頬に触れる温かなもの
こんなにも、理解できない人が存在するだなんて。
『いたぞ!!』
『そっちに逃げやがった! 仕留めろ!!』
『くそ!! チョロチョロ逃げるんじゃねぇ!!』
『魔物が!! マンドレイク落としてさっさと消えろ!!』
こんなにも、心が動揺させられるなんて……。
『君は魔物じゃないよ』
『いいよ、それでも』
『僕の命が君に受け継がれるのなら』
『綺麗だなって思ったんだ』
「…………何を…………言うのよ…………」
……あぁ、だめだ。
これまで考えないようにしてきた想いが溢れてくる。
止まらない……。
止められない……。
怖い……。
人を傷つけるのが……。
とても怖い……。
命を奪われるのが……。
たまらなく怖い……。
強い敵意を向けられるのが……。
ふと、頬に温かなものが触れた気がした。
「……どうか、泣かないで。
僕は君を傷つけたりしないから。
たとえそうされたとしても、僕は君に手を上げたりはしないから」
……あぁ。
どうしてこの人の言葉は、優しく私の心に溶け込むのだろうか。
この人は、本心から言ってくれている。
自分よりも私なんかの命の方が大切だと、心から想ってくれている……。
自分の死期が近いのを知ってもなお、私なんかを大切に想ってくれている……。
なんて、優しい人なのだろう。
たとえ私が命を賭して薬を創っても、きっと彼はそれを飲まない。
それどころか、彼は私の行動に悲しみ、涙するのではないだろうか。
どうすれば、この優しい人を救えるのだろう……。
「どうか、そんな悲しい顔をしないで。
僕のことを救おうと思わなくていいんだ。
それよりも、旅路を共にしてもらえないかな?」
「……美しい湖まで?」
「うん。
5日くらいしか距離はないけど、君と一緒なら楽しく歩けると思うから」
「……わかったわ」
それがあなたのためになるのなら、私はどんなことだってするわ。
たとえあなたに悲しまれても、あなたを救えるのなら、どんなことだって。
「ありがとう。
僕はオーギュスト。
エリュアールの商人なんだ。
君の名前を聞いてもいいかな?」
「……名前? 私達に名前はないわ」
私達の種族に名前はない。
あるのはただの呼称。
侮蔑と敵意が込められたものだけ。
「そうか。
じゃあ、何か素敵な名前を考えようか。
でも、君自身が信頼できる人につけてもらう方がいいかな?」
「……そんな人、いるわけないじゃない」
「それはわからないんじゃないかなぁ。
世界は果てしなく広いんだよ。
そのすべてを知るものなんていないと僕は思うよ」
「……そういう、ものなのかしら……」
短命の種族である私には、それも理解できない言葉だ。
でも、不思議とそうだったらいいと素直に思えた。
「そういうものだよ」
彼は素敵な笑顔で答え、私は戸惑う。
それが正しいのかはわからないけど、彼が言うのだからきっとそうなのだろう。
彼の言葉の全てが正しいとは思わないけど、そうだったらいいと私は思い、そうであればいいと心から願った。