92_少女と勇者と挺身の献身
ネリーは一瞬、自分の正気を疑った。
目の前の光景を――金属で形作られた四角い通路がある一点からぱったりと姿を消し、開放的な屋外が広がっている光景を――容易に理解することが出来なかった。
ほんの数瞬前、先ほど自分達が通ってきたときには……確かに壁と床と天井があった筈だ。その更に向こう側には小部屋があり、そこには壁面に梯子が据え付けられ、更にその梯子の先には歪んだ点検扉があった筈だった。
角の向こうで蹲っていた間に、それらが跡形も無く姿を消していたのだ。混乱するのも無理は無い。
いや、『跡形も無く』というのは些か語弊があった。それら壁や床や天井や梯子や扉があったという痕跡は、しっかりと残されていたのだ。
粉々になった……瓦礫という形へ姿を変えて。
「嘘、だろ……? おい何だコレ……嘘だろオイ!!」
「ぴゅぃ………きゅぃぃ……」
途切れた通路の端から眼下――大きく擂鉢状に抉られた山肌を見下ろす。此方をせせら笑うかのように明るく晴れ渡った空の下、しかしながら眼前の光景は……ある種絶望的な光景だった。
様変わりしてしまったその風景の中には――暴風から逃れるため距離を取っていたのであろう、遥か上空を哨戒する鳥遣いの眷属を除いて――動くものが何一つ存在して居なかった。
それは勿論、生物の類が見られないということであって。
先程勢いよく飛び出していった相方『勇者』と、愛しの白い幼女の姿もまた………何所にも見当たらないということであった。
「ヴァル!! ヴァルター!! オイ何処だ馬鹿勇者!!」
「ぴゅいーー!! ぴゅいいーーーー!!」
一も二も無く大穴の縁から飛び降り、足場の悪い中を巨大な陥没の中心へと駆けていく。
この惨状をもたらした元凶は何だとか、まだ周囲に危険が潜んでいるかもしれないだとか……そんな些細なことはどうでもよかった。それよりも何よりも、一刻も早く彼らの安否を確かめなければならない。
……常識的に考えて、彼らが無事だとは微塵も思えなかった。
今この場に敵の姿が無いのが、何よりの根拠である。……周囲の地形もろともヴァルター達を消し飛ばし、満足して何処かへと去っていったのだろう。
理屈では、わかっていた。彼らの生存は絶望的だと。見つかるわけが無いのだと。
そもそも周囲がこの惨状である。亡骸の一部、指の一本すら残っていない可能性さえ大いにあるのだ。そんな状況で闇雲に探し回るなど非効率的過ぎる。あるかどうかも解らない亡骸を探しつづけるなど……愚かと言う他あるまい。
……だが。……それでも。
「ちくしょう……! ヴァルタ――!! ノートぉ――!!」
諦めたくは無い。人族の最高戦力『勇者』の喪失は、遅かれ早かれ人族の滅亡に繋がるだろう。
魔王の復活も囁かれ、魔物たちの活動も活発化しているこのご時世。それに加えて今回の一件……正体不明、しかしながら危険度はデタラメに高い敵性体。
ヴァルターでさえ勝てなかった存在に、烏合の衆が敵うはずが無い。
彼を諦めることはすなわち……人族の存続を諦めることに他ならない。
既に彼という存在が消滅していたのなら、その時点で人類滅亡への道が確定。
万が一にでも生き残っていたのなら――彼の生存を確認できたのなら、限りなく細い道ではあるが――人類存続への道は……まだ途切れはしない。
……探し出さなければ。既に人族は背水の陣、どうせ他に道など無いのだ。
勇者の付人たる長耳族の少女は、いつ終わるとも知れない必至の捜索を続けていった。
………かに思われた。
「――――――」
「……ん?」
何かが、聞こえた。
一瞬だったこともあり、幻聴かとも思った。ここ数日の心の安らぎであったその声・その姿を、必死に求め続けていたばっかりに思考力が低下していたのかとも思った。
「ネリー様!! こちらです!!」
「!! アーさん? ………まさか!?」
ほんの微かな音、僅かな痕跡ではあったが――諜報員としての面目躍如とばかりに、アーロンソはそれを捉えてのけた。集音と視力に長ける捜査特化の眷属、納屋梟によって――その音の出所が捜り当てられた。
そしてアーロンソと眷属達に導かれ向かった先。擂鉢状と化した地形の低部……そこに埋まっていた物体は。
「これ……!! お嬢のっ……!!」
以前。白い少女が得意げに狩って見せた、古大蛇革による鞘袋。
滑らかな鱗面に彩られた真白の剣は、破壊一色の周囲の中で尚その姿を保ち……ひときわ異彩を放っていた。
この『破壊』に巻き込まれて尚、形を保っているものが在る。
それだけでも朗報、微かとはいえ希望であることに変わりは無い。
だが……それだけでは無いだろう。
他でもない、間違えようも無い彼女の持ち物。
それが此処にあるということは。
「―――ぁ、 ――――――ぁ―――ぇ、 ――――――ぁ――――」
「!!! お嬢!!? 此処か!!」
先ほどよりも確かに、しかしながら相変わらず微かな音を……ついに長い耳が捉える。
だが白い少女の愛らしい姿は……ネリーの周りには当然、無い。
………で、あるならば。
「お嬢待ってろ!! 今助けてやる!!」
「―――――? ―――――、――り――――――?」
周囲に見られないというのなら……下。腰後ろの双杭を引き抜き、地に突き立てる。砂礫を搔き分け、掘り起こし、岩の隙間に杭を捩じ込み、支点を作り岩を浮かせて蹴り飛ばす。アーロンソや獣人部隊の面々も集まり作業に加わり、しかしそれでもゆっくりと……少しずつ土砂の除去が進められていく。
その、最中。
「……ぴゅーぃ、……ちゅいっちゅちっ、ぴぴゅぴ?」
「あっ」
低空を旋回し、作業の行く末を見守っていたシアから掛けられた言葉に……ネリーが突如、呆けた顔で硬直する。
何事かと訝しむ一行を手で制し、しっしっと追い払うように手を振り、しかしながら尚も混乱する面々を直接周囲へと押し退け………
「…………足場作成。……在れ」
岩が、砂礫が、分解でもされるかのようにぼろぼろと崩れ、砂粒へと姿を変える。
かと思いきやその砂粒は集まり波打ち、まるで流体生物であるかの如く蠢き……ひとりでに周囲へと退いていく。
そうして手作業よりも格段に早く、大量の土砂が分解され撤去されていき……次第に穴の深さが増していき。
穴の深さが二mから三mに達しようかといったとき。
ついに……やっと彼女達は、現れた。
「………ぁ、……そん、な………お嬢……」
「んん、…………んい、ねりー。……あり、…………が、と」
まるで死んでいるかのように微動だにしない、意識を失っていると思しきヴァルターと。
彼に抱きつくように覆い被さり、可愛らしい顔を俄に歪めつつも……はっきりとした言葉を返したノート。
「お嬢……お前………ッッ!」
「んんー……? ね、りー……?」
「…………テオ。治癒符の用意を」
「……ああ」
ヴァルターの生存、更に意識のはっきりしているノートを目の前にして尚……ネリー達の気は晴れなかった。
……なぜならば。
華奢で儚い彼女を飾っていた衣服は、今や見る影も無く。
むき出しとなった小さな背や腿、脚を夥しい数の痣に汚され。
白絹糸のような髪は、痛々しいほどに鮮やかな赤で斑に染められ。
右の膝から先を潰され、思わず目を背けたくなるような壮絶な様相と化し。
疑う余地も無く、余すところなくボロボロの姿で。
「んひひ。……わた、し、……あるた、……まも、れた?」
ろくに力の入っていない、へにゃりとした微かな笑みを浮かべる少女に。
そんな悲惨な有り様でありながら……『まもれた』と嬉しそうに顔を綻ばせる、慈愛に満ちたその表情に。
その場の誰もが絶句し……掛ける言葉を見つけ出せずに居た。
ネタバレ:ちゃんと治ります。




