第十五話〜隼人は燃えているか〜
……聖武天皇視点
聖武天皇の下に二通の文が届けられた。一方は尚真からの物で、蝦夷国境付近にて城塞の造営開始を報告するものである。もう一方は陰陽頭の物であり、其処にはこう書かれていた。
〈臣敵根拠地囲みて敵之を忍ぶ。されど臣必ずや族長を携え帰還せん〉
陰陽頭がそう言うのだから余程苦戦しているのであろうか。聖武天皇は成功の可否を考えつつ、陰陽頭に返書を認める事にした。
短く簡潔な文章を書き記し、彼が式としたのだろう鳩の脚に結びつける。
「お前は陰陽頭の下へと戻り、この文を確実に届ける様に」
そう命じて鳩を放す。術者以外の命令を聞くかは分からないが、問題は無いと彼は判断して、各地に置く政庁に関する話し合いの為に太政大臣の所へ向かう事にした。
……晴明視点
包囲してから暫く経った。既に穀倉破壊の段取りは決まったから後は実行を待つのみである。流れとしては実に単純明快で、則ち夜襲による焼き討ちである。可能ならば兵糧を奪い、我が物として利用する事も出来る。
夜まで待つのも暇なので、彼は捕虜の乗っていた馬から良いものを選び、飾り付けて自分で乗る事にした。
「……ふむ、この馬が良いでしょう。確か予備の土産が有ったはず……」
陰陽頭は、道中で賊に奪われても任務を遂行出来るように土産物の予備を作っていたのである。とは言っても、本来渡す物から幾許か拝借しただけであるが。
その中に丁度、金銀螺鈿馬具が一組あったのでこれを使う事にする。これだけでは少々物足りないので、脇で御旗を捧げ持つ近侍を左右二人づつ置く事にした。
その時、目の前に鳩が降りて来た。よく見れば彼が聖武天皇へ遣わした式であり、脚には文が結ばれていた。一瞬、失敗して戻って来たのかと思ったが、結び方が違うので聖武天皇が新たに結んだのだと考えた。
「さて、主上は何を記したのか……」
当人を示すかの如く厳格な文章の内容はこうであった。
〈卿が取るべき物は敵将の頸に非ずして、皇朝が存亡の可否也。頸取る事叶わば、其れ則ち本朝が福音也。頸取る事能わざれば、其れ則ち本朝が終焉也。卿能く之を理解せよ〉
つまり、必ず成功させろと言う命令である。無論陰陽頭は失敗させるつもりも無いので、心の片隅に留めて置く。
そうして色々とやっているうちに、日が沈み始めた。間も無くすれば決行時刻である。
「間も無く日が沈みます。疾う用意なさい」
周辺にいた使節団に指示を飛ばし、作戦の決行を待った。
…………
夜の帳は既に降りた。眼前に広がっているのはだだっ広い闇と満天の星空、そして赤々と燃え上がる敵の穀倉である。
偵察の結果、彼等は兵糧を一箇所に纏めていたので容易に襲撃出来た。見張りも殆ど居なかったのでこっそり無力化し、保存されている穀物を粗方頂いた。柵の中では火事を報せる様な鐘音が響いているので直ぐに気がつくだろう。
残るは、彼等が籠城の限界を感じ取って降伏するのを待つのみである。
「上手く行きましたな、陰陽頭殿」
話しかけて来たのは護佐丸である。
「ええ、後は彼等が屈するのを待ちましょう。敵の降伏使を受け入れる準備をなさい。念の為に戦闘用意もさせる様に」
「承りました」
陰陽頭の出す命令に従った護佐丸は、配下の兵を幾らか抽出して再度の隠密偵察に充てるようだ。
相手が動くのは夜が明けてからだろうと踏んだ陰陽頭は、牛車の中で暫く仮眠を取る事にした。
「私は暫し仮眠を取ります。何かあったら起こしなさい」
そう部下に命じて牛車に入っていく。
…………
明るさに目を覚ませば、既に朝である。日の差し込み具合から見るに、恐らく日が出てから少し経った程度だろう。
もそもそと牛車から這い出て、着衣着帽の乱れを直す。まだ動きが無さそうなので部下に報告を求める。
「何か進展はありましたか」
「陰陽頭殿、お早うございます。いえ、未だ何も動きは有りませぬ。彼方に陣中食ではありますが簡単な朝餉を用意したので、腹に入れておいた方が吉と思います」
「ふむ、一理あります。では、頂きましょう」
陣中食として出て来たのは雑穀の粥と漬物、塩焼きにした小魚であった。
正直なところ、薄味に感じて余り美味い物では無かったが、聞くにはかなり濃い目に味付けをしているのだと言う。気付かぬうちにも陰陽頭は精神を消耗して居た様である。取り敢えず軽く腹に入れて牛車のある本陣へと戻った。
丁度元の場所に戻ったところで伝令がやって来た。
「陰陽頭様、敵陣にて動きがあります」
「分かりました、直ぐに向かいます。近侍は準備なさい、これより敵陣近くに移ります」
「「「御意」」」
彼等は瞬く間に用意を整え、敵陣の近くへと場所を移した。
…………
明るくなると彼の集落の様子がよりはっきりと視認出来た。田畑の類は収穫され或いは燃やされ、其れ等を保存して居たであろう穀倉は木炭や灰の山と化している。
その中に於いて何か動きがある。白旗を掲げた十数人程の集団が此方へ歩いてくる。
「陰陽頭殿、彼奴らは何がしたいのでしょうか」
「少なくとも軍使である事は確かです。兵に攻撃を控える様命じなさい」
「承りました。総員、弓下ろせ!」
彼等が近づくにつれて徐々にその構成が明らかになった。総勢で十三人であり、旗持一人に兵十一人、そしてその中央に完全なる正装の族長が居た。
陰陽頭は彼等に用件を尋ねた。
「貴殿らの目的は何で御座いましょうか」
答えたのは旗持である。
「我が族長は己が同胞の被りし害を鑑み、これを成る可く少量ならしめんとして貴公らに伏するものである」
「では、全員武具を捨て置きなさい。我等と干戈を交えし戦士は皆捕虜として生きています。族長殿も捕虜として都に護送します」
「……分かった。皆鎧を脱ぎ、弓槍剣を置け」
全員が武装を解除した事を確認して、族長を陰陽頭が乗って居た牛車に乗せる。無論縄で縛っているが。
他は護佐丸に預け、陰陽頭自身は支度した馬に乗り、そして聖武天皇に報告の式を送る。
「……文面はこんなもので良いでしょう。これでやっと都に戻れます。陣の撤収が完了次第、都に帰投します。早う準備なさい」
近侍や部下に指示を投げ掛ける。そしてちらりと視界に運搬用牛車が目に入った。其処には穀倉から奪って来た作物が満載されていた。見た目は蒟蒻の様であるが、あれよりもやや丸い印象を受ける。抑も、あれ自体は加工しなければ食用として供されない。彼等はこれをどうやって食べるのだろうか。
「トハラタよ、この作物は一体何でしょうか」
「国使殿か。我々はそれを"マリショ"と呼んでいる。斯様に貧しい土地に於いても多量が収穫出来る作物であり、我等の主たる農作物として、特に南に於いては主食として栽培されている」
主食になり得る穀物で、しかも荒地にて栽培可能とは至れり尽くせりである。土地に恵まれない農民の救世主とも言える。
取り敢えず正体が分かった陰陽頭は、都帰りの道中に調理法や栽培方法などを聞き出していった。
……聖武天皇視点
陰陽頭から形代が直接飛んで来た。余程重大な報告であろう。一抹の不安を抱えながら聖武天皇は文を開く。
〈我が献ずるは敵将也。我が奉ずるは玉璧が如き大地也。我が奏するは繁栄の神勅也〉
不安など無用であった。恐らく陰陽頭が帰ってくるまでには二、三日あるだろうから準備を進めておくことにする。
「大極殿とその前庭を使う故これを用意せよ。また左京に東大神宮、右京に西大神宮を建立し経文神道に携わる神官を養成せよ」
国家は施策のみでは統一は難しい。民を纏める拠り所が有って初めて統一国家足り得るのである。その為に作られた新たな宗教の教義が提出されたので、これを教育して全国に神官を派遣する予定である。
「大極殿の調度を整えよ。敵首領を迎えるに相応しい舞台と成せ」
これだけ命じておけば大丈夫だろう。
聖武天皇は既に次の計画を考えていた。
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