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聖地にて

見上げるとはるか頭上より川の水が流れ落ちてくる。

大瀑布というには余りにもささやかだがそれでも日本では見ることのできない規模の滝だ。

さすがアメリカ大陸というべきか。

恩田(おんだ)貴史(たかし)は暫く滝を見上げていたが、やがて視線を滝の根本にある洞窟へと移す。

「ここがバルナカハルか」

恩田は感慨深げに呟く。

「アガホ族の聖地ですね、教授」

隣に立つ石原もやや興奮した口調で答えた。

「聖地、とはちょっと意味合いが違うよ、石原(いしはら)君。

確かにアガホの言葉で、バルナカハルは踏み入れては行けない場所と言う意味だ。

便宜上、それを我々は聖地と呼んでいる。

だが、このバルナカハルにはもう一つの呼び名があるんだ。

ビラカナウェンディゴ。

ウェンディゴの風穴だ」

「ウェンディゴとはオジブワ族などで言い伝えられているあのウェンディゴですか?」

「そうだ、さ迷う森の精霊、冬の寒気の悪霊、ウェンディゴだ。多少、アガホ族独特の伝承が加味されているが基本的に同じものだ。

森を一人で歩いていると何かがついてくるような気配が感じられる。やがて、気配は囁き声に代わり、延々と旅人につきまとう。

アガホの伝承ではそうやって旅人の心を弱らせ、最後には旅人に取り憑くといわれている。

ここはそのウェンディゴに憑かれた者に関係した場所なんだ。

聖地と言うより忌むべき所、穢れた場所という意味合いの方が強い」

「穢れた場所、ですか。

だから、ガイド達はここに来ることを拒んだんですか」

「拒んだと言うより恐れているんだ。

迂闊に近づけば取り憑かれると未だに信じているんだ」

「憑かれるってウェンディゴにですか?」

石原はゴクリと唾を飲み込む。

「ははは。なんだ怖いのかね?

文化人類学者になろうとする者がそんなことでどうする。

いくぞ」

恩田はヘルメットを被り頭のライトを点けると洞窟へと足を踏み入れた。


洞窟は少し登り坂になっていた。

恩田と石原の二人は弱々しいライトを頼りに洞窟の奥へ奥へと進む。

「見たまえ、石原君」

恩田は足を止めると洞窟の壁を指差す。

「壁画……ですね」

壁には曲がりくねった曲線と図形が彫り込まれていた。明らかに人の手によるものだ。

細長く縦線が疎らに並び、その中央に丸と四角の図形がある。

「森を歩く人……?」

「フム、そのように見えるね。

分からないのは人の後ろに描かれている大きな丸だな」

恩田教授の指摘に石原はもう一度壁を見る。人とおぼしき形の後ろに歪な楕円が二重、三重に描かれている。

まるでゴッホの星月夜の星の光の様に、見ているだけで神経がヒリヒリしてくる不思議な印だった。

恩田はライトを右に動かす。

新たな壁画がライトの輪に浮かび上がる。

人を表すとおぼしき図形に多重に描かれた楕円がのし掛かっている。

壁画はまだ続く。

人が沢山描かれている場面。

「闘いの絵ですかね。

部族間の戦争の様なもの」

「いや、違うな。

見たまえ、中央の人を表している図形を。

肩口に何か丸いものがついているだろう」

恩田教授の指摘に石原も頷く。

「そうですね。中央の人にしかない。

特別な意味があるのでしょうか?」

「恐らくはウェンディゴ憑きを表現しているんだよ」

「ウェンディゴ憑き?」

「さっき、ウェンディゴは人に取り憑くといったろう。

そのウェンディゴに取り憑かれた者をウェンディゴ憑きと言うんだ。

ウェンディゴに取り憑かれた者は人肉を求めて人を襲うと言う。

この絵はそれを表しているのであろう」

「人肉を求めて人を襲う。恐ろしいですね」

「恐ろしいな。

社会としては許容できない。

だから、ウェンディゴ憑きになった者は仲間に処刑される。

ウェンディゴ憑きは永らくフェイクと言われていたが、もしも私の推測が正しければこの先にウェンディゴ憑きが実在していた事の証拠(あかし)があるはずだ」

恩田教授は言い切ると更に洞窟の奥へと歩を進める。

そして、不意に視界が開けた。

「ここは一体……」

石原は少し戸惑いながら周囲をあたふたとライトで照らす。

丁度球形の大きな空間だった。

壁には壁画の類いはなかったが代わりに見たこともない紋様がびっしりと刻まれている。

「石原君、この壁の紋様も記録しておいてくれ。

それから中央の石の台も」

恩田教授の言葉通り空間の真ん中に大きな石の台があった。

大きさといい形といいセミダブルのベットを連想させた。

「なんですか、これは?」

石原はカメラを撮りながら恩田に訊く。

「恐らくはウェンディゴ憑きの者を処刑する時に使った台だ。

そして、あっちがその犠牲者の成の果てだ」

教授に促されカメラを向けた石原はギョッとなる。

空間の片隅に無数の頭蓋骨が積み上げられていた。

「台に固定して首を切り落としていたのだろう。

あの台からあそこまでちょっと下り坂になっている。

切り落とされた頭は丁度あの辺りまで自然に転がっていくという寸法だな」

絶句している石原を意に介さず恩田教授は淡々と話を続けた。

「しっ!

静かに!!」

突然、教授が囁く。

「何か聞こえなかったか?」

なにも、と言おうとして石原は言葉を飲み込む。

洞窟の奥から何か空気が洩れるような音が微かにしたからだ。

「どこからだ」

「良く分かりません。洞窟の奥から聞こえたようですが……」

「うむ、私にもそう聞こえたが、奥は行き止まりだ」

恩田教授はライトで奥を照らす。

言う通り確かに行き止まりだった。

教授は奥の壁を丹念に探る。

やがて、大きく叫んだ。

「おい、ここ。人工的に石を積み上げてあるみたいだ。

石原君、手伝ってくれ。石をどかそう!」

教授の号令で二人は石をどかし始める。

そして、石と格闘することおよそ30分。

洞窟の壁に人一人が這って進めそうな小さな穴が姿を現した。

「うーん、奥が見えないな。少し登りになっている」

「どうしますか?」

「勿論、行くさ。意図的に隠していたのは間違いない。ならば、この先に隠したい何かがあるのは自明だ。それを探らなくてどうする」

「いや、そうなんですが……」

「怖いのなら、ここで待っていれば良い。私は行くよ」

恩田教授はじれったそうにそういうと横穴に姿を消す。

石原は一人取り残された。

石原は少しの間、行くか行くまいか悩んでいたが意を決すると教授の後を追って横穴に入っていった。


四つん這いで横穴を進む。

いい加減、膝の痛みに耐えられなくなった頃ようやく横穴の出口が見えた。

横穴を出て、石原は荒い息を吐きながら立ち上がる。

強張る腰の筋肉をほぐしながら周囲を見回す。

そこは最初の空洞より随分と小さかった。

球形でもない、歪な直方体の空間だった。

大人が二人並んで立つのがやっとの幅しかない。

奥へと目を向けると佇む教授の背中が見えた。

そして、教授の頭の横には見知らぬ男の白い顔があった。

その顔は歯を剥き出し今にも教授に襲いかかろうとしているように見えた。

ワッと叫んで石原は尻餅をつく。パクパクと口を開けるが声にならない。

「落ち着きたまえ。石原君」

「教、教授……」

「落ち着いて良く見なさいと言っている」

落ち着いた教授の声に促され石原は立ち上がり白い男をまじまじと見る。

男の腹の辺りに石の杭がめり込み奥の壁に張りつけにされているようだった。男の肌はチーズのような白さで石原や教授のライトをヌラヌラの反射している。それを除けばついさっきまで生きていたような質感を誇っていた。

「教授、これは一体……」

死蝋(しろう)だよ」

「死蝋?」

「低温で高湿度の場所だと希に人の体が蝋化して腐らず残ることがある。それが死蝋だ。こんなところで出会えるとは思いもしなかったがね」

「ここは一体何で、この死体はなんなんでしょう」

「ウェンディゴ憑きに関係する何かであるのは間違いないが、それ以上の事はなんとも言えないな。

だがね、石原君。これは世紀の大発見だよ。

この洞窟が紀元前の物であることは間違いない。ひょっとすると、今、我々が対面しているこの人物は世界最古の死蝋かもしれない。

石原君!今日は何年何月だね」

「え?えっと2017年10月23日です」

唐突な質問に石原は困惑ぎみに答える。答えを聞いた恩田教授は満足そうに笑みを浮かべた。

「その日付を忘れない事だ。良いかね、我々が歴史に名を残した瞬間だからね。さあ、写真を撮ってくれ。撮れるだけ撮ったら急いで戻ろう。人手を集めて本格的な調査をせにゃならんからな」


恩田教授達が洞窟から出てきたのは中に入ってから4時間程経過した頃だった。

「大分、陽が傾いている。急いで戻ろう」

恩田の言葉に石原は無言で頷く。元気一杯な恩田と対称的に石原は疲労困憊で声を出すのも億劫のようだった。

暫く歩いていたが不意に何かの気配を感じて恩田は後ろを振り向く。

しかし、人はおろか動物の影もない。森は不気味なほど静かであった。

教授は少し首を傾げると再び歩き始める。

вагсимобэтарэ

恩田教授は確かに何かが囁くのを聞いた。

「石原君、今、何かいったかね?」

「いいえ。なにも言ってません」

石原の返事に恩田は再び後ろを見る。

囁きは後ろの方から聞こえた。前を歩く石原のはずはない。その事は恩田にも良くわかっていた。

では、誰が自分に囁いたと言うのか?

後ろを見ても鳥もリスなどの小動物の存在すら感じさせない。

相変わらず、生命(いのち)を感じさせない不気味な死の森だった。

(ウェンディゴ!)

頭に浮かんだ馬鹿げた考えを恩田はすぐさま打ち消す。

そんな馬鹿な事がある訳がない。

伝承としてのウェンディゴがあるのは認めよう。

だが、文化として存在するのと実際に存在するのとは意味が違う。さ迷う森の精霊などあるはずがない。

(さすがの私も疲れたか)

恩田は軽く首を横に振り前を行く石原を追いかけた。




洞窟の入り口は滝から跳ねる水滴でつねにぬかるんでいる。

だから、洞窟には足跡がくっきりと残っていた。

二つは恩田教授と石原が洞窟には入った時の物。

そして、その二人が出ていく時の足跡が二つ。

それらとは別にもう一つ、洞窟から出ていく足跡があった。

その足跡にはうっすらと霜が降り、恩田達の後を追うように続いていた。



2018/02/11 初稿

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