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08_お湯とお水と命の危機

 「ああ全くもう! 信じらんないわあの男共! こんな可愛い女の子をすっ裸で連れ回して! 罪悪感とか無いの!? 何とも思わなかったわけ!?」

 「え、エリーさん……落ち着いてください……この子怯えちゃってます……」



 目の前で二人の女性兵士が、何事か言い争っている。



 こわい。物凄い剣幕だ。これはマズイ、とてもマズイ。



 「とりあえず水張ったけど……さすがに沸かすの間に合わなかったわね……すっきりさせてあげたかったけど…」


 おそらくこの部屋は浴室。であればあれは風呂桶だろうか。中ほどまで水が張られた枡に手を突っ込み、ざばざばとかき回している。



 ……もしかして、お風呂に入りたかったのだろうか?

 入りたかったのに入れないのを怒っているんだろうか…?



 「ミナごめん、ちょっと釜元見てきてくれない? 沸かせるようならもう沸かしちゃえって。ていうか沸かせって伝えてくれる?」

 「わかりました。行ってきます。……ついでにその子、着れるものあるか見てきますね」

 「ごめん、そっちも頼むわー……たぶんしばらく掛かると思うから」

 「はい。了解です」


 …何かを頼まれたのか、女性兵士が一人出ていってしまった。




 残されたのは自分と、……たしか何人かに「えりーさん」と呼ばれていた、纏め役であろう兵士。

 やや赤みがかったブラウンの髪を後ろに纏め、気の強そうな鳶色の瞳には、困惑の様相が見て取れる。

 最初に引っ捕らえられたときにはもう数人居たのだが、ここへ連行される途中で『えりーさん』に色々と指示され、あちこちへと散っていった。


 ……恐らく、この『えりーさん』こそがここのボスなのだろう。俗に言う『女帝』というやつだ。これはとてもマズイ。ヤられる。



 「ええっと……これ、お風呂。お湯。わかるかな………『お湯』。『お、ゆ』」


 『えりーさん』は何かを考えるように顔をしかめたかと思うと、そう話し掛けてきた。


 「お、ゆ。お水の……ぽかぽかしたやつ。お湯。……わかるかなぁ」

 「おー、ゆ……? み………ぽかぽかし、や……ゆ………??」



 ……待ってください。少し待ってください。ええと…

 しきりにアクセントをつけて発している『おゆ』。それがおそらくは最も伝えたい単語。そして、風呂桶を指差しながら発した『みず』。多分風呂桶の中のものを示しているのだろう。



 「んー……えあ、んんー……………み、ず?」


 風呂桶を指差し、訊ねてみる。


 「そう! お水! おみず! わかるの!?」

 「お、みず? ………かる…? ………んんー?」


 返事にわからない単語が含まれていたが、『えりーさん』の表情を見るに、どうやら『おみず』で合っていたらしい。ということは『おゆ』は……この『おみず』に近いもの…? 『ぽかぽか』とは?



 「うーーん………やっぱ通じてるわけじゃないみたいね…どこの言葉なのかしら……」


 ……『えりーさん』が何か考え込んでしまった。

 待って。待ってほしい。まだ状況が少しも理解できていない。彼女は僕に何を要求しているのだろうか。考えなければ。今後の僕の行動が、そのまま今後の扱いに直結されると考えても過言ではない。下手なことはできない。


 「え、えあ……………いる、う、おみず。おみず。………お、ゆ? …んい………お、ゆ?」


 『おみず』はわかった。では『おゆ』は何なのか。何かヒントは貰えないだろうか。そう思い、おそるおそる訊ねてみる。


 「お湯? お湯はお水の暖かい……えっと………あたたかい……ぽかぽかするの……ええっと………うーん…」


 ……なにやら唸ってしまった。眉根に深い皺が寄っている。…ものすごく機嫌が悪そうだ。カンに障ってしまったのかもしれない。


 ………こわい。もうだめかもしれない。



 込み上げる悪い予感に恐れおののいていると、不意に水音が響き渡った。

 見ると、水を湛えた大きな枡……風呂桶の接する壁穴から、勢いよく水が流れ出していた。


 ………水?


 「あー! ナイスタイミングだわ!! ほらお姫ちゃんこっちこっち!」


 水の流れ出るほうへと手招きされ、素直に従い、近づく。すると肌に今までとは異なる湿気と……熱を感じた。


 「ほらこれ! お湯! これお湯! ぽかぽかするの!」


 なんだか盛り上がっている。とても嬉しそう。ご機嫌な『えりーさん』は僕の手をとり、じゃばじゃばと響く音の源へと導いていった。


 「お湯。わかるかな……お湯」

 「えあ…………お、ゆ? …………おゆ?」

 「そう! お湯!」

 「んいい………………やうす。おゆ」


 今触れている『これ』が、『おゆ』。……ならば。


 風呂桶の中に貯まっている、未だ温度の低いそれに触れながら、『えりーさん』に聞いてみる。


 「んい、……おみず?」

 「そう! 冷たいのがお水! すごい! もう覚えたの!?」


 なるほど、わかった。『おみず』の温度が上がったものが『おゆ』。ならば『ぽかぽか』とは温度か上がった状態を示す言葉だろう。



 つまり、やはり彼女は暖かいお風呂に入りたかったのだ。

 それなのに男性兵士が何か問題を起こして、お風呂に入れなかった。だからあんなにご立腹だったのだ。

 ではここで彼女に好印象を与えるためには。……自分の命を守るためには。


 『おみず』を、『ぽかぽか』にすれば良いのだ!





 「エリーさんすみません! 司令がお呼びです!」

 「え、ちょ!? こんなときに……!? 今じゃなきゃダメなの!? 今お姫ちゃんで手一杯なんだけど!」

 「えっと……その子の様子を伺いたいらしく………リカルドさんも心配されてまして…」


 突然駆け込んで来た女性兵士と『えりーさん』が、なにやら話をしだした。……すると次第に雲行きが怪しくなってきた。『えりーさん』の機嫌がみるみるうちに悪くなっていく。

 これはとてもマズイ。


 「あーもーわかったわよ……ごめんケリィ、代わりにお姫ちゃん見ててあげて。かなりいい子だから大丈夫だと思うけど…」

 「わかりました。……えっと、お湯はまだなんですよね?」

 「そうみたいね……今出始めたばっかだからまだ掛かりそう。ミナが着るもの持ってくるまでタオルか何か掛けてあげて。すぐ戻ってくるから!」

 「わかりました。行ってらっしゃいませ」


 ……何か非常事態でも起こったのだろうか。ボス自ら出向かなければいけないような。

 ともあれこれはチャンスだ。戻ってくるまでにぽかぽかにしておけば、『えりーさん』の好感度アップ間違いなしだ。





 ―――言うまでもなく非常事態の原因はノートであり、起こったというよりも現在進行形で大騒ぎであり、そもそも『えりーさん』はボスではないのだが、そんなことは知るよしも無かった。

 彼女の頭の中はぽかぽかで一杯だったのだ。




 「えっと……こんにちわ、お姫さま。…わ、本当に綺麗ね……あっ、ごめんね、怖がらないで。大丈夫だから、ねっ」


 ぽかぽか作戦のために気合いを入れたところ、先程入ってきた女性兵士に話し掛けられた。

 明るい栗色の髪をショートに揃え、ライトブラウンの目を細めて柔らかい笑みを浮かべている。…こちらに危害を加えるつもりは無いように見えた。


 「んい、……………………んいい…………」

 「あっ………えっと…言葉が違うんだっけ………どうしよう…」


 話し掛けられたものの、どうしたものかと答えあぐねていると、みるみるうちに女性兵士の眉が八の字になってしまった。

 ……困らせてしまった。どうしよう。ボスにチクられたら殺される。


 「え…えあ! のーと! のーと! めい、なー! のーと!」


 自分を指差し、必死に名乗る。今の自分に出来るのは自己紹介くらいだが、泣き言は言ってられない。なんとかして話を繋がなければ。


 「えっと……ノート、ちゃん?」

 「やうす! のーと!」


 やった。通じた。

 自己紹介は基本である。自分が名乗れば、大抵相手も名乗ってくれるはず。これで取っ掛かりは大丈夫そうだ。


 「わたしは、ケリィっていうの。…わかるかしら……ケ、リ、イ」

 「んい、…………け、に、い?」

 「……ふふっ、そうよ。ケリィ」


 シミュレーション通り。完璧ではないか。これで無事、お互いに名前は伝わった。ここから和やかな会話のキャッチボールが始まるのだ。そしてあわよくば好感度を上げ


 「お姫さま……ノートちゃんは、どこから来たの? ……えっと、お洋服とかは……無くしちゃった? ………その、ね…………恥ずかしかったり…しない?」



 ―――言葉が通じなければ、どうしようもなかった。





 「……あ、あえ……………あええ………」

 「…! あっ、ごめんね…! 寒かったよね? ちょっと待っててね!!」


 得意気な顔から一転して顔面蒼白、震えだしたノートを見て、ケリーはタオルを探しに脱衣場へ、その隣の洗濯室へと駆け込んでいった。

 一方のノートは希望を打ち砕かれた様相で、その透き通った瞳からは今にも光が消えそうだった。




 …マズイ。困らせた。失望させた。チクられる。殺される。どうにかしないと。どうにかして挽回しないと。殺される。好印象を与えないと。急がないと。早くしないと。殺される。急がないと。




 ――被害妄想で切羽詰まったノートは、当初の作戦を迷わず実行に移した。幸いにして、ぽかぽかにするための方法は心当たりがあったのだ。



 島で火種を作っていた、独学の魔法。

 それは『魔力』を『魔力』で一点に圧し固め、超高圧にすることで温度を上げ、物体の温度を燃焼温度まで強引に引き上げるという、極めて非効率的なものであった。

 ただその特性から『着火以外にも転用が利く』というメリットがある。事実、過去何度か身体を洗う際に利用していた。



 ―――それを、風呂桶に張られた水に対して使用する。


 縁から身体を乗り出し、水に両腕を肘までつける。風呂桶はそこまで深いわけではなかったが、何しろ身体が小さかった。……なんとか底に指を数本届かせたあたりが精一杯で、みっともなく脚を広げ、太股ふとももと膝とで縁を押さえて必死に踏ん張り、前に転がりそうになる身体をなんとか支えていた。

 浴槽の(ふち)が筋肉の薄いおなかに食い込み息苦しいが、泣き言を言っている場合じゃない。気合いを入れ直す。


 温める対象を見定めて、魔力を流して。

 同時に周囲の魔力を固めて、圧力を高めていく。

 少しずつ流す魔力を増やし、慎重に慎重に調整していく。目指すのはあくまで『ひとが温まるための温度』だ。沸騰なんてさせたらその場で釜茹でに処させるだろう。上げすぎないように、それでいて時間を掛けないように。慎重にいかなければ。



 そうして魔力を流し続けることしばし。風呂桶の中身が水からぬるま湯、やがて人肌、……そして適温になった頃。



 「……お姫ちゃん? 何してるの?」

 「んいいい!!??」


 ――周囲をシャットアウトし、意識を集中させていたノートは、唐突に響いた『えりーさん(女帝)』の声に文字通り跳ね上がり、




 「え……お姫ちょおおお!?!?」



 ―――あっさりとバランスを崩し、

 頭から風呂桶に飛び込んでいった。




 「ちょ……! ケリィ!! お姫が! お姫が落ちた!!」

 「えっ!?……いやぁ! ノートちゃん!!」


 ろくな準備運動もせずに水に落ちるなど、彼女の小さな身体にどれほどの負荷が掛かるか知れない。

 狂乱する二人が駆け寄り、ノートを引き上げようと手を伸ばし……




 「熱っ! ………………あつ……?」

 「………えっ…?」


 水ではない、ほどよい温度を保たれた『お湯』に気がついた。









 しばしの沈黙の後。


 「………エリーさん…お湯焚きって……」

 「……………まだ一刻も経ってないわ。沸く筈がない」


 つい先程まで『水』だった筈の『お湯』。

 身を乗り出し、それに今まで触れていた、彼女(ノート)



 ひとつの可能性に思い至った二人は顔を見合わせ、




 「………ぇぁぁ…………………」


 前髪から雫を滴らせ、

 湯の中に居ながら何故かぷるぷると震え、

 どこか怯えた様子でこちらを窺う、



 真っ白い少女に、視線()を向けた。



【お風呂】

風呂桶と呼ばれる大きな容器にお湯を張り、身体を丸ごと浸すことで身を清める、あるいは暖をとる装置。

一家に一台とまではいかないが、そこそこの規模の都市には、大抵公衆浴場が整備されている。

風呂桶と同じ高さに配置された、二本の管で繋がれた釜を熱し、温まった湯を循環させることで、風呂桶内部の水を温めるものが多い。

また規模の大きいものでは、別で暖めた湯を注入し、湯量と温度を確保するものもある。

併せて、膝ほどの高さに細く長く、浅い風呂桶を引き、

そこから手桶で湯を汲めるようにすることで、洗い場としているものもある。

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[一言] ノートには何時か自分の被害妄想に気付いた勝手に一人で悶えていて欲しい
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