39_蟲と女王と千年の守人
寝落ちしました……!
零時更新逃しましたすみません……(2回目
魔王による支援魔法を受け……
予想通り踏み込みの加減を誤り、盛大にかっ飛んで行った勇者。
「『ああー………おお』」
わたしたちの声が被る。加減を誤り勢いよくぶっ飛んで行った勇者は――引き伸ばされた時間感覚による恩恵か、すぐさまバランスを取り戻し――壁に着地して勢いを相殺する。
ちょっと安心した。壁に頭から突き刺さったらどうしようかと思った。…ちょっとだけ見てみたくはあったが。
どうやらこの空間全体に、人蜘蛛による補強魔法が掛けられているのだろう。うまく衝撃を逃がせたこともあるのだろうが、あの勢いで着地したにしては……壁の崩落が全く見られない。
勢いあまって壁に衝突した挙句、空洞の崩落に巻き込まれて生き埋め……などという最悪極まりない結果は避けられそうだ。
……もっともそれはつまり。その補強魔法が掛かっている筈なのに盛大に床を砕いていた騎士型が、どれだけぶっ飛んでいたのか…ということでもあるのだが。
ともあれこれで勇者も解っただろう。改めて説明する手間は省けたようだ。
自身に付与された運動能力の高さに少々面食らった様子ではあったが……そこはさすが勇者。伊達に場数は踏んでいないようで、調子を整えるように軽く二、三度跳ねると……
そのまま軽く頷き……改めて構え直し、
騎士型へと跳んで行った。
「『おおー………』」
わたしたちの感嘆が、ハモる。
あの僅かな一瞬で……魔王の非常識なレベルの強化魔法に順応したのだろうか。
衝撃をうまいこと逃しつつ、見事に着地した勇者の背後。
騎士型の腕が一本。肩の根元から断たれ……地響きを立てて落ちる。
今まで涼しい顔で優位を保っていた騎士型も腕を断たれてはさすがに堪えたのか、金属ノイズのような甲高い悲鳴を上げたかと思うと大きく距離を取り、こちらを窺い守りを固めに入ったようだ。ヒトガタの爪と同様に、自己切断可能な刃とは違い…腕部分はそう簡単に再生できないらしい。
[貴………様。其の、力]
「……これなら……行ける!」
[………調子、に。乗るな]
腕の一つを断たれた騎士型の躯に、外部から魔力が流れ込むのを感じる。やはりこの身体の魔力感知能力は物凄い。魔力の流れやその源、そしてその魔力の色……何の力を秘めたているのかさえも解る。
魔力の出処は……人蜘蛛。その色は……硬化による支援。
他者の防御力を引き上げる魔法。それも……かなり高等な。恐らくは……繭玉を守っているのと同等レベルのもの。
「まあ……先に横槍入れたのは私だからね。彼女が手出ししたからって、それを咎められる筈も無い」
『あれ、こうか。すごい。……ゆうしゃ、かてる?』
「君にも解るかい? そうだね……アレはなかなか上等だ。私ほどではないが」
『あたりまえ』
しかしながら、先生をもってしても『なかなか上等』と言わしめる支援魔法。ただでさえ強力無比な騎士型に、そんな更なる力が加えられては……
「君は本当にアレがお気に入りのようだね? 安心したまえ。心配は要らないさ」
『ほんとう……?』
「当然だとも。あの剣は君のものなのだろう? 魔王の守りすら貫く、忌々しい刃だ。たかだか蟲の殻ごとき割れない筈が無い。……それに、彼には私たちが力を貸しているんだ。これで負けたら大爆笑だよ」
『………そっか』
であれば、心配は要らないだろう。あの騎士型は放っておいても片が付く。
物凄い速度で騎士型に飛び掛かる勇者を尻目に、わたしたちは跳んだ。
ならば。
……わたしが気になるのは、こっちだ。
[き、きき、きき………]
「……んい……んいい………」
人蜘蛛の近くへと飛び寄ったわたしに、あの子は警戒を顕にこちらを睨み付けている……ようだ。
可愛らしくも氷のような無表情は相変わらず、殆ど変化は見られない。しかしながら口から発せられるその声は、明らかに警戒を含んだ……威嚇の音である。
………当然だろう。
彼女にしてみれば、あれは双方同意の上での取引だった筈だ。多少契約内容を理解していなかったからといって、一方的かつ強引に契約を反故にしたのは、わたしだ。
………だって。蟲の女王とか産みたくないし。
いやじゃ、蟲の仔など孕みとうない。
なのでそれ以外で……何か補填できることは無いだろうか。そう思って彼女のもとへと赴いたものの……どうやら取りつく島もない。
[き、き、き、きき、きき………]
「ん……んい…………あの……」
今のわたしたちにとって、この子を下すことなど造作もないこと。文字通り赤子の手を捻るが如く、軽々と一蹴できるだろう。
……でも。それはなんか………いやだ。
はっきり言ってしまおう。
わたしは、この子が好きだ。
わたしに降りた先生の記憶で、知った。……この子は千七〇〇余年前の天変……わたしたちの引き起こした滅亡を生き延びたものの一人……まさにその子だ。
躯は何度か作り替えているようだが、その中身は……魂とでも言うべきものは、遠い昔と同じもの。
彼女は卵を産み、それを自身の魔力……守りの力が込められた糸で包み、頑丈な繭を造る。
そうして出来た繭の中……未だ目醒めぬ卵の中身を、極めて精密な魔力操作で自在に作り替える。
彼女の上半身、人を模倣したそこに備わる十本の手指は、そのためのもの。白く、細く、滑らかな指の一本一本が、魔力による精密な体組織操作のための器官。
そうして繭のなかで生育する個体に。出来あがった『器』に、中身…ヒトで言うところの『魂』を移し、そうして新たな個体を産み出す。
ときには従者を。そしてときには………自分自身を。
まともな知能を持たない、完全な蟲の魔物である魔殻蟲とは違い、知能を持つ蟲魔たちの上位個体……魔族。
滅びを乗り越え、途方もない永きに渡り、主を守り続けてきた人蜘蛛。
………それが、この子。
この子は千何百年もの間……転生を繰り返して来たのだろう。
………ただひとつ、主の目覚めを待ち続けて。
己が大切なひとのために、自分の身を捧げる。
そんなことの出来る子には……どうしても弱い。
『………大丈夫かね』
『………うん』
この子を殺したくは無い。可能ならばこの子の願いも叶えてやりたい。………だが、人としての尊厳を捨てることは……出来ない。
わたしが穢されることなく、その上であの子の望みを叶えることは出来ない。自身の保身か、あの子の願いか。……どちらかを、選ぶしかない。
『………なるほど。苦労するね』
『…ん』
わたしは、まだこの世界を諦めていない。
ひととしての生を、諦めたくはない。
背後で、ひときわ大きな地響きがした。
どうやら勇者が…騎士型を下したようだ。
仮にわたしが、蟲の繁殖のためにこの身を差し出したとして。また繁殖用の個体を産み出すところからやり直しになるだろう。
いくら身体が死ぬわけではないとはいえ……監禁が続くならば、遠からず心が壊れる。
わたしの身体には不適切な、あの凶悪な生殖器官を突き立てられれば……どう考えても心は、死ぬ。
この世界に、……彼らのところに、帰ってこれなくなる。
リカルドに、ネリーに、……ついでに勇者に、会えなくなる。
『………であれば、やるしかないな』
『……………ん』
かくごを、きめよう。
「勇者。繭を割れ」
私の声に、勇者の歩みが止まる。
「無敗の戦神は未だ顕在だろう。その力で以て繭を割れ。中に眠る女王を……殺せ」
「待……って、くれ。………君は……ノート、なのか?」
「……疑問も反駁も赦さぬと。そう言った筈だが。 ………物覚えが悪いようだな?」
わたしたちの身体からだだ漏れる異様な気配……殺気に、人蜘蛛はおろか勇者すらも竦んだのがわかる。まったく、おとなしく従っていればいいのに。
……今のわたしたちは、少々機嫌が悪い。
「頭の悪い君にも理解できるよう、丁寧に説明してやろう。察しの通り、私はこの子の身体に取り付いた……とても悪ぅ~い存在だ。私が顕れた原因は、何を隠そうその繭玉にある。………解るかね? その繭玉を潰さない限り、可愛いこの子は解放されないのさ」
嘘は言っていない。そもそも私は魔王……破壊と混沌を司る、悪の代名詞。私が呼び醒まされたのはわたしが願ったから。その根本の原因は蟲の主……この繭玉にある。
私は悪ではあったが、生涯誠実であったつもりだ。嘘を吐いたことは全く無いし、今回の手助けも同様。他者を嘘で煽動するなどということは有り得ない。
『………せんせい?』
『まあほら。私ってば悪だし?』
『………』
しかしながらそんな先生の言葉は勇者にとって衝撃的だったようで、例の表情…鳩が豆知識喰らった顔で硬直している勇者。
「ククッ………さあどうした? 勇者。貴様が女王を殺ねば、この子に安寧は訪れぬ。……そうさな、蟲どもの苗床とてもなって貰おうか? 可愛い顔を絶望と苦痛に歪め、延々とその胎を穢される様は……さぞ見ものだろうよ」
「貴ッ……様!」
「待てよ……それはさすがに勿体無いか? ……そうさな、破瓜の一番槍は貴様にくれてやろうか。見事初手で種を付ければ……そのまま貴様の仔を産ませてやっても良いぞ? 勇者の仔だ、さぞ優秀な手駒となろう」
「黙れッ! この外道が……!!」
呆然とした表情から一転。その顔を一気に怒りに染め、射殺さんばかりに睨み付けてくる、勇者。
『………危うく吹き出すところだったじゃないか。何だい豆知識って。本当に危なかったんだからね? ていうか若干吹いちゃったよ?』
『せんせい? いまの、うそ? だよね? わたし、なえどこ、うそ?』
『いやー良いねぇ………解りやすいねぇ、彼』
『……せんせい? ゆうしゃの、こ……うそ?』
「さぁ、どうした? 君に選択の余地があると思っているのかね? それとも……そんなにこの子の艶姿が気になるかい?」
[き、きき………やめて、します。 き、おね、がい]
これから何が行われようとしているのか。……そこに思考が届いたのだろう。
先程までの、もはや一方的な蹂躙……蟲たちの最高戦力であろう騎士型をもってしても勝負にならなかった、魔王の支援魔法『無敗の戦神』。
それを纏った勇者の矛先が……自分が千七百余年の永きに渡って、ただひたすらに守り続けてきた主に向かうのを……必死に止めようとする彼女。
[き、き、きき、お願い。 します、我々。 謝罪。 き、我々、します、お願い]
「………ギーニ・ティル・ヴィーガ」
勇者にすがり寄ろうとする人蜘蛛を、不可視の鎖が縛り付け……地に縫い付ける。自分よりも圧倒的に強力な魔力の拘束に、人蜘蛛は呆気なく叩き伏せられる。
もはや身動きの取れなくなったその身で、尚も前へ進もうと……主を救おうと、文字通り足掻く。
[お願い。 します。 謝罪、謝罪。 します。 お願い、お願い、お願い]
「どうした? 動きが無いようだが? 余程この子の孕れ姿が拝みたいと見える。……違うか? 犯したい方か? 見た目によらず幼児趣味か? 貴様」
尚も勇者を挑発する、私。
これは必要なこと。勇者に女王を殺させるために、必要なこと。
………あたまではわかっていても。それでも。
[お願い。 お願い。 します、謝罪。 お願い、します]
無駄だとわかっているのだろうに、それでもなお不可視の拘束に抗い……身体を軋ませ進もうと足掻く彼女を見ると。
『………辛い思いをさせるね』
『……………せんせい』
恐らくはわたしと同じ心境だったのだろう。何とも言えない表情で人蜘蛛を見詰めていた勇者が………ついに意を決したように、こちらを見据える。
「頼む。………一つだけ、聞かせてくれ」
「よかろう。答えるかどうかは気分次第だがな」
私はいかにも偉そうに返すが、わたしは知っている。……先生はちゃんと答えてくれる。
このひとは……質問をよくする生徒が、好きなのだ。
そんなことは知らないだろうが勇者は頷き、そして問うた。
「あなたは何故……女王を害そうとする?」
「知れたこと。彼奴が私の宝を……唯一無二の宝を、不遜にも奪おうとしたからよ」
「……つまり女王を殺せば………その宝は帰ってくるんだな? ……ノートも、無事に帰ってくるんだな?」
「一つだけ、と言った口が………まぁ良い。その通りよ。そこは保証しよう」
「………わかった」
勇者がついに繭に向かい、
…それでもやはり、気乗りしない様子で……構える。
「…………お前は……魔王なのか…?」
その口許が微かな言葉を発するが……既に質問の機会は失われている。こちらに対しての問いでもないのだろう。
よって見て見ぬ振りをする。答える義理もない。
[お願い。 お願い、します、お願い。 お願い。 します。 します、お願い。 お願い]
なかなか動けず……その頭の中では未だに葛藤しているのであろう、優しい勇者。
縫い止められた地面を掻き、脚先が割れるのも厭わず、情けを求め、勇者へと悲壮な懇願を続ける彼女。
だが……
[お願い。 お願い、助けて。 します。 助けて。 助けて、助けて、お願い。 助けて、助けて]
「………あーあ…坊やが。グズグズしてるから」
『えっ』
やれやれ、と言った様子で先生が口を開いた。
……その直後。
まるで空間そのものを引き裂くかのような、腹の底に響くように重々しく、それでいて甲高い、
……何かを引きちぎるかのような……嫌な音が響き……
………巨大な繭が、裂けた。
『お目覚めだよ。祈りが届いたんだろうね。……珍しい。あの眠り姫が』
『えっ』
それは繭を開くというよりも硬質な……巨大な卵の殻を破るかのような行為だった。
わたしには、いまだに繭を覆っている魔法が……人蜘蛛の掛けた防護魔法が未だ見えていた。
つまり奴は……女王はそれごと……
魔王ですら『なかなか』と評する防護魔法さえも、単純に力ずくで破っている。
勇者はそのことを理解しているのだろうか。していなさそうだ。
あほ丸出しの呆気に取られた表情で、その様子を……
女王の目覚めを、ただ眺めていた。
やがて繭殻の隙間から、巨大な鍵爪が姿を表す。それだけで勇者の腕…肩から指先までに匹敵する程の大きさの……爪。それに引き続き……ヒトの全長程の長さを持つ……前腕。
それが、二本。続けざまに姿を表した。
「愚か者め。馬鹿勇者め。幼女趣味童貞め。……こうなっては最早……貴様に贈る言葉など一つだけよな」
「………な、に?」
魔王の顔が、やれやれとばかりに苦笑を形作る。
見上げるほどに巨大な卵殻。縦に走った大きなヒビから……巨大な節腕が二本、にょきっと生えたかと思うと。
「……死ぬなよ?」
『えっ?』
分厚い幌布を強引に引きちぎるような……なんともいえない耳障りな音が鳴り響き……
ついに、殻を脱ぎ捨てた蟲魔の女王が……
全高は見上げるほどに高く、全長は更にその五倍以上は長大な、ただひたすらに巨大な体躯を誇る女王蟻が姿を顕し……
『………えっ?』
勇者が軽々と弾き飛ばされ、岩壁にめり込んでいた。
振り抜かれた女王の腕に……
果たして勇者は……全く反応できていなかった。




