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第七話〜都を都足らしめる物〜

 最早日の出と同時に起きるのが習慣となってきた今日此の頃である。無論悪い事は無いので続けることとする。

 単衣から束帯に召し替え、朝餉を軽く摂る。今日は色々やるだろうからもっと食べたい所ではあるのだが、道真が〈税収が見込めるまで緊縮策に舵を切ります〉などと上奏して来たのである。余りの迫力に、さしもの聖武天皇も吞まざるを得なかった。

 朝餉を摂り終えた彼は、大極殿へと向かい今日やって来るだろう使節を迎え入れる準備を進める事とした。


 …………


 その状況を一言で例えるなら、それは望まない喧騒であった。大極殿前広場は混沌を極めており、式どもが右へ左への大騒ぎである。全く見当もつかないので丁度近くにいた兵部卿に聞く事にした。


「兵部卿よ、この混沌の訳を報告せよ」

「これは陛下。実は京外に出した斥候が、此方に進軍して来る軍を発見しました。総数は千五百前後と報告がありましたので、危うげ無く迎撃出来るかと思われます」

「そうか、分かった。今日は来客の可能性があるから、なるだけ羅城から離れた所で迎撃して欲しい。出来るかね」

「陛下の命とあらば、やって見せましょう」


 彼はそう言うと、近くの式に指示を出した。その式は武装待機していた式の群れへ指令を伝え、軍勢が隊列を組んで走って行った。元より疲れを知らない物であるから可能な挙動であり、人間にやらせたら直ぐに駄目になるだろう。

 丁度その時、羅城門の方から人型の形代が飛んで来た。恐らくは陰陽頭の物であろうか。其処には簡潔に報告が記されていた。


 〈来客来たる。用意し給え〉


 遂に来たか。内心楽しみにしながらも不安を抱えつつ、聖武天皇は命令を出す。


「来客は羅城門までやってきた。誰かこれを案内して、この大極殿前広場まで連れて参れ。他の者は広場の清掃と大極殿の用意を疾うせよ」


 彼のその命令一つで兵部卿と式とが一斉に動き始めた。兵部卿は来客を此処へ案内する為に馬で駆けて行き、式は命令にあった清掃と用意を淡々とこなしていった。


「陛下、神器をお持ちしました。どうぞお召し下さい」


 そう言って声を掛けて来たのは陰陽頭であった。


「卿は羅城門に居たのではないか」

「我が式神は形代を飛ばすくらい、造作も有りませぬ。それよりも、もう暫しで来客は到着する筈で御座います。陛下もご用意を」

「ああ、わかった」


 そうして彼は剣を佩き、鏡を首に掛け、勾玉を被り、高御座へと向かった。


 …………


 彼女は遂にこの信楽宮へやって来た。兵部卿がその来訪を伝える。


「陛下、彼の国の使節をお迎え致しました」

「うむ。苦しゅうない、通せ」

「承りました。皆様、此方へ。陛下の御前に御座いますが故に、無礼非礼の無き様にお願い申し上げます」


 聖武天皇の御前だと聞いて、彼等は持てるだけの威儀を正した。そして、此方で言う所の太政大臣級の人間であろうか、口を開いた。


「国王陛下におかれましては本日も……」

「朕は国王で無く、天皇であるが、今は御託口上は要らぬ。卿の目的を申せ」

「は、はあ、では。不躾とはお思いでしょうが、我等一同、陛下の御慈悲を受けとう存じます」


 望んだ通りの展開である。無論断る理由は無いし、そうなる様に色々とやってきたのだが、ここで少し揺さぶりを掛けてみる。


「朕が慈悲か。卿は我等一同などと言うが、卿等の兵卒がこの都へ、その剣の切っ先を向けている事への弁明は何とする」

「そ、それは……」


 推測するに、彼は未だに尊厳に固執している。故に国内離反の醜態をそうと言えないのだろう。聖武天皇がそう考えていると、他の者が口を挟んだ。見るに、長官級であろうか。


「それは我が方の兵が独断で行動しているに過ぎません。謹んで御詫び申し上げます」

「兵が離反していては国家としての体は保てまい。それで朕が慈悲をと良く言えたものだ。呆れを通り越してある種の感動さえ覚えた。褒めて遣わそうではないか」


 聖武天皇がそう煽ってみると、彼等の顔に青筋が見えてきた。自分だってそうなるだろうから当然である。

 彼等の怒りが遂に爆発しようとした正にその瞬間に、全く異質な……少女的などこか聞き覚えのある……声が響き、場を鎮めた。


「もう良い。お前達は下がっていろ」

「し、しかし姫巫女様!」

「なに、妾の心配なぞ要らぬわ。元より覚悟は出来ておる」


 どうやら発言したのは例の姫巫女であるらしい。先程まで後ろでしおらしくしていたのが嘘の様に、彼を目の前にして威厳に押しつぶされる事なく堂々と言葉を紡いだ。


「此度の我が兵の離反は軍頭領との意見の相違によって生じた軋轢であり、其方に発生した損害に関しては詫びるつもりである。その上で、どうか陛下の慈悲を彼等に掛けてはくれまいか」

「ふむ、面白い事を言う。では、卿は何とする」

「妾が身体と精神を、陛下に捧げ供物となろう」


 そう彼女が言い切った瞬間、外野が騒ついた。この考えに反対の様である。


「姫巫女様!余りにも無謀です!」

「その通りです!姫巫女様がどの様な扱いを受けるか、まるで分からんのですぞ!」

「一度発言を撤回し、御考え直しを!」

「黙れ!ならばお前達はより良い解決法があると言うのか?妾が身体を供御とせず、国を預けるに相応しい犠牲が、お前達には思いつくのか?つかんだろう。なれば、民を統べるべき妾が行かねばならぬ。元より、占術が鈍った段階でその腹づもりだったわ」


 これによって彼等は一気に黙った。傍目に聞いていても筋が通っている様に感じる。そろそろこの辺で良かろうか。


「分かった、分かった。卿らには中々面白い物を見せて貰った。安心召されよ、貴国は朕がしっかりと保護するし、其処な姫巫女は朕が責任を持って娶る事とする」


 聖武天皇のこの宣言には、今度は此方側が騒ついた。まあ、姫巫女を娶るなぞ今初めて言ったのだから至極真っ当であるのだが。


「陛下、いくらなんでもそんな突然……」

「正式に皇后へと据えるのだから良かろうて。それに、東宮の目処も立つから永い繁栄は約束されたも同然ぞ」

「しかし陛下には安宿媛(アスカベヒメ)様が……」

「確かに彼奴の事も好いておったが、今は此処に居ないのだ。考える必要は無い。兎に角、朕は宣言を撤回せんぞ」

「……陛下が其処まで言うのでしたら、最早何も言いますまい」


 これで話は纏まった。何やら姫巫女が不安そうな顔をしている。考えてみれば彼女も齢十三、四であり、適齢期ではあるが立場上そうも行かなかったのだろう。かく言う自分とても身体は十代後半であるし、その様な時代もあった。気持ちは良く分かるので、なだめる事にする。


「姫巫女殿も安心召されよ。決して、ぞんざいには扱わぬ。朕が妃として、ちゃんと責任を取ろう」


 やっと安心したのか、姫巫女は周りを和ませる様なへにゃっとした笑顔を見せた。可愛い。取り巻きの貴族連中も至極安心したようで、涙を流し合いながら喜びを分かち合っている。汚らしい。

 すると、小さく腹の虫が鳴く音がして、姫巫女が顔を赤らめて俯いている。可愛い。


「さて、諸君。双方話は纏まり、もう安心だ。そして時間的には昼餉である。卿等が良ければ、共に昼餉を頂こうではないか」

「陛下の御提言、大変有難く存じます。姫巫女様、ここは受けるべきでしょう」

「あ、ああ。では、その提案を受けよう」

「うむ。誰か、人数分の昼餉を持って参れ」


 すると間髪入れずに道真が配下の式と共に昼餉の膳を持って来た。こうなると分かって居て待機していたのである。

 聖武天皇からすれば余りにも久しい、大人数での昼餉は和気藹々とした雰囲気で心地良く過ぎ去って行った。


 …………


 姫巫女を内裏に案内し、貴族を道真に投げた所で兵部卿が報告に来た。


「陛下、彼の国の兵どもは皆悉く捕虜としました。我が方の損害は軽微で、式が二十体程消滅しましたが直ぐに復旧可能です」

「うむ、御苦労であった。捕虜は宮外の寺に分けて入れておけ。その後は式の復旧に努めよ」

「承りました」


 兵部卿は仕事を果たすために去って行った。これで彼の国は名実ともに配下に収まり、税の徴収が可能になった。細かい事は道真かあの貴族にでも任せるが、先ずは作物の確認と取れ高の集計をしなければ。

 聖武天皇はそんな事をあれこれ考えつつ内裏に戻ると、自室に誰かが居る。


「誰かある」

「ひゃっ!わ、妾に御座います……」


 見ると、姫巫女が十二単を身に纏い、若干震えながら其処に居た。産まれたての子鹿の様で中々に愛嬌があって可愛らしい。


「なんだ、君か。其処で何をして居るんだい」

「え、えと、その……伴侶とは斯く有るべし、と爺やが言っていたので……」


 爺やとはあの貴族のことだろうか。にしても何と健気なことか! 時代が違っていれば彼は鼻血を出して卒倒して居たろうが、そんな事は起きないのである……多分。


「焦らなくてもいい。君がどうあろうと、約束は守るさ。天皇の御位に誓おう」

「は、はい……」


 生前は様々な漢詩や大和歌を嗜み、天皇として恥ずかしくない教養を身につけて居る彼だが、今この時は語彙能力に支障をきたしていた。遥かな未来では「尊い」とか「よさみ」などと言うのだろうが、彼は一応八世紀前半の人間である故、今はそんな話を知る由も無い。尚、余談ではあるが、後日に陰陽頭がこれらの言葉を懇切丁寧に教えてくれている。


「そう言えば君の名前を聞いていなかった。何と言うのか、是非教えて欲しい」

「えっと……壱与(イヨ)、と言います」

「壱与か、いい名だ。ところでもう日が落ちた。夕餉を摂って、今日は直ぐに寝よう」

「寝る……殿方と……一緒に……」


 一体何を想像したのか、顔を完全に赤らめて俯いたまま動かない。小動物のようで癒される。ところで、彼女からは道真や陰陽頭の様な雰囲気を僅かに感じるが、考えすぎだろうか。

 蛇足ではあるが、この二人が最終的に深夜まで起きてあれこれしていた事は言うまでも無いだろう。

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