第百五話〜化外絶無〜
広徳廿年五月、全土行幸は恙無く終了した。世界には隈無く聖武天皇の威光と恩恵が注がれ、王土の内に収まった。聖武天皇は、その行幸を以てそれを目の当たりにし、確認したのである。
卅五年続いた聖武天皇の治世も、間も無く終わりを迎えようとしていた。
…………
周りが何やら騒がしい。良く良く聞いてみれば、神祇官や神官が祈祷しているらしい。私の病床に伏せるを聞いた誰かが命じたのだろうが、如何に霊験あらたかな神とても我が輪廻を留めは出来まいて。
「…………誰か、そばにある」
「陛下、不肖この一条兼実以下、皆そばにおりますぞ」
すぐ近くから声がした。少し目を開ければ、見慣れた五人が見える。
「政務は誰が執っているか」
「太政官皆で回しております。どうか、御心配召されるな」
この声は……道真か。最期まで支えられっぱなしだったな。
「……そうか。朕は大神像を一目見たい故、壱与も呼んで支度せよ」
「しかし陛下、その御体調では……」
「所詮は長く保たぬ体よ。なればこそ、朕は行かねばならぬ」
「……承りました」
…………
境内では車に乗れないため、使役魔達に支えられながら杖を用いた。人払いは既に済んでおり、我等以外は誰もいない。
奉像殿に入り、倚子を用意させる。
「……兼実君、暫く、朕ら二人だけにしてはくれまいか」
「…………承り、ました」
言いたいこともあったろうが、皆それを飲み込んで立ち去ろうとする。
「…………兼実君、道真君、晴明君。それに義経君、尚真君。…………皆、今までありがとう」
返事は無かった。静かに、奉像殿の扉が閉められる。
目の前には、非常に大きく立派で美しい大神像が座していた。黄金色の神体は灯りを反射して屋内を遍く照らし、その細い目は冷ややかながらも慈悲を持ってこちらを見下ろしている。
「……実に、立派ですね。首様」
「……ああ」
思えば、長い旅だった。
こちらへ飛ばされ、訳も分からず力を伸ばし、王化を推し進めて……
我が臣下達と笑い、嘆き、悲しみ、喜び……
幾度も都を変え、疫病が流行り……
そして私は、この盧舎那仏を……
嗚呼、意識が遠のいていく。
これは……そうだ、これこそが死ぬ感覚だった。
「…………日本か。……何もかも、皆、懐かしい…………」
次回、最終回。




