いっそのこと
がさりと草を踏み締める音に、私は覚悟をした。
これだけ近づいているのに気づかないとは、さすがに良くないことだ。
それももう終わるだろう。
でも、それでもいいかもしれない。
もう逃げ隠れるのにも疲れていたところだ。
それならばいっそのこと、楽になれる方法だと割り切ればいい。
……だが、いくら待っても襲いかかられることはなかった。
こんなことは初めてで、さすがに驚きを隠せない。
いつもなら罵声を浴びせられながら武器を振るわれるか、魔法が飛んでくる。
なのに、今日に限ってそういった恐ろしいことは起きないようだ。
不思議と覚悟を決めたことよりも、私は動揺していた。
命を奪われることよりも、これまで体験したことのない空白の時間がたまらなく恐ろしかった。
足音は動物でも魔物でもない。
あれは確かに人間のものだった。
それも相当近くから発せられていたはず。
なのに、なぜ襲ってこないのだろうか。
意を決して、音の鳴った方へ視線をゆっくりと向ける。
そこにいたのは、若い冒険者の男性。
武具を装備しているが、私を見ても武器を構えることはなかった。
それどころか、見とれているようにも思える。
いや、そんなはずはない。
これまでそういった視線を向けられることもなかったし、何よりも私は高価な霊薬になる希少な魔物なのだから。
狙われない理由なんて、そもそも存在しないだろう。
……でも。
目の前にたたずむ男性から、敵意を感じることはなかった。
なぜだろう。
私にはそれが不思議に思えてならない。
私は彼にとっても貴重な霊薬なのではないのだろうか……。
「……こんにちは」
「…………」
挨拶をされた?
それは誰に?
……私に?
そんなはずない。
私を襲わない理由は彼にもないはず。
冒険者であれば、どれだけ価値があるモノなのか、知らないことはないだろう。
「……言葉、通じないかな?」
「…………すみません。
驚きの方が強く、固まっていました」
私が言葉を返すと、彼は明るく話しかけてきた。
なぜそんなにも嬉しそうな表情をしているのか、理解に苦しむ。
私のことを知らないのか訊ねてみたが、やはり知っているようだ。
ならばなぜ、という疑問にふたたび戻ってしまう。
「僕はもう長くは生きられないんだ。
不治の病って言われるものを抱えていてね。
この先に用事があったんだけど、その途中で君が見えて思わず話しかけてしまったんだよ」
「…………私から霊薬を手に入れたいと思わないの?」
「そうしてしまうと、君の命を奪うことになる。
そんなことはできないよ」
彼がいったい何を話しているのか、私には理解できなかった。