42_勇者と少女の後日談
……勇者は、塞ぎ込んでいた。
周囲の兵士や住民有志達。
彼らの険しい視線が……遠慮なく勇者へと突き刺さっていた。
正直、身内が罵られるのは……良い気はしない。
しかしながら……今回ばかりは仕方ないと思う。
………………………
ディエゴ先生の炎熱結界を突破し押し寄せる蟲を、片っ端から撃ち落とし続けること……数刻。
不意に、蟲どもの勢いが弱まった。
………いや、あからさまに奴らが戦闘態勢を解いたのだ。
若干疑いつつも、炎熱結界を解除する。
奴等にとって障害となる、熱の防壁を取り払うも……やはり攻め込んでくる気配は無かった。
こちらが無防備を晒しても、攻め入って来ない。
……そういえば断続的に響いていた地響きも、感じなくなって久しい。
これは……勇者が上手いことやったのだろうか。
最初の方こそ疑い半分だった推測は、しばらくして確信へと変わった。
背を向け駆け出し、しばらく経つものの……一向に蟲が追って来ないのだ。
であれば。一刻も早く勇者と合流すべきだろう。
……恐らくはそこに、愛しの少女も居る筈だ。
そうして坑道を下ること、暫し。
ついに、下から登ってくる勇者と……
その背に背負われた……純白の少女と、邂逅を果たした。
……思えば、そのときに察してやるべきだった。
他ならぬ私が、察してやるべきだった。
救出すべき少女を目の前にし、浮かれていたところもあったのだろう。私達は一刻も早く、地上へ戻ろうと決断を下した。
……その時点で、彼女の顔色は悪かった。
勇者曰く、蟲たちの親玉とおぼしき個体の討伐に成功したらしい。生き残りの魔殻蟲も、積極的にヒトを襲うことは無いそうだ。
そして……ノートも無事。少々顔色も悪く、勇者の背で身体を強張らせ、口数も少ないものの…………疲労と心労によるものだろうと、勝手に思い込んでしまった。
廃坑からの脱出を急がねばと、彼らを急かしてしまった。
坑道をしばらく登ったあたりで、前方から魔殻蟲の群れが向かってきた。……恐らくは地上付近の兵士達と競り合っていたであろう、群れ。
とっさに身構える私たちをよそに……奴らはむしろ私たちに道を開けるかのように、
……地中深くへと向かっていった。
ここで、ノートが騒ぎだした。
下ろしてほしいと。一人にしてほしいと。半ば泣き叫ぶような勢いで訴え出した。
……ついには下僕……勇者に対し、『命令だ』と口にしてまで、意思を通そうとした。
………だが、それは聞き届けられなかった。
このときの私たちの頭の中は、『一刻も早く彼女を地上へ連れ戻してやりたい』『彼女の無事な姿を、皆に見せてやりたい』で一杯だった。
勇者や私は勿論、ディエゴ先生までもが……全く同じ考えだった。
………誰一人として、過ちに気づけなかった。
次第に顔色が悪くなっていくノート。
私達は懸命に彼女を励まし続け、勇者は急かされるように速度を増した。
一分一秒でも早く、ノートを陽の光の下へと連れ帰れるように。
それが誤りであると、最後まで気づかないまま。
そうして、私たちのものとは違う声が聞こえ……
入り口から進軍していた兵士達と……アイナリー住民たちと合流できたとき。
全員の緊張が解れた……そのとき。
それは、唐突に起こってしまった。
幾人かの兵士達が持つ篝火のお陰で、明るさが保たれた地下空洞。
人々の歓声に包まれていたそこに、突如として微かに……だが確かに、奇妙な音が響いた。
それは……岩だらけの廃坑には、絶対に有り得ない音。
液体が滴るような……勢いよく溢れ落ちるような……水音。
勇者の動きが、完全に止まった。
……ディエゴ先生が、続いて気付いた。
…………そして私も……やっと気付いた。
ノートは………真っ赤になって震えていた。
そしてやがて……勇者の近くで歓声を上げていた兵士達も気づき始め……
そしてその情報は徐々に広がっていき……
あまりにもの羞恥心に堪えきれなくなったのか…
ついにノートが……自ら意識を手放した。
………………………………
数台の馬車を引き連れた、とある兵士の集団。
その隊列の中央付近……ひときわ厳重な警備に守られた、一台の馬車。
その周囲は、異様な雰囲気に包まれていた。
馬車の御者台に座るのは、整った顔を苦々しげに歪めた……歳の頃は二十ほどの、白い剣と黒鉄色の髪を持つ青年。
彼に注がれる、周囲からの視線は……冷たかった。
針のむしろに座る彼……勇者ヴァルターが御する馬車には、三つの人影が乗っていた。
全身に柔らかそうな羽毛を纏った小柄な影と、それに抱きつくこれまた小さな姿。……そしてそれらを見守る、長い耳を持つ人影……エルフ。
私とシア、そしてノートである。
ボーラ廃坑を離脱し、撤収作業を任された者やオーテルとの連絡要員を残し…一足先にアイナリーへの帰路についた、遠征組の一行。
その中には、心に深い傷を負った……ノートも含まれていた。
決して短くない軟禁生活のこともあり、当初は体力が回復するまでオーテルでの休養が提案されていたのだが……
本人たっての希望と、霊薬の服用によってか体力が回復していたことから……そのままアイナリーへの帰路へついたのであった。
…尤もこの霊薬の服用こそが、ノート大洪水事件の引き金の一つでもあったらしいが。
ちなみにもう一つの引き金を容赦なく引き続けた勇者は……ノートからのおよそ考えうる限りの罵詈雑言と、さらには周囲からの無言の圧力に晒され続け……今回の討伐作戦一番の功労者であるにも関わらず、牢へと送られる罪人のごとき面持ちであった。
自分にも責任の一端が無いとは言えない私にとって……彼を責めることも励ますことも思うように出来ない、複雑な心境であった。
本来なら、勇者を誉めてやりたい。
よくぞノートを救出してくれた、蟲の脅威を排除してくれたと……褒め称えてやりたい。
しかしながら衆目監視の下……考え難い辱めを受けた……
小さな貯水槽の決壊を大勢の人々に目撃されてしまったノートの手前……何も言うことが出来なかった。
……なんてこった。
これじゃあ……さすがにあんまりだ。
だからと言って……私には誰かを責めることはできない。
悪いと言えば……私にも非があるのだろう。
あのとき……ノートの異変に気づけていれば。
一人になりたいと言った彼女の……真意を察することが出来ていれば。
……いや、今更言ったところでどうしようもない。
仮定の話など、するだけ無駄なのだ。
今はただ…ノートを慰め、励ますことしか出来ない。
「……アイナリー戻ったら……ゆっくりと休もうな……」
「…………んぃぃぃぃ……」
シアの胸元に顔を埋めながら……ノートが微かに頷いた。
ノートにも、そしてヴァルターにも……心の療養期間が必要だ。
彼らがやっとのことでアイナリーに到着したのは、それから丸二日後の昼下がりであった。
華々しい戦果とは裏腹に……
その行列は、まるで罪人の護送のような…
沈みきった…異様な様相を呈していたという。
これにて一段落……なんとか辿り着きました…
ここまでお目通し頂き、本当にありがとうございます…!




