第七十四話〜私に閑話が舞い降りた!〜
……金字塔の主人
「八咫烏、定例の報告を」
「はい、例の狩猟神へは連絡を行いました。神話体系の衝突などの混乱もなく、すんなりと終わりました。ただ……」
「ただ……なんですか」
「……異文化の理解って、かなり難しいものですね……」
聞けば、狩猟神を筆頭にその神々は人間から生贄を受け取っているという。蛙とかの類なら信濃の方でも例はあったが……
「……人の心臓ですか。荼枳尼天か何かみたいですね」
「他所の風習にとやかく言うつもりはありませんが、個人的には堪えました」
「此方には無い儀式ですからね」
異なる文化というのは、必ずしも自身の思考力で理解出来るものとは限らないのである。時にはこのように、理解の及ばない文化習俗も存在する。
「あの帝は、どう見るでしょうか」
「……実際に会わねば分かりますまい」
……新生大内裏
広徳二年、弥生。
治天宮の建設工事は着実に続けられ、いよいよ内裏を建設する工程に入った。
「……図面だけ見ても、よく分からんな」
「所詮は図面ですからねぇ。もっと詳細なものもありますが、あれは現場で使いますし」
陰陽尹は内裏建設のため、最後の覆奏に来ていた。内容説明として、聖武天皇に大まかな計画と図面を示しているところである。
「こう、完成予想図とか無いのか」
「出来ないことはないと思いますが、きっと余計ごちゃつくかと」
「ふぅむ……まあいい、これで進めよ」
「承りました。竣工予定は先程申し上げた通り、広徳三年の皐月か水無月頃であります。では臣はこれにて」
阿房宮や大興城に次ぐ治天宮は、この予定通りにその威容を誇ることとなる。
……東宮夫妻の一日
東宮と異国の皇女がついに結ばれ、皇女は東宮妃と呼ばれるようになった。東宮は正式に許昌府から還啓され、旧菅原邸で暮らすようになった。
東宮妃自身は、時々嘉寧の方に行啓される。自分の父母や兄弟姉妹達に会いに行くためだ。結局配流されなかったのが自分だけなので、負い目があるのだろうか。或いは単純に里帰りだろうか。月に一回ほどの行啓の後、一日の休みを挟んで家政に戻られる。
「仲が良いのは結構なことですが、殿下の惚気話を聞かされる身にもなって下さい」とは東宮職員の言である。「糖蜜とか砂糖でも吐きそう」「ずっと聞いてると胸焼けがする」等の報告も上がっており、その夫婦仲の良さが伺える。
寅三刻か四刻、遅くても卯一刻までに東宮起床、朝餉を摂って身支度を整え、朝政のため参内する。参内と言っても現状は朝堂院しか出来ていないので、朝政の後は聖武天皇と共に帰宅する。旧菅原邸は里内裏でもあるのだ。帰宅は大凡午三刻前後なので、間食を摂ってから残りの政務を執る。日没の頃に大殿油を付けて夕餉を摂り、政務を終える。後は自由時間であるが、東宮傅からの教育などが重なる場合もあり、あまり東宮妃との時間は取れていないと思われる。
「殿下、折角あの方と結ばれましたのにこれは悲しいと思いませんか。この私、東宮傅は悲しいですぞ」
「いや、まあ、そうだな。その内どうにかするよ」
聖武天皇が孫の顔を見られるのはいつの日やら。




