第七十三話〜勅裁と詔〜
……聖武天皇視点
例の王に再審を言い渡してから十二日。予定より少し長くなったが、結論が出たので大極殿へ呼び出す。殿へ、と言っても王は南庭までだが。
「陛下、結論が出たとのことで再び参った。如何様な結果でも受け入れることを約束しよう」
「感謝する。では、決を伝える」
懐から文を出し、読み上げる。書かれている内容は、勿論この王への判決文である。
「神孫の王よ、爾の行為は本来賊盗律の謀反条に掛かる行為である。然れども此方に大きな実害は無く、またその行為の理由も実無き物である。そこでこれは妖言に当たると認められ、同律の造妖書条が適当であると判断された。それによれば、爾は妖言を造りたる者であるから、その刑罰は遠流とする」
「……つまり、死刑ではないと」
「うむ。配流先は嘉寧、現地の良民として口分田を支給する。前職を考慮して特例により従は免除したが、他の民と同じように納税の義務がある。爾の妻も同じく配流し納税義務を課すが、爾の子等は希望制とする。爾の子は何人いるか」
「男子が二人、女子がタシェリトを含め六人」
「多いな。まあ良い、よく話し合って決めるように」
「……陛下の御心遣いにて、最愛の妻と共にいることが出来る。感謝申し上げる」
「朕は決まり事に従ったまで。疾く行くがよい」
結局、この王には流罪を言い渡した。本来であれば死罪もやむを得ないのだが、その娘が東宮妃となるのであれば、むざむざと首を落とす訳にも行かぬ。さりとて非法で律を曲げることは許されないので、最大限律に沿う形での解釈となった。若干苦しいかもしれないが、今後このような事は起きないだろう。
…………
審判の後、あの神孫王は衛士に連れられて阿免へ旅立っていった。一度阿免に寄って妻子と話し合い、その後妻や希望者と共に嘉寧へ行くのだという。その後の処理や諸々は、現状最も近い許昌帥に任せる手筈になっている。
そして王の出立から七日、大極殿南庭には文武百官が勢揃いしていた。白面を付けた式は一人も確認出来ず、全員が生身の人間であった。誠に壮観な眺めである。
「詔する。この都から天下を治めて十六年、この世界の隅々まで徳化が進んだ。民という民は皆朕の威光に浴し、皇祖神の恵みを享受している。この状況下でありながら、此処は未だに〈帝座す宮殿〉の扱いである信楽宮と呼ばれている。徳化の現状を鑑みるに、そろそろ此処を京としても良かろう。よって、信楽宮を改め『治天京』とする。治天京は万代宮であって、ひいては日本の永久の都である」
公式には広徳元年六月格やら京都制定法やらと呼ばれるこの詔によって、この世界の徳化は完了したと言えるだろう。
この畿内に始まって西川道西陸道東洋道と徳化して行き、最後にあの砂漠の地にも徳の光を齎した。今後東西に広がる大海の向こうに新地でも発見されない限り、この世界は遍く全てが徳化されたと断言出来よう。
時に広徳元年、治天紀元十六年の水無月二日であった。




