第百一話〜大海無辺〜
開封府はかつて旧王宮のあった隈毘の谷に置かれていたが、あまり交通の便が良くないこともあって別の場所に移された。それが現在、東洋道最大の人口を誇る「浦宣」である。撰善言司の努力も叶わず半ば強引な当て字となったが、東洋道の中心かつ海洲の重要拠点兼貿易港として大興府や楼磨にも引けを取らない賑わいを見せている。嘗ては王の保養地であったこの地は現地語で「湧水の地」を意味し、最上の過ごし易さを齎している。
晩餐は魚介が中心であった。周囲を完全に海に囲まれたこの地ならではの魚も多く見受けられ、ともすれば本土よりも多様な味覚に聖武天皇は舌鼓をうった。同時に布楽と呼ばれる現地の舞が奉納された。本来は神前にて奉納されるものだが、行幸に際して特別に御前で舞わせたものである。異言語ながらその厳かさは言い得ぬものがあり、聖武天皇は大嘗祭の風俗舞に加えることを決めたようである。
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南方の巨島にも寄ろうとしたが、国府以外の官衙がほとんど無いこともあって断念された。ただでさえ明日も分からぬ年齢の聖武天皇を、何も無いところに行かせる必要を感じなかったためである。近海に珊瑚や硨磲が存在する旨が報告されており、七宝の内の二つであるとして重宝されている。現に本土ではこれらの輸入が盛んになっており、公卿からの需要が大であるという。
次の目的地は、南洋道の鎬京府である。




