第五話〜侵略って、楽しいよね!(前編)〜
昨日と同じように日の出で目を覚ました聖武天皇は、衣冠に召し替えると同時に、女官に命令を下した。
「今日は彼の国に使者を派遣する。正倉院より勅封の一、二、四と遣うに見合う物を見繕い、用意せよ。使節団は兵五千を用い、使節団長は朕とする」
式は一瞬戸惑ったようだが、この内容を文に書き留めて、何処かへ向かって行った。恐らく道真に届けに行ったのだろうと考えつつ朝餉を頂く。今日も今日とて美味い朝餉であった。
女官に手伝われつつ禁色の束帯へと召し替えた後、天叢雲剣を佩き、首飾りと化した八咫鏡を首から下げ、冕冠に変更された八尺瓊勾玉──原型は留めていないが──を被る。こうして完全な正装に召し替えた所で用意された輿に乗って大極殿前広場へと向かう。
…………
広場に着いて見れば、既に用意が為されていた。兵五千の隊列が綺麗に組まれており、牛車もこれ以上無い程に絢爛に仕上がっている。聖武天皇の乗るものであるから当然ではあるのだが。
壮観な行幸列を眺めていると、道真が報告にやって来た。
「陛下、命令のあった勅封品は厳重に梱包して積み込ませました。国書が此方になります」
そう言って丁寧な装丁の為された文を渡された。
「聞くまでも無いだろうが、内容は何かね」
「昨日の文章をそっくりそのまま。あぁそう、あの魔道具は今日もお持ち下さい」
言われずともそうする。碌に会話も出来ないようでは叶わない。
「ではこれより隣国への使節行幸を実施する。陪従は安倍陰陽頭従四位下晴明とし、留守官に菅原右大臣正二位道真を任ずる。留守官に於いては、朕の居ない間都を守護せよ」
「承りました」
「陛下、どうかお気を付けて。相手は想像以上の蛮族やも知れませぬ」
兵部卿が心配してくれているが、使節を送る余裕はあるのだから問題ないだろう旨を伝えて牛車に乗り込む。
そして、列は静かに動き出した。
…………
一刻程経過しただろうか。馬上に居た陰陽頭から声が掛かった。
「陛下、防壁と思しき柵が見えて参りました」
「うむ、あい分かった。それと陰陽頭よ、卿の妖術を使って外の兵の面を外せはしないか。どう考えても不気味であろう」
「仰せの通りです。無論可能ですので、そのようにしましょう」
どうやら目的の国に着いたようである。外から会話が聞こえてくる。怒号と返答。前者は彼の国の門番で、後者は陰陽頭であろう。
「おい貴様ら、斯様な大人数で何のつもりだ!」
「昨日の使節に、今日参上仕る旨お伝えしている筈ですが」
「そうか、貴様らがあの村の奴らか。話は聞いている。通っても構わんぞ」
随分とまあ横柄な態度であるが、此方の事を碌に知らんのだから当然か。可哀想に。
そのまま暫く進んでいると列が止まった。目的の建物に着いたのだろうか。そう考えていると突然声が響いた。
「無礼者!姫巫女様の御前にて顔も見せぬとは何様のつもりだ!」
声を聞く限り、昨日の使節団長で間違い無さそうである。郷に入っているのだから郷に従うべきだろうな。取り敢えず降りながら答えてやった。
「様と言うほどでは無いが、昨日お話しした向こうの執政者だ」
聖武天皇の声を聞いた瞬間こそにやにやとしていたが、彼の姿を見た瞬間に少しだけ動揺した。そんなに珍しいものでも着けていたか。主な対応は陰陽頭に投げるとして、中に入る。
其処にあったのは、大きな祭壇と小さめの玉座のみであり、周りには男がざっと十二人。そして玉座には幼少の女子が座っていた。齢は十三、四程か。恐らくあの女こそが姫巫女と呼ばれ、里の宗教的且つ政治的指導者なのであろう。先に口を開いたのはその姫巫女であった。
「待ちわびておったぞ。して、国書の返事は何とする」
これに対応するは我等が陰陽頭である。
「姫巫女殿におかれては本日も御機嫌麗しゅうあらせられまして、結構な事で御座います。先ずは我が方からの賜品を御笑納頂ければ幸いです」
そう言って引き出されたのは荷台に積まれていた贈り物の数々。その中でも彼は梱包された箱に手を伸ばす。
「こちら、我が国に於ける伝統的な工芸品となっております。どうぞご覧下さい」
そしてその箱から出て来たのは、絹道舶来の品たる白瑠璃椀である。本来であれば伝統工芸でもなんでも無いのだが、当の国は別世界なので発覚する事は無いだろう。
姫巫女の顔は既に随分と色を失って行っているが未だ余裕がありそうである。陰陽頭は畳み掛けた。
「他にもこの様な品が御座います。併せてご覧下さい」
出て来たのは平螺鈿背円鏡と平螺鈿背八角鏡、そして紫檀木画狭軾である。最後の狭軾は聖武天皇の愛用品であるが、使わなくなっていたので正倉院にて勅封としたものである。
姫巫女の顔は完全に引きつっており、動揺を隠せないでいる。周りの貴族連中など見るに耐えない。
まずい状況だと思ったのか、貴族は震える声で姫巫女に訴えた。
「ひ、姫巫女様、彼等は己が技術を、み、見せた上で従うのではないでしょうか」
「そ、そうだ、貴様、返事を早う寄越せ」
「勿論ですとも」
陰陽頭は当然、快く応じてこれもまた彼等には到底成し得ないだろう装丁の施された国書を差し出した。姫巫女の顔は既に色を失っていたがそれが更に青くなっているのを聖武天皇は発見し、内心ほくそ笑んだ。
そうして未だに震える手で国書を読み始めた姫巫女は、顔に血の気を取り戻して行った。相変わらず手が震えているのは怒りから来るものであろう。あんな文面が叩き付けられたら誰だって激怒するだろう。姫巫女は勢い良く席を立ち詰め掛けた。
「貴様ら!斯様な国書を送っておいて、ただで済むと思っておるのか!」
「では戦を始めますか。先の賜品をもう一度吟味して、よくお考え頂きたい」
そう聞いた姫巫女は怒りが鎮まらず、納得のいかない様子で渋々席に着いた。頭の中までお目出度い訳では無いらしい。
「我々は返事を伝えました。正式な国交を結ぶなり、一戦交えるなり、どうぞお好きに延々と議論して下さい。では失敬」
そう言って立ち去っていく陰陽頭と聖武天皇を、姫巫女は引き留める事が出来なかった様なので、堂々と立ち去る事にした。
外に出て見れば日は天頂から少し傾いた程度であった。陰陽頭の告げたあの時刻はもう少しである。姫巫女の背後にあった祭壇は明らかに太陽神を祀っていたから、丁度良い具合である。そう考え、聖武天皇は口を開いた。
「この国の民草よ、よく聞くが良い。間も無くすれば、姫巫女殿の御祀りする神は怒りを示し、その姿をお隠しになるだろう。かの姫巫女殿が真の天孫たる朕に無礼千万を働きし故の神罰である。諸君らは朕と姫巫女の、何方が正しいかをその目で見る事となるのである」
其処まで演説をしたところである変化が起きた。先程まで雲一つない快晴であったのにも関わらず、辺りが暗くなって行ったのである。
無論、これは日蝕である。宣明暦によれば天徳三年に起きた日蝕に相当する。この時、聖武天皇自身は知る由もなかったがこれより前の日蝕は推古天皇三十六年のものであり、則ち三百年以上前の出来事なのである。普通に考えれば最早神話の出来事と言っても差し支えなく、彼等は当然初めて見るものである。
「あぁ、日が、日が……」
「姫巫女様は何も言ってなかったぞ!」
「げに恐ろしや、恐ろしや……」
「あの異人の言うように神罰であろうか……」
右へ左への大混乱である。騒ぎを聞いて駆けつけた姫巫女とその一行も、どうやら開いた口が塞がらない様だ。その情けない姿を見つけた者共が口々に姫巫女を責め立てる。彼女の宗教的権威は地に堕ちたと考えて良かろう。そろそろ日蝕の終わる頃合いと見て、可哀想な姫巫女を尻目に最後の仕上げに入る。
「おお、朕が祖たる神よ!彼の者は既に被支配階級より罰が下った!之を以て神罰を中止しその御姿を再び現し給え!」
太陽を仰ぎつつそんな感じの事を言ってみる。すると丁度、日蝕が終わって地上は元の明るさを取り戻した。もうやる事も無いので帰ることにする。
「では姫巫女殿。御返事、お待ちしております」
このように陰陽頭が言い放ってから牛車へと乗り込み、この国を後にした。
……後編へ続く
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