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第百四話〜高山連綿〜

 南陸道の道府臨安府は元々王都の葛古に置かれていた。しかしその標高に由来する空気の薄さと交通の便の悪さから臨安帥が移転要請を奏上しており、最終的に東洋道に面しかつ理幕(リマック)川の流れる秦釜(パチャカマック)に移転された。ここには既に神殿などを中心とした集落が形成されており、居住に適していることは明らかであった。

 食文化や服飾は北陸道と大きく変わらず、習慣も乖離してはいない。言葉こそ相互に通じないが、王化以前に何らかの繋がりがあったことを思わせる。

 南蛮黍の他に絹把(キヌア)なる穀物も食べられており、現地においては重要な食糧源であった。肉類は馬とも羊とも異なる拉馬(リャマ)亜歯芽(アルパカ)があるようだが、儀式などの時にしか口にしないようである。晩餐においては惜しまず供されたことから、教化が思った以上に進んでいることがわかった。


 …………


 山脈を越えた東側はほぼ全てが鬱蒼と生い茂る森林地帯で、恐らく本土よりも蒸し暑いと考えられている。断定で記述しないのは、未だに調査隊を編成していない故である。現地人もあまり見かけず、また森林内で迷った際の道標が見当たらなくなる可能性を考えると、不用意な派遣も躊躇われるというものである。その為、西方洋沿いの各地に探索拠点ともなる都市を建造することとなった。あまり大きな声では言えないが、恐らく何代にも亘る一大計画となるだろう。



 南陸道から畿内への還幸を以て、聖武天皇の全土行幸は終了した。

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