85_少女と旅路と望まぬ帰還
「…………なんだ? これ……」
「……洞窟………じゃ、ないよな……どう見ても」
薄暗がりの中。沈黙に耐えかねたかのように絞り出された、ネリーの独白。
それは………(二名を除き)この場にいる者達の、ほぼ総意だっただろう。
九人がそれぞれ転がり込むようにして、今しがた逃げ延びてきた空間。
彼等の眼前に広がるのは、先程の赤茶けた――岩肌と砂礫ばかりの開放的な風景とは一転して、重々しく狭苦しく、そしてどこか物々しい風景。
黒鉄色の壁と床が続く……四角く縁取られた通路だった。
………………
暴風の壁の守りを得、雪崩打って押し寄せる翔栗鼠共を蹴散らしながら……先ほどシアが探し当てた痕跡――砂と小石が広がる一角に不自然に四角く盛り上がった蓋のような――点検扉のような四角い板へと歩みを進めたネリー。
通常人々が行き交う街道からは外れ、荷車も通れぬ岩場を越えた先であったが……暴風の守護により外敵の襲撃を防ぎ切れている今だからこそ可能な、道なき道への行軍。
「おい馬鹿ネリー! 何所行くんだ! 何があるってんだよ!」
「五月蝿ェ馬鹿! 私にだってわっかんねぇよ!!」
「なんだそれ!? この状況でよくもまぁそんな無責任な!!」
「文句言うなら出てけ!! シアあの馬鹿蹴り出せ!!」
「おいやめろ馬鹿! シア落ち着け! 悪かった、悪かったって!!」
幸いにして、一行に然したる不平不満が出ることなく。
先導するネリーに率いられる形で粛々と歩を進めていった。
そうして辿り着いた……蓋のような点検扉のような構造物。
近くで見ると一目瞭然、明らかに周囲の地形とそぐわない材質であった。
「扉……?」
「……のようだな。……開くのか?」
「あっ開いた」
「マジかよ」
ごうごうと渦巻く暴風の壁の向こう側、ぐるりと取り囲むように光る……夥しい数の魔物の目。
未だにこちらを窺いながら、時折自棄ぎみに突っ込んでくる翔栗鼠を見回し……(二名を除き)この場にいる者達の思考がほぼ一つに収束するのは、ある種自然なことと言えた。
「少々お待ちを。ルーア、頼む」
きゅるるる、と響く澄んだ鳴き声と共に……アーロンソの懐より一羽の木葉木菟が飛び出し、四角く縁取られた縦穴へと飛び込んでいった。
点検扉の大きさは縦横それぞれ五十㎝程度。地面に同化するように伏せられていた扉は、今や大きく口を開けている。どれだけの深さなのだろうか、半ばほどから闇に閉ざされた縦穴の底は伺うことが出来ず、壁面に設けられた梯子は闇の中へと不気味に続いている。
「……敵性体は……どうやら見られませんね。然程深くない地点で床があります。……それなりの小部屋のようです」
眷属の中でも夜目が効き、また危機察知能力の高い木葉木菟を飛び込ませて……暫し。
鳥遣いアーロンソの索敵により、とりあえず危険が無さそうだということが判った。
……であれば。恐らく結論は一つだろう。
ネリーとシアによって張られた暴風結界とて、無限ではない。高次の魔法式はこうしている間にも……彼女らの魔力を食い潰している。魔法の扱いに長ける長耳族とその眷族とはいえ、さすがに限界は在る。このままずっと結界を張り続けられるわけがない。
それに……本来の目的は翔栗鼠達の除去である。しかしながら実態は奴等の群れに翻弄されるばかりで、現状としては除去の手掛かりどころか……そもそもの異常行動の原因すらも掴めていない。
四方八方から襲い来る奴等を往なしながら、宛て処なく延々とさ迷い歩く……などというのは愚の骨頂。
安全地帯を設けられるのなら、それに越したことは無いだろう。
「……ということで、良いか?」
「良いんじゃねーの? さすがに少しダリぃ」
「む……是非も無いな」
「私らも疲れたぞ……早く休ませろ」
「ぴゅぴーぴゅぴー」
おおよそ満場一致で決定が下された、点検扉の中への侵入。九人はぞろぞろそろそろと……おっかなびっくり梯子を下り始めた。
……そして最後尾のヴァルターによって扉が閉められ、変わった形の閂が掛けられ。
「いいぞネリー。お疲れさん」
「っぷはー…………やっとか」
額の汗を拭うネリーのほっとした声と、立て続けに外から点検扉を乱打する硬質な音を背後に……一行は下へと降りていった。
………………
梯子を降りきり、床に足をつけ、ひんやりする鋼色の材で形成された小部屋へと集った、九人。翔栗鼠との連戦で疲労が溜まっていた一行は、各々どっかりと腰を下ろしていた。
色々と用意してきた野営の道具は今や……それぞれが背負っているものしか手元に残っていない。たっぷりと用意してきた資材や食料の類いは、麓の野営小屋に馬ごと置いてきてしまっていた。
……とりあえず様子見をと、軽い気持ちで出てきたのだが………このざまであった。
奴等の群れは規模も密度も予想を遥かに上回っていた。捕捉され襲われている以上、このまま引き連れて戻れば帰りの足が喰われかねない。
進むも地獄、戻るも地獄。どうしたものかとさ迷った末、安全地帯へ辿り着いたは良いが……手元に残る資材的にも取れる手段・残された時間ともに……多くは無いかもしれない。
各々が重苦しい表情で……それでも人心地ついた、
その矢先。
(オーヴ・ヘルシャー・スェグナー………エシュテ)
「んえ……?」
「ん? どうしたお嬢」
「…………んい……?」
なんとなく寄り掛かった、壁の一部。
もたれ掛かるなり突如頭の中に響いた音に、首をかしげる白い少女と。
なんの前触れもなく首をかしげ声を上げた少女を訝しむ……周囲の視線。
一同が疑問符を浮かべる中……渦中の白い少女に対し、さらに追い討ちが掛けられた。
(アレス・フェンクォース・ウィダーフェス・ノイシュタルテ・フェーア。……シュルトラート・フェアイガーク)
「は!?」
「な……」
「………え?」
「んえ……」
八者八様の驚愕が満ちる中。
普段は眠たそうに半ば閉じられている……無気力そうな瞳が大きく見開かれ……
白い少女にとって身に覚えの有りすぎる、一切の齟齬なく理解できてしまう言葉が脳裏に響き……
それの示す結果に思い至り、思わず身が強張るとともに。
旧世界の民の生き残り……『魔の王』の身体を持つ少女、
その眼前の扉が。
重々しい音を響かせながら……
千数百年の時を経て、ゆっくりと開いていった。
(ビリークステート………ディンティス。アノーマラーティル………………ディンティス。ステートスフィルス。ヴィルフォート・フォンクス・ディエスティア………リーズィ………リーズィ…………フェーア)
「待て、何だこれは。何だこれは……!」
「動いて………開い、た………? ……扉?」
「んえ………んええ………」
突如として、突然壁が動き出したことに驚愕する七人と……
突如として、脳裏に懐かしい言葉が届いたことに……混乱する一人。
(ネアヴィルフォート・ディアルフェーア・コーンター。
……ヴィルコーネンルィ、ドゥエーニフ・トゥエフ)
「………………とぅ、えふ………とえふ……」
空気を揺らすかのような、微かな音とともに……空間に光が灯った。
太古の遺跡、その心臓部が息を吹き返し……
奥へと続く通路が、ぽっかりと口を開けた。




