白い紙
いつの間にか僕は筆を持っていた。
そして目前に壁一面の大きな白い紙が貼られていた。
その白は無限大に白く、それゆえ存在が希薄に思えた。あまりの深さに紙との遠近感は消失し、どこに実態があるのかわからなくなる。手で触れることができずどこまでも通り抜けてしまいそうだ。
そんなことはあり得ないと空いているほうの人差し指を紙に這わせてみた。滑らかな肌触り、見えない壁のような紙が確かにそこにあるようだ。
白からは何も見えず、さらに境界線がないがためどこまでも大きくなれる。肉体は形而上のものであるが、その空間はどこまでも広がり続ける。突く所のない存在感である。
怖くなった僕は体が勝手に揺れるのを感じた。腕が震え、指先の力が抜け、ついに筆が手から落ちた。床と筆が接触し、乾いた音とともにピシャリと墨がはね、その弾丸は静かに紙を濡らした。空間を超越した恐怖はあっさりと僕の意志にあずかり知らぬところで死んだようだ。
あっけない。僕は茫然とその黒点を見つめた。無抵抗に染められた紙を見て僕は自分に失望した。こんなにも脆弱なものに恐れをなしていたなんて。するとふつふつと黒い怒りが湧き上がってくるのを感じる。僕は激情に流されるままに紙を墨で犯した。
途中からそれは愉悦へと形相を変えた。おかしく思えたのだ。あんなにも強大に思えた存在が僕になされるがまま汚されているのが。
完全に黒一色となったそれはもう二度と白くなることもないだろう。達成感と安心感が僕を包み込んでいた。
そして眼前に壁一面の大きな黒い紙が貼られていた。