第五十七話〜裏切りと攻勢〜
……聖武天皇視点
彼の国からの来客を玄蕃寮に任せて暫し。玄蕃頭が報告にやって来た。陰陽頭に対応させる。
「報告を奏したく参りました。あの者は自らを〈亜保永戸〉と名乗り、陛下への拝謁を望んでおりまする。御裁可を」
「だそうです、陛下。如何なさいますか」
「対応せよと言うたであろうが。何故投げる」
「臣が陛下の御予定を決めて構わぬなら良いのですが。そうも参りますまい」
「…………場所は筑紫館か」
「正に。さて、臣は準備の為に罷りたく存じます。陛下と陰陽頭様におかれましても、なるべくお早めにいらっしゃいますよう」
「うむ、陰陽頭、装束疾うせよ。玄蕃頭は下がって良い」
筑紫館は数少ない、京域に無い中央管轄の施設である。主たる目的は外国使節の応対であり、玄蕃寮がこれを管理する決まりだ。
今回の人物……亜保永戸とやらも当然此処におり、会うにはこちらから出向かねばならぬ。宮域に外国人は入れない。癪だが、それもまた決まりだ。まあ自分の決めた事なのだが。
…………
信楽宮から出て幾らか離れた場所にある、筑紫館にて。
「陛下、お待ちしておりました。ささ、此方に。御簾で分けた向こうに敷物を敷いております」
玄蕃頭の示した方向には、確かに御簾で仕切られた空間があり、中に敷物が何枚か重ねられている。座ってみると、存外座り易い。
「よし。陰陽頭は御簾の前におれ。玄蕃頭は亜保永戸を呼んで参れ」
「ははっ。暫しお待ちを」
玄蕃頭が席を外し、少しの後男を連れて戻って来た。我等とも唐土の民とも、また生前の胡人とも違う不思議な顔つきである。
「アホエイトゥと申します。陛下に御目通り叶いまして、感涙に咽ぶばかりであります」
此処もやはり陰陽頭に対応させる。初めて会った外国人と帝が直接話し合うのは、流石に抵抗がある。
「亜保永戸殿、遠い所から良くぞ参られました。要件を聞きましょう」
「では、無礼を承知で単刀直入に申し上げます。私を母なる国の王として新たに御認め頂きたく存じます」
王位の僭称要求とその保証か。陰陽頭に問い質させる。
「……詳しく聞きましょうか。何故そんな事をなさるか」
「陛下の策略により、我が王の側近だったトゥイタトゥイが疑われました。彼は処刑され、私も疑獄の対象となったのです。我が王は猜疑心の強いお方ですから、己が疑えば何が何でも処罰するのです。その為、私は選択の必要に迫られました──大人しく疑われて処されるか、手が伸びる前に逃げ出すか。迷わず私は後者を選び取り、此処へ逃れて来た次第であります」
「ふむ。では王位請求は、追い付かれる前に王を倒そうと考えたのですね」
「ええ。我が王は執念深くもあります。私を見つける為ならば、此処まで迫っても来るでしょう。そうなる前に、私が陛下の庇護下で王を名乗り逆襲した方が良いのです。私の為にも、貴国の為にも」
「……だそうです、陛下。どうか御勅裁を」
面白い展開になって来た。この者は自身の王を捨て、この国への帰化を求めて来たのだ。我等が策略で嵌めた杙戈杙は、どうやら処されたらしい。彼には気の毒だが、お陰で此方は予期せぬ益を手に入れそうだ。
「良かろう。亜保永戸、卿を刃隈王と認めよう。これより先、朕が為に努力せよ」
「ははっ、有難う御座います」
我等の実行した離間計は、思わぬ成功を収めた。この勢いで彼の国の王──「元」王か──に膝を屈めさせよう。
……首長視点
「我が王、急ぎ御報告申し上げます。巨島から公船が何隻か消えておりました。恐らくアホエイクは、別所へ渡ったものかと……」
「何だと! クイカクイに続いて彼奴も……彼奴は何処へ向かった!」
「我が王、それに関しては言伝が御座います。アホエイクは自身の使用人を一人だけ残し、その者に言伝を残しておりました。彼は此方におります」
部下の脇には、あまり出来の良くなさそうな餓鬼が一人。あまり期待しないでおこう。
「我が主人より、我が王に伝言があります。……『我が王へ、アホエイトゥより申し上げます。斯様な形での御報告をお許し下さい。と申しますのも…………』」
後に続いた言伝を聞くに連れ、私の顔が綻んで行くのが分かった。アホエイクめ、やりおった。
「そうか、そうか。奴はそんな事を……」
これは面白い。実に面白いぞ。
「……我が王、別の報告が入りました。クイカクイの部下が……」
「良い良い。今は非常に機嫌が良い。許そうぞ」
これが実現すれば、そんな些細な事はどうでも良い。捨て置いて問題なかろう。
此度の戦、勝たせてもらおう。




