。
それもそなたの好きにするといい」
……考えることを放棄して丸投げしやがった。
価値観が違うのもわからなくはないが、面倒になったのか。
「……そうだ、あんたの名前を聞いてなかったな」
「それは必要な事なのか?」
「当たり前だろ。
成長したこの子に、お前の母さんの名は知らない、なんて答えろってのか?」
「……ふむ。
そういうものなのか……。
我はブランディーヌだ」
……ずいぶん、可愛らしい名前だな。
もっとこう、イカツイのを想像してたが。
「……何やら不快な気配を感じるが」
「……気のせいだろ」
あまり深くは考えないようにするか。
「……そろそろ、休むとしよう。
……流石に我も、疲れた……」
「……何かこの子に伝えたいこととか、こう育って欲しいと思うことはあるか?」
「……ないな」
「淡白だな」
「健やかに育ってくれさえすれば、それでいい……」
「……そうか」
母親が、最愛の娘と別れなければならない気持ちは、どんなものなんだろう。
悔しくて悔しくてしかたがないものなんだろうか。
それとも一緒にいられない己の不甲斐なさを嘆くような感じなんだろうか。
俺にはそのどちらもわからない。
きっとそれを知る機会は来ないとも思える。
……でも。
「……む?」
「せめて、少しでもこの子のそばに、いてあげて欲しいと思ったんだ」
「……そうか」
「……余計なお世話、だろうか?」
「いいや、感謝する、ヒトの子よ」
眠りに就くように地面へ顔を寄せる母親から離してはいけないと思えた。
そうせざるをえない事情があったとしても、今はまだ、その時じゃないと。
この子にも母親のことを憶えていて欲しい。
まだ目も開いていないような小さな子だけど。
それでも何か憶えているかもしれないから。
声でも、心音でも、温もりでも、匂いでも。
そのどれかひとつでも憶えていれば、きっとブランディーヌも救われる。
俺にはそんな気がしてならないんだ。
「……ありがとう、ヒトの子よ……。
……心からの……感謝を……」
「気にしなくていい。
俺にできることをしているだけだ」
「……そう、か……」
俺の言葉に、少しだけ目元が和らいだように見えた。




