ほど遠いもの
そこには、鮮やかな翠のドレスを着た大人の女性が林を歩いていた。
そんな驚きの光景が目に映ると同時に、俺の足は完全に停止した。
なぜこんな場所に。
はじめにそう思うのが普通なんだろう。
だが、俺は違う印象を受けた。
ただ一言、綺麗だなと思えた。
冷静になって考えてみれば、おかしなことだらけではある。
なんせドレスの女性がひとりの男性を両手に抱えて林を歩いているんだ。
魔物だけじゃなく、襲いかかる動物がいるこんな場所を。
疑問に思うはずの非現実として認識できていなかったのか。
それとも俺自身、そんな余裕すらないほど見とれていたのか。
人によっては不気味にすら感じると思える状況で、こうも冷静に心を保ち続けていられることが正常だとは思えないが、少なくとも害意を感じさせるような相手ではないようだ。
遠目からでも際立つ深緑色の長い髪を真っ直ぐ腰まで伸ばした白い肌の女性で、俺よりも少しだけ年上に見えた。
この角度では表情をはっきりと視認できないが、かなりの美人だと思える。
ゆっくりと近づきながら様子を見ていると、女性のドレスに違和感を覚えた。
直接見たことのない俺が違いをどうこう説明できるものでもないんだが。
足を進め、徐々に鮮明になる姿を捉えると、その違和感の正体がわかった。
そもそもこんな場所に歩いていること自体、特異的な出来事だろうけど。
あれはドレスじゃない。
正確にはまだわからないが、デザインだと思っていたものはどうやら植物のつるのようなもので作られている。
ところどころに葉をつけたもので、遠くからだと装飾に見えたんだろう。
おまけに裸足で林を歩いてるとなれば、まともな人間ではないことは確かだ。
納得をすると同時に警戒心を強めた。
人ではない可能性がある以上、こちらを捉えた瞬間に敵対するかもしれない。
……こちらに向かったのは間違いだったか?
どうやら判断するのが遅かったみたいだ。
こちらに気づいたそれはぴたりと足を止め、様子をうかがうように見つめた。
だがその表情は硬く、何よりもこちらを見て少々驚いているようだ。
敵対する意思を持っていない?
しかし、敵じゃないとも言いきれない。
ぐったりとした男性を両腕に持ってなければまだ安心できたかもしれないが、そんな姿を見て友好的な挨拶をするやつがいるんなら会ってみたいくらいだな。
さて、どうするか。
魔物か?
それとも違うのか?
言葉が通じない可能性もあるな。
緑色の髪、つると葉の装飾をつけた植物のようなドレス。
これはいわゆる、"木の精霊"と呼ばれる種族なのか?
それともそんな存在はこの世界にはいないのか?
ラーラからはそういった存在について訊ねなかった。
そんな発想すら出てこなかったからなのかもしれないが。
この世界にもそういった存在がいてもおかしくはないと思えるが、実際に精霊の類がいるのかわからない以上、ここで考えてもしかたのないことか。
扱いに困る相手を見続けていると、こちらへとゆっくり近づいてきた。
向こうも随分と何かを考えていたように見えたが、あの表情は敵対とはほど遠いものだ。
あれはそんなものじゃない。
そんなものじゃ。
厄介事なのは恐らく間違ってないだろうが、それでも嫌な予感がしてならない。
危険とは違う意味での面倒事にならなければいいが……。
軽鎧を身に纏った姿から冒険者だとは思えるが、男性に意識はない。
やはり何かしらのトラブルであることは間違いないらしい。
「……念のため訊ねるが、言葉はわかるのか?」
声の届く距離まで近づいた女性と思われる存在に、俺は本心を問いただすように言葉を投げかけた。
フラヴィは俺の腕から動かず、ことのなりゆきを見守っている。
震えていない今の状態なら、たとえ戦闘になったとしても大丈夫だろう。
「この方を助けるために、あなたの力をお貸し願えませんか?」
だが俺の考えとはうらはらに、ことは大きく動こうとしていた。
いや、男性の様子から、その可能性も脳裏にはあったことではあるが。
ともかく、この謎の頼みごとで虚をつかれたことだけは確かだろう。




