62_悪辣徒党の唐突な終焉
――男は、少しは名の知れた狩人だった。
以前はとある国の兵士として、有事には命を懸けて戦った。近隣諸国との小競り合いが収まり、軍備縮小の煽りを受けて所属していた兵団が解散されたのを機に……気心の知れた同僚数名と共に狩人へ転身したのだった。
身体強化魔法を幾らか扱える男と彼の率いる一団はみるみるうちに頭角を表し、やがて一目置かれることとなった。
あるとき、彼らにひとつの依頼が舞い込んだ。
討伐対象は、茸型の魔物の上位個体……蝕煙茸。歩行菌類の中でも希少な……そして危険な魔物である。
生物にとって有毒となる胞子をばら蒔き、吸い込んだ生物を死に至らしめ、その死骸に菌糸を張り巡らせて増殖していく………かつては災厄とも言われた魔物である。
曰く、周囲に感染者と思しき影がないにもかかわらず、ある日唐突に出現していたという。恐らくは菌糸の張られた鳥が力尽き、墜落した地点に発生したのだろう……とは依頼者である村長の談。
物騒きわまりない魔物であるが、その胞子毒の抗体は既に出回っており、胞子そのものも目の細かい防塵布で殆ど除去が可能。的確な対処さえ為されれば、危険はそこまで高くはない。
……筈だった。
幸いにしてまだ胞子を放たない幼菌であったらしく、大した苦労もなく討伐に成功した。厄介な毒の胞子さえ無ければ、単なる茸の魔物である。軟らかく動きも緩慢な魔物を仕留めるのに然したる手間も掛からず、駆除した後に油を撒いて入念に焼却した。
……それが、いけなかった。
魔物というものは極稀に、『変異種』と呼ばれる個体が発生することがある。
一般の魔物とは姿かたちこそほぼ同一だが、表皮の色が異なっていたり、耐性や生態が異なっていたり……個体によっては新たな武器を備えていることすらある。
蝕煙茸といえども例外ではなく、そして不幸なことに彼らが討伐した個体こそ、体液に狂錯化の毒素を多分に含む……蝕煙茸の『変異種』であった。
成育の末には胞子と共に撒き散らされたであろう体液は、未だ体幹内にそのすべてが溜まっていた。
入念な炎によって焚き上げられ揮発した狂錯化毒は、蝕煙茸の棲家であった森じゅうに広まり……生き物という生き物全てが狂い、暴れ回った。
それは蝕煙茸討伐隊の彼らとて例外ではなく、
そして依頼主たる集落の人々とて、例外ではなかった。
狂錯した人間は、ただ暴れ他者を害するのみに留まらない。普段は理性に御されていた本能や欲求が堰を切ったように溢れ出し、ただただ自分の欲求のままに暴れ出す。
その結果もたらされたのは……殺戮と蹂躙、破壊と凌辱の地獄絵図。
やがて短くない時間が経ち、生き残った人々からやっと狂毒が抜けた頃。
ほんの数刻前まで長閑な集落だったそこに残されたのは、打ち壊された家屋と……未だ幼い子とて例外では無い、おびただしい数の屍。
生き残っているのはごく僅か………討伐隊首領をはじめとした数人の男と、狂毒に浮かされながら暴虐に曝され続け……度が過ぎた刺激に心を砕かれた村娘。
正気に戻った男たちは自らの行いに怯えるように……逃げるようにして、つい先程まで集落だった場所を後にした。
かつて討伐隊だった者も、かつて畑を耕していた者も、今や等しく……犯罪者だった。
そこからは、ひたすら外れた道を歩み続けた。野盗へと身をやつし、村を襲い、人を殺め、人品を奪い、……気づけばかなりの規模になっていた。
ついには彼らに対し、大規模な掃討作戦が行われるに至り、なんとかそれを掻い潜った者たちは船を奪い、巨大湖へと逃げ込んだ。
湖の魔物に怯えながらも漕ぎ続け……あるとき湖に向かってぽっかりと口を開けた洞窟を見つけた。
湖にぶつかるように、平野部を南北真っ二つに割るように連なる、荘厳な大山脈。
東西に延びる山脈を削り取るように口を開けた湖と、その断面に人知れず口を開けた洞窟………かつて栄えていた文明の遺跡でもあるらしいそこを発見した。
その内部空間の広さ、部屋数の多さ、堅牢さ、そしてなによりも隠密性の高さは、湖賊となった彼らが再び増長する大きな要因となっていた。
湖賊として調子づいていたある日、見張りから連絡が入った。彼らの本拠地である洞窟遺跡に侵入者が現れたのだという。
しかしながら……彼は別段慌てなかった。自らの武力に自信があったことに加えて、最近手に入れた便利な道具の存在もあったためだ。
しかも侵入者はたった三人。そのうち二人は女、しかもかなりの上玉だというではないか。
ならば簡単だ。あの道具があれば何も問題はない。昏倒させて身ぐるみ剥いで、一通り楽しんだらあとはいつもの通り。前回の戦利品に併せて纏めて売り払えばいい。まさに飛んで火に入るなんとやらだ。
何の危機感も抱かずに、彼は侵入者を迎え撃つよう指示を下し……自らは最近執心しているお気に入りの調教へと移った。
……………………………………
部下からの報告を聞き、まんまと回収した戦利品を前に、彼は満足げにほくそ笑んだ。侵入者の持っていた金は大量。消耗品は上モノ。そして極めつけは特級魔道具『白亜の剣』……それも完品である。ついでに剥いだ双杭のほうもなかなかに凝ったものだったが、この掘り出し物は桁が違った。
古代の遺跡から度々出土するこの剣型の魔道具だが、これ程の美品は見たことがない。持ち主の青年には気の毒だが、彼は適当なところで処分しなければならない。……剣が所有者登録さえされて無ければ、いつも通り奴隷として売り払う筈だったのだが。
しかしながら……働き盛りとはいえ男手の奴隷一人と完品の『白亜の剣』とでは………売値は雲泥の差である。
どちらを取るかと言われれば、勿論高値の付く方だ。
男の頭の中では、既に全うな人間としての倫理観は欠如していた。ただただ欲望のままに振舞い、奪い、犯す。そうして生きてきた数年間だった。
……しかしながら、このあたりで引退しても良いかもしれない。これほどの金があれば、これから先取れる選択肢は多い。いくら汚れた出自でも……これ以上危ない橋を渡らずとも、安全に生きられる場所はあるだろう。
降って湧いた収入に……狩りの成果に気を良くした彼は、来るべき実入りに心踊らせながら……うわ言のように許しを乞うお気に入りに覆い被さった。
……しかしながら、当然そんな未来は訪れない。
…………………………………
爆発音。
そうとしか思えなかった。
壮絶な音とともに重厚な鉄扉がひしゃげ、蝶番を引き千切り飛んでいった扉だったものが、洞窟遺跡じゅうに響き渡らんばかりにけたたましい音を打ち鳴らす。
絶頂直後の高揚感が一瞬で吹き飛び、胆の底まで冷えた男……湖賊の頭目は、蹴破られ吹き飛ばされた扉の向こう、そのあからさまに現実離れした光景に、言葉を失った。
自分の見たものが、信じられなかった。
「んい、……こん、ばんわ。……ぽーしょん、ください」
場違いも甚だしい、のんびりとした口調で言葉を発した……侵入者。
振り上げていた脚をゆっくりと下ろし、可愛らしく小首をかしげ、眠たそうな白銀の瞳でこちらを見つめる……小柄な人影。飾り気の少ないチュニックにレザーコート、灰青のショートパンツから伸びる脚は背丈相応に細く、そして儚げ。
頭の動きに追従するように、さらさと滑らかに流れるのは……淡い光を帯びたかのように煌めく、肩甲骨ほどまで伸ばされた白銀色の髪。
街中であれば、まず人目を引かずにはいられない。未成熟ではあるが、神秘的とも言える造形。
それこそ力ずくでモノにしたい程に美しい少女であったが………このような場、ましてや先程の事態を目の当たりにした直後とあっては……違和感以外の何者でもなかった。
頭領は思い出した。
部下からの報告にあった、侵入者三人。そのなかに白い髪の少女が居たという。
肉付きも薄く、乳も尻もロクに出ていないからと……女としては未発達だからと顔も見ずに部下に回したことを、今更ながらたいそう悔やんだ。
こんな上玉だと知っていれば……今頃自ら下していただろうに。
挿入ろうと挿入るまいと関係無い、力ずくで犯し、自分好みに調教していただろうに。
そこまで考え、やっと疑問が浮かんだ。
部下どもに回した筈の……ということは今まさにマワされている筈の侵入者が、ここに居る。
――何故、と思うと同時。頭領は傍らにあった白亜の剣の柄を掴み……自分には抜くことの出来なかった鞘ごと、侵入者へと全力で叩き付けた。
かつては恵まれた体格と身体強化魔法でもって、数多の魔物を打ち倒してきた頭領である。湖賊へと身をやつした今であってもその技術は現役であった。生半可な兵士や傭兵などには到底反応すら出来ない一撃が、一片の躊躇なく繰り出され……
「あぶな…………くなたった。……んいっ」
「ぐおォォオ!!?」
………しかしながら、相手が悪かった。
常人を凌駕する勢いで打ち込まれた剣を、余裕綽々と白羽取りして見せた少女。そのまま振り上げられた――何故か片側だけ剥き出しの――右の足先で柄を持つ手首を打ち据えられ………苦悶の声とともに手放してしまう。
しまった、と思ったときには……既に手遅れだった。
更に事態は…頭領の思った以上に悪化していた。
「……んい? ………んい」
具合を見るように鞘の抜けない剣をぶんぶんと振るう少女。やがて何事か合点がいったのか軽く頷くと、ぶつぶつと呟き始めた。
「んい。……おるさおーと、ゆーつぁ、えしゅて。……んん、………んい。……ゆーつぁ、なーめ……『どれとのーと、どらいつぇ』。…………ぎーべ」
しゃん、……と。
硝子で造られた鈴が鳴るような、静凛な音とともに……澄みきった純白の刀身が、あっさりと鞘から抜かれた。
「……んい。あの、なまえ。……きらい」
闇に薄く尾を引く白光を靡かせ、少女の形をした何者かが独り言つ。
こちらの一撃を難なく止めた、受け容れ難い反応速度。こちらの認識の外を行った、理解し難い速さの蹴撃。あちこちさ迷った自分ですら聞いたことがない、得体の知れない言葉。
そして……使えない筈の魔道具をいとも簡単に支配下に置いた……謎に包まれた手口。
そのすべてが、異様であった。
彼の身体は全霊をもって、警鐘を鳴らしていた。
「……んい。……んい。………ふね。ちょうだい。おおきいの」
「ふ………船……?」
仄かに光る刀身を照り返し、怪しく光る瞳に見据えられ……頭領は小さく悲鳴を上げた。
目の前のこいつは危険だと、戦り合えば確実に負けると、逃げなければと本能が告げていた。
しかしながらこの部屋の出口は一ヵ所。白く光る剣を下げた少女が陣取る、その一ヵ所のみ。窓は無く、そもそも大山脈の地下に築かれた堅牢な洞窟遺跡に屋外空間など存在しない。
つまりは……彼女を倒さない限り、逃げ場は無い。
「……わたしは、あなた、……きらいじゃ、ない。んん……だから、おめがい。……んいい、おれい、する。あとで、なんでも」
「何、でも……? いや待て! テメェ……さっきから何を言ってやがる!?」
「んい……うるさい、なっ」
――ずどん、と。
何の気なしに振り抜かれた右の踵が、眼で捉えることすら叶わぬ速度で扉の枠を殴りつける。それだけで金属製とおぼしき枠が歪み、アジト全体が俄に揺れる。響き渡った心臓に悪い破壊音に、頭領さえも思わず竦み上がる。
頭領のお気に入りの少女は……疲労か心労かあるいは恐怖か、いつのまにか気絶していた。
「……んい、ちがう。……いいから、はやく。……あんない、ある。だいじょぶ。……じゃ、おねあい、します」
虚空に向かい、長々と続けていた言葉を切ると……白い侵入者は一息つき、顔を上げて頭領を見据えた。
その目付きは鋭い……わけではなく、どちらかというと眠たそうな…穏やかさや安らぎすら感じさせる目許。
しかしながらその目は……頭領が今までに相対したどんな獣、どんな魔物、どんな処刑人よりも……頭領の身を竦ませている。
こいつは、ヤバイ。彼の本能がひっきりなしに、ただひたすらにそう告げていた。
「……そういう、もとで。わたし、いそぐ、ので。……んい。わたしたちの、ぜんぶ、かえす。……わたった?」
「は? わかア゛ォッ!?」
言うが早いか侵入者は動いた。いや、動いていた。
言葉を紡いだときには眼前に居た筈の侵入者は……瞬きの間に背後を取り、振り抜かれた白光が峰打ちでもって延髄を打ち据え………
頭領は全裸のまま、あっさりと意識を刈り取られた。
「……んい。わたし、かち」
長年ドゥーレ・ステレア湖周辺を脅かしていた、悪名高い湖賊一派。
それは実に唐突な、あっさりとした幕引きだった。
ほぼ単騎で奴等を壊滅させた少女は……苦々しげな顔で剣を見つめ、
「……んいい………あるたぁ………これ、ふつごう……ふぐあい? ふ、ふ、……ふ……ふしだら?」
可愛らしく眉根を寄せ、小首をかしげた。




