90_勇者と敗者と少女の加護
触れたものを片端から削ぎ、砕き、巻き込み侵しながら進む『破砕の暴風』。
幾重にも織り重ねられた風の渦に、奴の口腔内より放たれる攻性魔力の塊……『破壊』の力を乗せて放たれる大業。
ヒトなど容易く引き千切る程の負圧に、生半可な耐性では到底太刀打ち出来ぬであろう……『破壊』を秘めた魔力。
……到底、防ぎ切れるものでは無い。
わたしがかつて相対した際は、その理不尽な破壊力を遺憾無く発揮された。補助魔法を得意とする仲間に対魔法防御を幾重にも付与されて尚、あの侵食を防ぐことは出来なかった。
掠っただけでも肉を巻き込み削り取られ、逃げ遅れれば魔法銀もろとも手足をもって行かれる。
直撃すれば、塵の一つも残らない。
実際に……命を刈られ、痕跡も何も遺さず消された仲間も……少なくなかった。
………………………
よほどのこと……アレに対する『恐怖』の刷り込みが強かったのだろうか。
何度も何度も叩き込まれた心理的外傷じみた記憶がまざまざと蘇り、『剣』による通信魔法の一端によって……死をも覚悟したかのような悲壮な思いと共に、ヴァルターにも届けられる。
「ッ!? ぐ、ぁ…!?」
突如として頭に叩き込まれた『恐怖』の感覚に慄き、足が止まる。
だが仮に動けたとしても……逃げ切ることは困難であっただろう。眼前の少女の『記憶』の一欠片――先程頭に響いた死の予感、数多の命を粉微塵に粉砕してきた暴風が……今まさに我が身に降り掛かっているのだと遅まきながらに察する。
このままでは……ほんの数瞬後に自分も塵と化すだろう。頭では理解していながらも、しかしながら何も出来ない。既に放たれた暴風の槍を避けるには、遅きに失している。
もはやこれまでかと、自らの力不足に歯噛みした直後。
小さな衝撃と共に身体が崩され……小さな影が、視界を遮った。
「っ!! い゛……あ゛あ゛、あああ!!!」
「ノート!? お前何を!!」
立て続けに遅い来る振動と衝撃。到来した『破砕の暴風』が周囲一帯を砕き進んでいるのだと解る。
その狙いは寸分違わず自分たちに向いており、けたたましい破砕の音と砂礫が飛び散り転がる音が周囲全方向から響いてくる。
「ノート!! 退け!! 何してる!!」
「ぎ、っ……! んぎぃ……っ!!」
ヴァルターに覆い被さるように、まるで守ろうとでもするかのように……その小さな胸にヴァルターを抱き込み、力の限り抱きしめる。
愛用の剣さえも取り落として尚、離すものかとばかりに固められた小さな手。そこから続く彼女の身体は、かつて刻み込まれた記憶に従って細かく震え……弱々しいその身を殴打のような衝撃が立て続けに襲う。
砕かれた岩肌が、暴風に巻き上げられた礫が、容赦なくノートに降り掛かり、打ち据える。
「離っ、せ、ノート!! お前……!!」
「だま、……うご、くな、げぼく!!」
……気のせいでは無い、大気が薄い。
恐らくは気圧そのものが極端に搔き乱されたせいだろうか。意識は遠のき、四肢に力が入らない。
自らを庇う小さな少女を庇わんとするも、ヴァルターの両腕ごと抱き込む形でしがみ付く少女を振り解こうにも……引き離すことは敵わず。
「わた、しが! ゆうしゃ、まもる、から……!!」
その双眸こそ、目にすることは叶わなかったが……並々ならぬ熱意を湛えているであろう、その力強い口調。
暴風の槍が消失し、粉砕された山肌だったものが崩れ降り注ぐ中。
梃子でも動かぬ意志のもと、全身全霊でしがみ付く少女の安否を気遣いながら……
「ある……、た……っ!」
極端な気圧変動、ならびにノートによる極端な締め上げにより……
ヴァルターの意識は塗り潰された。
………………………
………………
どれだけの時間が、経過しただろうか。
気づけば周囲の音は止み、
視界は暗く閉ざされていた。
すぐ目の前、気を失っているのだろうか微動だにしない青年の呼気以外に、近くに動くものは見当たらずない。……というか、そもそも見えない。
わたしの背面には岩やら土やらが積み重なり、絶えず圧迫感を与え続けている。
恐らくわたしたちは……フレースヴェルグの齎した破壊によって生じたクレーターの底に位置し、周囲から降り注いだ岩や土やらがわたしたちの上に降り注いだのだろう。……考えるまでも無く埋まっている。つちのなかにいる。
わたしの前面に密着している青年の身体は………幸いなことに未だ熱を持ち、その胸は確かな鼓動を刻んでいる。
………彼が、生きている。
そのことが確認できただけでも、重畳だった。
頭部や胴体などの重要な器官は守った筈だ。手や足などの末端部ならば、たとえ折れていたとしても希望は残る。
アイナリーでは無理かもしれないが、首都などの重要都市には国直属の『治癒魔術師』がいる筈だ。彼の魔力が回復すれば鎮痛魔法も使えるだろうし、リカルド達に護送してもらえれば治癒魔術師のもとへ安全に辿り着ける筈。
……そうすれば、彼は元通り。助かる。
彼ほどの逸材をむざむざ使い捨てにする程、ヒトは馬鹿では無いだろう。
幸いなことに、上空のバカげた魔力反応は消え去っている。
わたしたちを殺したと思ったのか、はたまた最初から生死なんてどうでもいいのか……フレースヴェルグはとどめを刺さずに去っていったようだ。
単に運が良かっただけなのかもしれないが……逃走手段が無い状況であのバケモノと相対して、命があっただけでも儲けもの。
………よかった。本当に、よかった。
頬のあたりを、生暖かい液体が伝う感覚がある。
足が曲がってはいけない方向に曲がっている気がする。
彼の身体を抱き寄せ、今は彼の身体の下敷きとなっているはずの腕は……先ほどから感覚が無い。
それでも………良かった。
勇者が助かって、よかった。
この身体の耐魔法能力ならあるいは……とは思ったのだが、
………どうやらなんとか助かったようだ。
魔力、あるいは魔力によってもたらされた現象であれば、魔王印の対抗魔力を放出することで攪乱し、打ち消し、攻撃現象を無効化することが可能……らしい。
今回のような大規模な魔法現象に抵抗するにはそれなりの魔力を消費するようだが……そもそもが余している魔力なのだ。たかだか半分が消し飛んだところで、あまり痛くは無い。
……だが。どうしよう。
積もりに積もった土砂を搔き分けようにも、手足が満足に動かせないこの状況では現状維持が手いっぱいだった。身体強化で無理やり手足を動かすことも出来るだろうが、万が一周囲が更に崩落して……岩がヴァルターの頭に落ちてきたら目も当てられない。
周囲の土砂を衣服ごと表層硬化で吹き飛ばすことも考えたが……だめだ。それでは彼も吹き飛んでしまう。仮に背表面のみに表層硬化を展開すれば背中側の土砂は吹き飛ばせるだろうが……『どれだけの重量があるのかも定かでは無い土砂を吹き飛ばす』ことによる反作用が、一瞬で彼を押し潰すだろう。無抵抗な彼は一瞬でぺったんこだ。それではだめだ。
というわけで。
ほかにいい案が浮かばない以上、とりあえず現状維持に注力して救助を待つ。
表皮の内側に魔力外殻を形成し、更に魔力骨格で関節部を補強。自由度を犠牲にしてガチガチに固め、魔力のフレームで『なんちゃって張殻構造』を形成、とりあえず加重に耐える。……これならば彼への負荷も最小限に抑えられる。
この身体の魔力貯蔵量は相変わらず潤沢極まりなく、この調子ならばしばらくは我慢できそうだ。わたしの身体を使って、彼を生かすことは……なんとかできそうだ。
ただ……それでも先が見通せないのは、不安でしょうがない。
ネリーは優秀な女の子なのであまり心配はしていないが、出来ることならば……どうか早く助けてほしい。
わたしという構造材で保護された、身動きさえもままならない地中の空間。
幸いと言うべきか……わたしたちの周囲の岩石は大粒であり、それらの間にはそこそこ隙間があるものの。この空間が外気に続いている保障は、無い。
この微かな空気が底をつく前に。
彼が窒息してしまう前に。
どうか。
………どうか。




