第六十八話〜撤退戦〜
……東宮視点
「……押領使、正面に砂煙が見えるか」
「はっきりと。恐らく敵でしょう」
「此方の騎兵は二千しかいない。ともすれば未曾有の大敗北を喫するかも知れない。どう思うか」
「砂煙の規模を考えると、相当人数が高速度で接近しております。隠密な撤退は不可能でしょうが、仮に交戦しても勝てるかどうか。献策としては、牽制しつつ退くしかありますまい。時間がありませぬ故、どうかお早い御決断を」
「………………採用する。撤退戦用意!」
実のところは、正面の敵を蹴散らしてさっさと蛮都を陥したかった。愛する者を安心させるためにも、早急に為すべきことである。だが押領使の言うことも至極尤もであり、もしここで我等が全滅すれば敵は真っ直ぐに嘉寧へ、そして許昌府へ迫るだろう。
「押領使、成る可く長く敵を足止めする方法はあるか」
「奴等は恐らく戦車でやって来ます。馬を脅せば、暫くは動けますまい。その隙に嘉寧へ退くのがよろしいでしょうが、もしかすると嘉寧で迎撃することに……」
「どうせ此処では戦力は足りない。座学で習った、兵法とやらにもあっただろう」
「では、そのように。殿下は後方へお行き下さい。そして撤退の先導を」
「分かった。……死ぬなよ、義経」
「殿下こそ、どうか御無事で」
押領使を先頭において後方へ戻る。戦闘が始まったら、速やかに退かねば命取りである。
どうか、先の会話が押領使との最後の会話にならないように。
……神王視点
「見ろ! 前方に敵だ! 総員、弓構え!」
「奴等で間違いないでしょうな。まだ距離がありますが」
「構わぬ、矢で敵の動きを鈍らせろ! 放て放て放てェ!」
疾駆する戦車から砂嵐のように飛ばされる矢の群れ。三千から絶え間なく飛ばされるそれは、敵にとっては悪夢であろう。
「矢を絶やすな! 休まず構えて放てェ!」
「……陛下敵が何か持って……」
「知るか! このまま蹴散らせ!」
この速度で斬り込んで行けば、そのまま通過出来よう。すれ違いざまに斬れば良い。
「止まるな、進め! 敵に矢の雨を!」
我等の戦車は無敵の戦車! 何者にも屈さぬぞ!
……押領使視点
前方、敵近づく。砂煙甚し。
「まだ大分距離はあるが、もう撃ってくるか。牽制射としては上々か」
矢の降ること雨霰の如し。されど未だ当たらず。
「では諸君、例の物を用意せよ。焦らず、着実にな」
手元のそれに火を付ける用意をする。距離的には百歩(約百五十米)を切るまでは付けない。
「あと一里(約四五十米)……五十歩……三十…………放て!」
合図で一斉にそれを投げつけ、同時に反転離脱。一応大丈夫なようにしてあるが、念の為である。
「上手くいってくれよ……」
……宰相視点
陛下は、眩いまでの情熱を持ったお方である。民衆の冨貴平安に対するその熱意は、様々な政策を通して民衆や国家そのものを豊かたらしめた。
だがそれは、裏を返せば、陛下は直ぐには止まれないお方であるとも言える。一度こうと決めたことは己を信ずるが故にやり抜こうとするお方であるから、悪い方向に行かぬ段階で我等が止めねばならぬ。
そして今まさに、陛下を止めるべき段階と言えるだろう。獲物を狙う隼の如く敵に突っ込む陛下を、命を賭してでも止めねばならない。
「陛下、流石に危険です! どうか陛下だけでもお下がりください!」
「ならぬ! あと少しで敵は退く! それまで攻撃を絶やしてはならぬ!」
こうなるとまるで話を聞いて頂けないが、此度ばかりは聞いてもらわねば。
「なりませぬ陛下! 奴等が何をしでかすか……」
そう言いかけたとき、前方に敵が何かを投げつけてきた。鉄球のようであるが、詳細は分からぬ。
「陛下、敵の不明兵器であります! どうかお下がりを!」
「ただ鉄球を投げつけて、然も当たらぬ! 虚仮威しにもならぬわ!」
敵の攻撃を、陛下はそう看做して尚も進撃して行く。止まるどころか減速の気配さえ見受けられない。
そして三度陛下をお止めしようとしたそのとき、敵の放った鉄球が大音量とともに爆ぜた。




