第十七話〜蝦夷併合事始め〜
隼人国統合から一夜明け、穏やかな日の光で聖武天皇は目を覚ました。
心身共に全くの健康体であり、精神力も十分である事が確認出来たので、ある事をしようと太政大臣を呼んだ。
「朕は今一度、召喚術を行おうと思う」
「……今でも十分だろうと思われますが、何故でしょうか」
「次に控える蝦夷征伐を考えた時、此度と変わって武力侵攻が主たるものになる筈だ。となると、やはり文官を官軍の大将に置くのは心許ない故、戦に長けた武士が必要だと考えた」
この言葉に嘘偽りは無い。先の隼人国統合に関しては、先ず外交的交渉が存在したが、今度は其れもせずにいきなり踏み込んでいくのだ。どちらかと言えば武士の方が表舞台に立つだろう。
「では護佐丸を使わないのですか。彼も琉球の武士ですし、先に於いても官軍総大将として多大なる戦果を挙げました」
「彼は使役魔の呼び出した使役魔故、長期的な安定はせぬと近江守から知らされている。長期出兵が前提にある本件には不向きぞ」
太政大臣はそれを聞き、難しい顔をして暫く俯いた。
「……成る程。確かに一理あります。しかしするにしても準備があります故、昼餉の後になるかと思われますが」
「構わぬ。手早く召喚術の用意をせよ」
「承りました。では先ず朝餉をお摂り下さい」
そこで初めて聖武天皇は自分が未だ何の準備も出来ていない事を思い出した。朝餉を摂っていないどころか召し替えさえしていないのである。
「ああ、すっかり忘れていた。では朝餉を持って参れ」
「はっ。すでに此方に」
見れば、簡単ながらも充実した朝餉が膳に用意されていた。
聖武天皇はこれをさっさと食べ、召喚術に備えることとした。
…………
昼餉も食べ終え、召喚術の準備は万端である。聖武天皇が大極殿の方へ向かおうとすると、奥から声がした。
「首様、召喚術を行うのでしたら、この妾も連れて行って下さいまし」
そう言ってお付きの女官と共に出てきたのは、十二単姿の皇后壱与である。
「だが、君は確か身籠って居るだろう。そう易々と外に出ては皇子にも母体にも障る」
そう、実は壱与はたった今、聖武天皇との子を授かって居る。暫く前から悪阻が始まっており、万が一を考慮して典薬寮直属の医師と嘗て壱与に仕えていた女官──壱与曰く「お祖母様のような存在」──を専属で付け、聖武天皇も駆けつけられるように自らの近くへ移したのである。
「私ならご心配は要りません。それに、医師が言うには〈少しは動いた方がより良い子が産まれる〉との事でしたので」
「……分かった。但し、気分が優れなくなったりしたら術の最中でも直ぐに女官に言いなさい」
「はい、承知しました」
結局、聖武天皇は壱与を連れて行く事にした。つくづく甘いと思いながら、牛車に揺られて大極殿を目指す。
…………
一連の準備が終わり、いよいよ実行段階となった。記録する用意が出来ていることを確認し、呪文を唱えあげる。
「現界の時来たれり。其は武を修め、知に長け、戦に優れし者。朕が勅命に応じ、此処に顕現せよ!」
魔法陣の光が収束し、人の形を作っていく。今回は、前回の近江守召喚時の様な光では無く、何時もの白色である。
やがてその光は、鎧を纏った猛々しい武人の姿となって輝きを失った。
先に口を開いたのは、聖武天皇では無くこの使役魔である。
「清和源氏が一人にして頼朝の弟、源従五位下左衛門少尉義経、お召を頂き参上仕りました。これより主上の使役魔として身を粉にする所存であります」
「成る程、非の打ち所無き立派な武士よ。朕が諱は首、卿を召喚した者である。早速だが、卿にやって貰いたい事がある」
「はっ、何なりと」
「卿を従四位下とし、征夷将軍に任じる。卿の全霊を以て夷狄を屈服せしめよ」
そう命じつつ聖武天皇は刀剣を義経に差し出した。これは節刀と呼ばれる物で、征夷将軍などにその証として授けるものである。任を解かれた際に返納する。
補足すると、征夷将軍とは、蝦夷征討の為に設置された令外官であり、後の征夷大将軍の事。その起源は和銅二年の陸奥鎮東将軍にあり、征夷大将軍となったのは延暦年間の出来事である。
つまり、聖武天皇は蝦夷国征討をこの義経に一任しようというのである。
「はっ。不肖この義経、謹んで征夷将軍の官職を拝命致します」
そう言って彼は恭しく跪拝しつつ節刀を受け取った。この時より、彼は源従四位下征夷将軍義経となったのである。
「征討の拠点となる城は二ヶ月後に完成する予定である。それまでの間、兵を育成しこれに備えよ。敵の詳細は兵部卿から聞くように」
「御意。では、失礼仕ります」
そう答えると義経は早々に兵部卿の下へ向かって行った。仕事熱心で何よりである。
それを確認した聖武天皇は内裏へと戻る事にした。勿論、壱与も一緒である。
…………
聖武天皇は部屋に戻り、まず人物図鑑を開いた。今回召喚した義経の頁を見る為である。
予想通り、白紙であった所に挿絵付きで解説が載っていた。
名前……源義経
種族……人(民間伝承では一部神格化)
官位……従五位下、左衛門少尉
概要……平治元年から文治五年の人物である。幼名は牛若丸。父の敗死で鞍馬寺に預けられるも平泉へ下り、藤原秀衡の庇護下に入る。兄の頼朝が平氏打倒の為挙兵するとこれに呼応し、数多の合戦を経てこれを滅ぼした功労者となる。後に頼朝の怒りを買って再び平泉へ逃れ、自刃。後世では蝦夷ヶ島へ逃れたと言う不死伝説が誕生する。
これを見るに、中々の知将であろう。そう確信した聖武天皇は今後の予定を考える。
東征決行は二ヶ月後であるから、それまでに具体的な作戦を練るべきだろう。生まれてくる皇子の為にぼちぼち準備もしなければ。神官共はその教義を把握しているだろうか。あと他には……
「首様、此方をお向き下さい」
後ろから壱与の声がする。考え事で頭がいっぱいであった聖武天皇は何も考えずに振り返る。
次の瞬間、聖武天皇の頰に壱与の指がふにゅっと刺さった。
「壱与、これは何だい」
「最近、首様は働き詰めです。太政大臣や兵部卿は人ならざる身だから斯様な無理が出来ますが、首様は紛れも無い人間です。今日はもう夕餉を摂ってお休みになるべきです」
壱与にそう言われ、聖武天皇ははたと気がついた。確かに彼は、ここしばらく忙しい立ち回りを敢行し、日々の睡眠時間は長くて一刻半であった。目の下には隈が出来ており、お世辞にも良い状態とは言えない。
「……成る程、確かに壱与の言う通りだろう。幾らかの仕事を省の大輔に分担させる事にする。しかし、休めと言う言葉は君にも当てはまろう。君とて休むべきだ」
「壱与は大丈夫で御座います。今夜は、どうかごゆるりとお休み下さいませ」
聖武天皇はこの申し出を断る気は全く無かったし、断りようが無かった。急に睡魔が襲ってきたのである。
「うむ、では君の言葉に甘えようか……」
そこまで言って、聖武天皇は脳と身体を休めるべく目を閉じた。
聖武天皇にしばらくの間膝枕を提供していた壱与も、次は自分が眠くなってきたので側仕えの女官に寝具の用意をさせ、就寝する事にした。




