第九話〜新たな国家のあけぼの〜
いつも通りの時間に目を覚ました。今日は大事な事をやるつもりで居たからさっさと準備を済ませよう。そう考えた聖武天皇は朝餉を軽く平らげ、束帯に召し替える。今日は神器を身に付ける予定であるので、手に届く範囲に揃えて置く。それだけの正装をしなければならない行事を、彼は執り行なおうとしていた。
それは、改元の儀である。
…………
彼は先ず、道真の所へ向かった。彼に依頼しておいた文を受け取りに行く為である。道真の方から聖武天皇に気づき、声を掛けた。
「これは陛下。くだんの文書は既に清書が終わりまして、後は乾かすのみに御座います」
「そうか、それは良かった。今後はより一層卿の力が要となるから、変わらず尽くして欲しい」
「陛下の仰せのままに、我が全力全身全霊を以てこの国を支えて見せましょう」
何とも頼もしい返事である。昼餉の後に文を受け取る事にした聖武天皇は、そろそろ起き出しているだろう彼が伴侶、壱与の所へ向かう事にした。
…………
聖武天皇の予想から外れ、壱与は未だに夢見心地であった。寝相良く衾に覆われていて、可愛い寝息をたてている。寝顔は年相応の純粋で愛らしいものであり、男の庇護欲をこれ以上ない程掻き立てられるものである。聖武天皇も出来ればそっとしておきたかったが、事情がそうも行かないので、名残惜しい事ではあるが彼女を優しく起こす事にする。
「壱与よ、起きなさい。もう日は昇っているよ」
「……う〜ん……むにゃぁ……」
言葉にならない何かを発しながら、手を空中に泳がせる。そしてそのまま聖武天皇を掴むと、衾へと引きずり込んだ。恐らく単に寝惚けているのだろうが、まだ本人は起きない。
「ほら、早く起きなさい」
そう言って頰をはたはたと軽く叩いたり、優しく摘んだりしてはみるものの、一向に起きる気配が無い。それどころか聖武天皇に抱きついてきた。起こす事を諦めた彼は、冠を外して懐中してある烏帽子に被り変えて同じ衾に入る事にし、自然と起きるのを待った。
結局、壱与が起きたのは一刻後であった。寝惚けながらも、ゆっくりと目を開けた。
「むにゅぅ……あ、あれ? な、なんで首様がここにいるの……?」
「君を起こそうとしたからさ。それよりも、君には十二単の着付け確認をして欲しい。なるべく早めに朝餉を摂って、準備してくれ。詳しい内容は式に送らせる」
「分かりました、首様が命じるのでしたら」
すると直ぐに女官がやってきて蔀をばっと開け始めた。彼にもやる事があるので、後は女官に任せて其処を後にした。
…………
その後も、大極殿前広場に立てる旗の用意だったり服装の規定だったりと天皇としての職務を淡々とこなしているうちに、日が頂点に近くなってきた。
一々内裏に戻るのも面倒なので兵部省の建物で昼餉を摂る事とした。勿論、道真や兵部卿も一緒である。
「陛下、いよいよですな」
「ああ、これでやっと国としての第一歩だ」
「長い様で短いものです。これからは何を目標にするのですか」
兵部卿がそう尋ねてきたが、そんな物は元々決めてある。
「うむ、あの国は我々が来るまでは地域大国であったが故に周りから朝貢を受けていた。其処を配下に収めたのだから、恐らくこの島の四割程は掌握出来るはずだ。なれば次は、この島を統一してこの世界初の統一国家を作るべきだろう」
「中々に壮大な計画ですが、今までと違って一朝一夕には行かないと思われます」
「何せ規模が大きいからな。計画は月単位の長さで考えている。それに、卿等が手伝ってくれるだろうから、心配はしておらぬ」
「有難きお言葉です、陛下」
「うむ。時に、陰陽頭は何処に居るか」
「何でも、都の鬼門方面に屋敷を建てるとの事で御座います。我々は今まで自分の庁舎に泊まっておりましたからな」
初耳である。彼等は言うなれば帰る家が無い状態だったのである。にも関わらず、屋敷を建てる土地を要求してこなかったのは忠臣であると言わざるを得ない。
「そうだったか。では卿等も近く土地をやるから屋敷を建てておくといい」
「いえ、我々は最早此処が家に御座います故、お気持ちだけでも十分に御座います」
「……そうか、分かった。そろそろ時間だから、卿等も準備をしておけ」
「「承りました」」
こうして昼餉は終了し、聖武天皇は内裏に戻って神器を身につけて正装となった。陰陽頭が車を用意してあった。
「おや、卿は屋敷を建てに行ったのではないか」
「誠に勝手ながら、宮の鬼門方面の土地を借りております。屋敷に関しては、現在式神に造らせております」
「土地の事は良いが、後でちゃんと道真に報告しておけ。彼奴も書類を作らねばならないからな」
「分かりました。では、参りましょう、陛下」
「うむ、分かった」
そして聖武天皇は車に乗って、陰陽頭は御者として大極殿へ向かって動き始めた。
…………
大極殿に到着した聖武天皇は、道真の誘導で所定の位置についた。道真が合図を出すと、雅楽隊が曲を奏で始めた。いよいよである。彼は高御座に登った。隣には御帳台が置いてあり、中には壱与が座っていた。彼の生前は有り得なかった事だが、陰陽頭の言うには遥か後の世ではこの様な形式なのだと言う。
広場には文官と武官が正装で立ち並び、最敬礼を以て言葉を待っている。文官の一部は面をしていないから、恐らく貴族達であろう。文を広げ、先ずは除目を読み上げる。留守官を務めた道真の昇格と今後の統治にあたり骨格をはっきりさせる事が目的である。貴族達もここで体制に組み込む。
「除目を行ふ。菅原右大臣正二位道真は、その官職を右大臣より太政大臣とす。よく職務を遂行すべし。一条兵部卿正四位下兼実は、その位階を従三位とし、官職を兵部卿の他に、左右近衛大将とす。よく職務を遂行し、この都と世を守護せばや。云々……」
貴族には大輔の官職と正五位下の位階を与えた。除目の最後に、尚真を国司に任じよう。別の文を広げ、任状を読み上げる。
「……尚真は、近江国へ渡り朕の代はりに之を統治したまへ。その知識と能力を使い、近江国を発展させ、この世に奉仕せよ」
近江国とは壱与の治めていた国の事であり、地理的特性が似ている事──具体的には巨大な淡水湖の存在──から、壱与に許可を得た後にそう名付ける決定をした。
兎も角、これで除目は終わった。最後に残るは最大にして歴史に残る詔勅である。最後の文を広げ、堂々と読み上げる。
「朕の思ふには、この世は始め、世では無かりき。されど、この世はただ日ごろを消費するばかりで基盤を整えき。こは喜ばしき事なれば、元号を天徳より源闢に変更し、これを記念す」
文官武官が皆恭しく礼をした。これを以てこの儀式は終了である。聖武天皇は壱与と共に退出していった。そして二人とも別の車に乗り、夫々の場所へと戻っていった。
…………
聖武天皇が部屋に戻ると、中央に光り輝く本が置いてあった。手に取ってみると、表紙にはこう書かれていた。
〈沙弥勝満建国家事 異界建国紀〉
沙弥勝満国家を建てる事…その後に書かれた五文字と合わせて察するに、歴史書の類であろうか。何時もの茶目っ気が感じられないのは、皇祖神も流石に反省したからに違いない。試しに一頁を開いてみる事にした。
天徳三年……沙弥勝満と信楽宮がナマントル島に出現。その後、近くにあった国名の無い部族国家を支配下に収める。同年、年号を天徳から源闢に改める。
やはり歴史書の類であった。其処には自身の行った事が克明に記録されていた。上記はその要約である。この頁はそれ以外に記述が無く、またこの頁以降も白紙であった。人物図鑑と同じようにその都度更新されるのだろう。取り敢えずその本は仕舞う事にして、単衣に召し替えた。
日が落ちてきた。そろそろ夕餉だろうか。そう考えていると外から声がした。
「首様、夕餉を持って参りました」
「その声は壱与か。よし、疾うせよ」
そして壱与が御付きの女官と共に甲斐甲斐しく夕餉の膳を支度していく。
「ところで、膳が二つあるようだが……」
「はい、首様とご一緒にと思いまして。……やはり、ご迷惑でしょうか……」
そう言って壱与がしょんぼりとする。犬の様な耳と尾があれば力なく垂れ下がっていよう。
「まさか。一人も寂しいから、どうして迷惑だろうか」
それを聞いた壱与がぱあっと明るくなる。勢い良く振られる尻尾が見える様だ。可愛い。
こうして壱与と共に夕餉を摂った。色々と会話しながらなので、静寂に押し潰される事は全く無かった。
聖武天皇はそろそろ寝ようと思ったが、壱与がまだ其処でもじもじしている。
「どうした、壱与。一緒に寝たいのかい」
少し意地が悪かったろうか、壱与が顔を真っ赤にして慌てふためく。可愛い。
「ふぇっ!い、いえ!その様な事は!……ある、のかも……」
つまりは一緒に寝たいのだ。その気持ちを貞淑な伴侶たらんとする理性で押し込もうとしているのである。ああ、何と愛らしいことか!
聖武天皇はあっさりと折れ、茵をもう一枚敷く事にした──因みにこの茵は道真から貰った寝具であり、出来たのは彼の死後である──。すると、壱与の顔がはっきり分かるようにより赤くなり、しかし抵抗せずに聖武天皇の掛ける衾を被った。
「して、何故一緒に寝ようと思ったんだい」
「……その、何となく、でしょうか……」
「そうか、ならそれでも良い。今夜はゆっくりとお休みよ」
そう言いながら聖武天皇は寝ようとする。すると隣の衾から手が伸び、彼の手を握ったのでこれを握り返した。そして二人ともぐっすりと、言い知れぬ安心感を覚えながら眠りについたのである。
時に源闢元年、異界初の先進国たらんとする国家が遂に卵から孵化した。今はまだほんの小さな雛であるが、この雛はその身体には大き過ぎるような野望を背負っているのである。
平成三十年最初の投稿、如何でしたでしょうか。
第一帖本編はこれで完結です。
次話の閑話を挟んだ後、第二帖へ突入します。