ウェンディゴ憑き
倉庫の中はランタンのオレンジ色の火に照らされていた。
火の光がこれ程、人の心を安心させてくれる物なのだと加奈子は初めて知った。
恐らくは他の三人も同じだろう。
「説明するといっても、正直なところ何が起きているのか僕にも分からない。
だから、まず事実だけを話す。その後、僕が考えている事を補足で追加する」
石原は言葉を切ると一旦加奈子と祐也の顔を見て、再び話し始めた。
「教授の奥さんの皆子さんは今日の朝位からから様子がおかしかった。寒気がすると言って、部屋で休んでいた。お昼も取ってない。夕食の準備するころの2階から降りてきたけどかなり調子が悪そうだった。休んで下さいと言ったけど夕食は作ると言って準備をしていたんだ。
それで多分、5時過ぎかな。突然、台所から悲鳴が聞こえてきたんだ。
台所に駆けつけると皆子さんが七瀬ちゃんに襲いかかっていた。僕と等々力で止めに入ったんだが、物凄い力で大変だった。大騒ぎになってた所で突然、部屋の灯りやパソコンの電気が落ちた。
その拍子に皆子さんが僕と等々力を振りほどくと、今度は僕に襲いかかってきたんだ。それで慌ててリビングに逃げたんだよ」
「丁度、私が加奈子と電話していた時ね。
照明と一緒に電話も不通になったみたい。
石原先輩が逃げるのも分かるわ。
私も一目奥さんを見た時、本当に怖かったから。とてもまともな人間とは思えなかった」
詩織が話を補足した。
「それで二人して倉庫に逃げ込んだ」
最後を石原が締めくくる。
「台所で等々力君の死体を見たわ。
奥さんが……
皆子さんが多分、等々力君の死体を食べていた」
加奈子の発言は衝撃的な内容だったが皆の反応は薄い。
誰も何も言わなかった。
本来あるべき反応をするには皆の神経は疲弊し過ぎていたのだ。
「七瀬さんや教授は見た?」
「いいえ。見ていない」
詩織の質問に加奈子は力なく答える。
「さて、ここからは僕の推測になる。荒唐無稽な話なので信じてくれとは言わない。僕ですら信じていないからね。」
石原は一旦言葉を切ると乾いた唇を舐め、再び話始める。
「僕と教授は北米でネイティブアメリカンの洞窟を見つけた。そこはビルカナウェンディゴ。
ウェンディゴの風穴と呼ばれていた。
ウェンディゴは森の悪霊のような存在だ。
各地のネイティブアメリカンの間で伝承されている。そして同じようにウェンディゴ憑きという病気が伝承されている。
日本の狐憑きと同じようなものと思ってもらえば分かりやすいと思う。
違うところはウェンディゴに取りつかれると人肉が食べたくなるらしい。最後には人を襲うようになるそうだ。
僕らが見つけた洞窟は、ウェンディゴ憑きになった者を処刑する場所だったと推測している」
「つまり、教授の奥さんはウェンディゴに取りつかれたって言いたいわけか?」
祐也は石原の顔を睨み付ける。石原も祐也を睨み返す。
「そうだ。信じられないかい?」
祐也の顔が一転穏やかになる。
「いや、信じるよ。あんなもんを見たら信じないわけにはいかない。
となれば後は、これからどうするかだな」
「どうするって隙を見て山荘を逃げ出せばいいだろう。車のキーはリビングのどこかに転がっている筈だから四人で素早く探して逃げれば良い」
「駄目だと思う」
祐也はにべもなく否定した。石原は多少ムッとした顔になったが、祐也は躊躇うことなく言葉を続けた。
「キーがあっても多分、車は使えない。」
「何で使えないんだ?」
「あんた、自分でいったじゃないか。突然、照明とかパソコンが落ちたって。俺達もこの山荘に近づいたら携帯が動かなくなった。今も動かない。それらを総合するとウェンディゴには電気を止める力があると考えるべきだ。だとしたらスターターも使えないから車はエンジンがかからないと考えた方が良い」
「じゃ、車を使わず逃げれば良い」
「それも却下だ。
ウェンディゴに取りつかれた相手の身体能力は経験済みだろ。追いかけられたら絶対捕まる。山道であんなのに襲われたら対応のしょうがない」
「じゃあ、どうするんだ」
「ここであいつを倒す」
「なんだって?」
「四人居るんだ。策を練って倒すんだよ」
「でも祐也。あいつ、なにやっても死ななかったよ。不死身かも」
「俺はそこに立て掛けてある物を見た時から腹を決めてるぜ」
祐也はアゴをしゃくって見せた。
一同の目が集まる。そこには薪割り用の斧が立て掛けられていた。
「不死身だって構いはしないさ。
手足を切断出来れば無力化出来る。
基本戦略はそれとして、後はどれだけ安全に立ち回れるか考えるだけだ。
幸い、ここは倉庫だから役に立ちそうなものが沢山あるだろう」
ニヤリと笑う祐也に対して他の三人はなんと答えるべきか困惑し黙って互いの顔を見た。
やがて、加奈子がクスクス笑い始める。
クスクス笑いはやがてお腹を抱えて笑うほど激しいものになる。何か発作的な笑いだった。
一分ほども笑ったろうか、ようやく笑いが治まった加奈子は涙を拭いながら言った。
「ごめんなさい。
だってなんか祐也が、今からコンビに買い物行ってくる、みたいなノリで凄いこと言ったからなんか可笑しくなっちゃった。
でも、そうね。
私もあいつをここで倒さないといけないと思う。
だからやろう」
「さてと、取り合えず使えそうなものを物色するか」
祐也は部屋を見て回り始める。
「地下があるんだ」
廊下の奥にあった扉を開け、祐也は呟く。下への階段があった。
「そうです。倉庫としては地下の方がスペースがあるんですよ」
と詩織。
「食料や水もあるんで、籠城することもできる」
石原の言葉に祐也は軽く首を横に振る。
「否定ばっかで申し訳ないが救援の当てのない籠城は緩やかな自殺だよ。
俺達の異変に周りの人が気付いてくれるのにどのくらいかかる?
1週間?それとも2週間か。
それまでもつかな?食料もだけど俺達の神経がだよ」
祐也の言葉に石原は反論をしなかった。ただ、小さく顔をしかめただけだった。
それに気づいているのかいないのか、祐也は何の反応も示さずに部屋をランプでかざす。
四方の壁に木の棚が設置されていて、棚には実に様々なものが置いてあった。
ロープ、灯油の入った一斗カン、カップ麺、炭、ペットボトル。
「灯油で焼き殺す?」
背後から覗いた加奈子が囁く。
「ま、それもありかもしれないが最後の手段だなぁ。下手すりゃ火事になって、こっちも危ない」
祐也は腕組みをして唸る。
「棚を壊して即席の武器を作って、後はロープで罠を作るぐらいかな。
お、ナタとかシャベルもあるな」
「でも、そんなの役に立つのかな」
加奈子がため息交じりに言った。
加奈子の言いたい事は分かる。突いたり、殴ったりしても余り効いているようには見えなかった。
「どうかな、正直気休め程度かもしれない。
昔、バタリアンってゾンビ系の映画をDVDで見たことがあるが、そこにどうやっても死なないゾンビが出てきたよ。
ゾンビは頭が弱点だと思っていた主人公達がゾンビを押さえ込んで頭を攻撃するんだけどゾンビは平気で動いてるんだ。
で、主人公が『あの映画は嘘だったのか』と嘆くシーンがあった」
「なにそれ?今の状況だと全然笑えないよ。
じゃあ、奥さんもその映画のゾンビと同じかもしれないって言いたいの?
例え首を落としても死なないかも知れないって?」
「不死身とか言い出したのは加奈子のほうだろ。首を落としても死ぬとは限らない。まあ、半々ってところかな。だが、さっきも言ったけど、例え死ななくても動きが止まれば良い。
問題は、手持ちの道具で動きが止められるかどうかさ」
ナタとシャベルを手に取り、祐也は両方を品定めするように見比べる。
「それなんだけど、私、気になってることがあるの」
「気になっている事?」
「うん。さっき、居間で襲われた時よ。なんかね、皆子さん、動きが変だったの」
「動きが変というと、どんな風に?」
「うーん。ドアを強引に開けられた時、私達、床に投げ出されたでしょう。それで、今にも飛びかかられそうになったのに、皆子さんは飛びかかって来なかった。まるで私と皆子さんの間に見えない壁があるように動きを止めて、それから、横に少し動いたの。それから、また襲いかかってきたわ」
「ふん。見えない壁ねぇ」
加奈子の言葉に祐也は頭を捻る。
「加奈子とあいつの間には本当になにもなかったのか?」
「うん。何もなかった」
「床や天井にも?」
「え?床とか天井?」
祐也に指摘され加奈子は考え込む。一生懸命、当時の状況を思い出そうとする。
「そういえば、床には写真が散らばっていた、かも」
「写真?
何の写真だったか思い出せるか?」
「無理。写真なんて見ている余裕無かった」
加奈子は首を横に振る。
「写真なら、もしかしたら分かるかもしれません」
二人は同時に振り返った。声の主は詩織だった。
「あの時、私たちはリビングで洞窟の紋様について調べていました」
「洞窟の紋様?」
「さっき説明したビルカナウェンディゴの洞窟には壁に無数の紋様が刻まれていたの。
私たちはそれが文字じゃないかと思って研究していたのよ」
加奈子が補足した。
「でも、ちがった。文字にしては種類が少なすぎた。紋様は一見、複数あるように見えたんだが実際は角度や縦横比が変わっていただけで、実はたった一種類の形でしかなかった」
会話に石原も加わってきた。
「では何故、洞窟には同じ紋様が無数にかかれていたのか?
僕たちはその謎を解くために、様々な角度から紋様を調べていた。位置とか数とかを調べるために机一面に紋様の写真を並べていた。
だから、リビングの床に写真が落ちていたとしたらそれは多分紋様の写真でだよ」
「写真が洞窟の壁に描かれていた紋様だとして、それとあいつの動きが変になるということの関連性が分からないな」
「はっきりしたことは分からない。
だが、仮定はできる。そもそも僕たちはあの洞窟はウェンディゴに取り憑かれた者を処刑する場所だったと推測しているといったと思う。そこでだ、もしも、ウェンディゴ憑きが実在するのだとしたら、というか、皆子さんを見る限りウェンディゴ憑きは実在すると言うべきだろう。
そうなるとあの紋様にも単なる意匠や装飾ではないもっと実用的な力があると考えられないだろうか?」
「つまり、どう言うことだ」
「つまり、紋様にウェンディゴ憑きの力を抑えるような効果があると言うことだ。
例えるならバンパイアに対する十字架のようなものだ」
「ふーん。その紋様のようなものを見せれば、あいつは近づけないと言うことか」
「あくまで可能性の話だ。全然違うかもしれない」
「なんだ。頼りないな学者さん」
「学者だから、確証のないことには慎重なんだよ」
「ごめん、ごめん。別に非難してる訳じゃないんだ。この状況じゃ誰にも本当のことなんて分からないさ。
だが、まあ、取り合えず、その仮定に乗っかって計画をたててみるか。
誰か他に良い意見を持っているか?」
暫く待ってみたが答はなかった。
「じゃ、準備の続きを再会しようか」
「準備は良いかな?」
祐也は三人の方を見て言う。石原、加奈子、詩織は無言で頷く。
「簡単におさらいしよう。
主戦場はリビングルームだ。
リビングに罠を仕掛けて『皆子さん』を引き込む。
罠でうまい具合に動きを止めれたら斧で『皆子さん』の首を落とす。それでも動きが止まらないようなら続けて足と手を切断する。
斧は俺が使うつもりだが、俺に万が一の事があれば石原さん、あんたがやって来れ。石原さんも動けなかったら加奈子、詩織ちゃんの順番だ。怪我人が出ても、『皆子さん』の無力化を優先させる。いいね」
祐也は言葉を切り、皆が理解したかどうか一人一人の顔を見て確認する。
「罠の段取りだが。加奈子、説明してくれないか?」
「え?
ええっと。まず、テーブルに紋様の写真を張り付けて廊下に面したドアの近くに立て掛ける。それができたらドアのところにロープを仕掛ける。
リビングに誘い込まれた『皆子さん』がロープに足をとられて転んだら、テーブルを倒して『皆子さん』の上に落として動きを封じる」
「大体そんなところだ。
罠ができるまでは俺が『皆子さん』を引き受ける。俺たちの予想通り紋様が効果があれば余裕だろうが効果がなければそんなに長くはもたないと思うので手早く用意をしてほしい。」
「祐也……」
加奈子が今にも泣きそうな顔で祐也を見つめる。
「大丈夫だよ。なんとかなるさ」
祐也は加奈子の頭に手を置き、安心させるように笑って見せた。
倉庫のドアがそっと開かれ、祐也が顔を出す。
リビングに皆子がいないことを確認する。
食堂へのドアは椅子でロックしたままだった。
となればリビングの出入口は正面のドアだけだ。
祐也はリビングに入ると床に散乱している写真を物色する。そして、目当ての一枚を拾う。
「俺は『皆子さん』を探すから、みんなは手筈通り準備してくれ」
祐也はそういうと静かに廊下に出て、耳を澄ます。
なにも聞こえない。
台所に行くか、それとも二階か。祐也は一瞬迷って台所に向かった。
一方、リビングでは加奈子たちが準備に追われていた。石原と加奈子がテーブルを起き上がらせている間、詩織が床に散らばった写真をかき集めていた。
皆、必死だった。
そのためリビングの奥。娯楽室へとドアが音もなく開くのに誰も気づかないでいた。
2018/03/18 初稿