87_記憶と災いと黄昏の大鷲
―――伝令個体、ラタトスク。
『伝える』『繋がる』『伝播する』能力を持ち、『交互に意思疏通を行う巨大な群体と化す』習性を持つ小型の魔物。
情報を、言葉を、意思を繋ぐことで集められた彼等の情報は、然るべき場所へと届けられる。
創世の世界樹を模した、複雑極まりない立体魔方陣で形成された誘導塔、十数世紀ぶりに再起動を果たしたその枝葉から延びる魔力回廊を通り………その場所へ。
空を駆け、雲を超え。長らく足を踏み入れる者の無かったその場所へと、ついに到達した伝令個体。
ついに到達した個体達によって……その場所もまた再起動が為され。
旧世界の勇者さえもが懼れた、形を成す災厄が……
千七百余年の時を経て、目を醒ました。
……………………
「り………りぃんふぉーす! いる!」
「ちょ、待!? ノート!!」「お嬢!!?」
遺跡どころか山脈全体をも揺さぶる衝撃から立ち直るや否や、先ほどまでの硬直が嘘のように……一目散に梯子を駆け上がっていったノート。今まで温存していた身体強化魔法を遺憾なく発揮し、踏板と壁との間をひょいひょいと駆け上がっていくものの……その表情に余裕は全く無い。
突拍子も無い彼女の行動に順応しつつあった保護者達であったが、さすがに今回ばかりは予想外であったようだ。我に帰ったヴァルターが反応したときには、彼女は既に遥か上。何が起こったのか定かではないが、どんな状況であれ彼女を一人にするのは危険だろう。
「アーさん悪い! 外見てくる!!」
「……私もだ。どう見てもヤベェだろコレ」
「あの、ちょ」
ネリー共々アーロンソに断りを入れ、自身の運動能力を最大限発揮して縦穴を昇っていくヴァルター。狭い縦穴が、垂直な通路が、一気に駆け抜けることの出来ない地形がもどかしい。自分たちがこうして手間取っている間にも、先行してしまったノートはとうとう地上に出てしまった。
ヴァルターの顔は既に蒼白、完全に血の気が失せている。早く、早く、早く。焦りだけが虚しく先行するが、肝心の手足は一向に速度を上げることが叶わずにいる。
縦穴の終着点、点検扉の先。今の地上は危険なんてレベルでは無い。
無尽蔵に押し寄せる翔栗鼠の群れ? そんなものはどうでもいい。そんな雑魚など問題では無い。
縦穴を駆け上がるために戦闘態勢を取ったヴァルター。
彼の感知能力――勇者の剣の能動探知は、
それの到来を告げていた。
先日、ボーラ廃坑の奥底……地中の奥深くで相対した、蟲魔の『女王』。
その『女王』に匹敵し得る、………いやそれ以上に強大な魔力の反応。
それが、すぐそこに来ている。
……………………
あ。
……あ、………ああ。
目が、あった。
わたしを、見ていた。
「……ぁ、……あぁ………」
蛇に睨まれた蛙、という話を聞いたことがある。
本能的に『勝てない』と解ってしまう相手を前にしたとき、身体が麻痺したかのように動かなくなってしまうのだ。
頭では動こうとしても、逃げようとしても、身体が言うことをきかない。逃げられない。
「う、そ。………うそ、…………うそ、だぁ……」
こんなはずはない。あっていいはずがない。
ここに居てはいけないモノが、なぜかここに……わたしの目の前に、いる。
そいつの暴力は、嫌というほど知っていた。
裂かれた腕、抉られた腹、貫かれた肩、砕かれた脚、遠い遠い遠い記憶――痛みと共に刻まれた記憶が、恐怖を伴い蘇ってくる。
わたしに傷を、痛みを、数多の破損を与えたそいつが。
脇目も振らず、わたしを見ている。
こんなはずはない。
あっていいはずが、ない。
……………………
「ノート!!? 無事……………な……」
やっとの思いで縦穴を登り切り、地上に這い出たヴァルターが目にしたそいつ。
荒れに荒れ、崩れに崩れた山肌を見下すように……堂々たる様で佇むそいつ。
彼は………本能的に『勝てない』と、感じてしまった。
「……う、そ。………これ、うそ……」
「なん、だ……こいつ………」
小さな身体を硬直させ、『うそ……うそ……』とうわ言のように呟くノート。
ヴァルターの抱いた感想も……それに遠かぬものだった。
人類の最高戦力、『勇者』ヴァルターが。
戦う前から『負け』を感じ取ってしまった、そいつ。
存在そのものが何かの冗談だと感じてしまいそうな、
尋常では無い威圧感と得体の知れない雰囲気を纏う……そいつ。
点検扉のすぐ目の前、ほんの数メートルから先の地面を……直径およそ十mほどに渡って大きく陥没させ。
彼の記憶が確かならば……そこにあった筈の、高さ五mはあった筈の大岩を粉微塵に、跡形も無く砕き飛ばし。
片翼の長さだけでも五mはありそうな、二対四枚の大きな翼を悠然と搏かせ。
余裕綽々とばかりに宙に浮かび、こちらを睥睨する……そいつ。
「ふ、れーす…………べる、ぐ……」
「…………………は……?」
呆然とするノートの口から零れた、消え入りそうな声に……我が耳を疑う。
遍く世界中に吹き渡る、およそ総ての風の源と言われ。
生者を啄み、死者を呑み込み、目に映る全てに喰らい付くと言われる。
巨大湖の真っ只中——『島』に跋扈し、その地を禁足地たらしめる『天災級』の魔物たち……
それらさえ遥かに凌駕する、『神話級』。
[………ヴァー、ルゥ]
「ひっ、」「嘘……だろ…………」
殺傷力さえ籠められていそうな、明確な敵意を伴う視線が。
『勇者』を、そして彼が駆け寄る少女を捉える。
巨大な鳥を模していながらも妙に表情豊かなその貌を……さも不快そうに、苦々しげに歪める。
[……グェム……デザェア…………ヴァ。……ストレ……………デェ、ザェア………]
故代の言語にて『黄昏の大鷲』の意を持つとされる唯一個体……『フレースヴェルグ』。
遥か太古の昔に存在したという、それこそ御伽噺の世界の住人でる筈の『神話級』の魔物。
[デザェア………エ、デザェア………………………シュタ、グェ、キィア………!!]
大気どころか空間そのものを震わせ、明確な破壊力を伴い砂礫を粉砕する程の咆哮を上げ。
暴風の支配者、黄昏の大鷲の四翼が翻った。




