第六十六話〜嘉寧戦役〜
許昌府より西へ約二千里(約千粁)、嘉寧郡。先日より敵となった国の都との中間点と予測されているこの地にて、東宮率いる征西軍は前線拠点を構築していた。
「それにしても、よくこんな所に転移陣が都合良く敷いてあるな」
「何でも、先までこの地方を治めていた王が置いていたそうです。陰陽尹殿も大変驚かれておりました、殿下」
「では、あれは再利用品なのか」
「平たく言えば、そうなりますな。とは言え、そのお陰で二千里もの距離を、軍の支度を入れても一日と経たずに動けたのです。本来であれば二ヶ月掛けても良いくらいですから、非常に有利と言えましょう」
押領使の言うように、本来、歩兵の移動というのは長い時間を要する。人が一日で歩ける限界は六十里辺りだが、実際には休憩を幾度も挟まねばならない。地形や季節、気候や天気も考慮すると、長くても五十里が限界と言える。
それを尻目に二千里を省略したのだから、全く便利と言わざるを得ない。
「これでは、敵も用意のしようが無かろうな」
「正しく。今頃都を出たとしても遅いとは申せず、寧ろそれが標準です。十分な休養が取れ次第、進軍を……」
「東宮殿下に御報告ー!」
二人が今後の予定を話しているところへ、伝令が駆け込んで来た。
「敵襲であります! 東より出現、接敵見込は四刻後!」
「東だと! 使節と会うにも早すぎる!」
「殿下、兎に角号令を!」
全く大混乱である。先も言ったように、歩兵の移動には時間が掛かり、二千里ある嘉寧ー許昌府間を動くには一ヶ月から二ヶ月を要する。許昌府を去ってからまだ数日しか経っていない現在で、使節と接触することはまずあり得ない。
「総員、戦闘配置に! 全く、どういうことだ……」
……使節視点
「やはり、この道具は便利ですね。五十日掛かる距離が十分の一だ」
陛下から下賜された、氾濫神の像をしげしげと見つめる。神官の言うには、氾濫神の加護によって大河に起きる氾濫の如き速度を得られるのだと言う。
「これで奴等にも見つからずに帰還が……おや」
敵はまだ来るはずがないと思っていたが、正面に見えてくる都市はどうも戦の準備をしている。
「迂回したいのは山々ですが、出来そうにもありませんね。手持ちの戦力はお世辞にも多いとは言い難いし……」
本来の目的はあくまでも使節であり、戦闘は主体ではない。歩兵二千に戦車なしの編成は至極当然と言えばそうなのだが、敵とぶつかるとなると話は別である。
「……取り敢えず、応戦は許可しますが基本は通過です。ここへ立ち寄るのは諦めましょう」
敵の戦力が不明である以上、一戦交えるのは愚策である。陛下の兵を徒らに消耗する訳にもいかないし、何より自分が危ない。
「神像も魔力切れか何かで暫く使えませんし、大人しく逃げましょう。陛下は恐らくお怒りになるでしょうが、その時はその時です」
多分、そろそろ敵からの矢が降ってくるだろう。兵に盾の用意をさせる。目的はあくまで逃げ切ること。都市の攻略ではない。
無事に逃げ切れれば良いが。




