34_夢と現実と一生の不覚
………さっきから、床が何度か揺れている気がする。
ついに毒による酩酊感が頭まで回ってきたのだろうか。身体だけでなく、とうとう頭までおかしくなってしまったのだろうか。
(……もうすこし、耐えられると……思ったんだけど……)
給餌された回数は……もはや覚えていない。時間の感覚はおろか、じぶんが今寝ているのか起きているのかすら曖昧になってきている。瞼を閉じても得体の知れない幻覚が映り、耳鳴りを通り越して甲高い音が断続的に脳裏に響く。
見えているもの、聞こえているもの、触れているものが現実かどうかも解らない。三半規管を始めとしたあらゆる感覚器がついに狂ったのか……とうとう動かせない筈の身体が、足元から崩れ落ちるような錯覚に陥った。
平衡感覚が狂い、衰弱した身体では到底自重を支えられず、そのまま膝が地面に激突するかのような幻痛。
重力に抗えず、引かれるままに倒れ落ちそうになった身体が、途中で急に制止するかのような……物理的にも、そして現状置かれている状況的にも、あり得ない感覚。
……ああ。やっぱりわたしはもうだめみたいだ。
こんなところで、こんなときに……こんな幻覚が見えるなんて。
この上ないであろうわたしの危機に
……よりにもよって勇者が、わたしを助けに来るだなんて。
そんな身の毛もよだつ程にタチの悪い幻覚を見るなんて、
どうやらいよいよ……わたしの死が、近いらしい。
幻覚の中の勇者が、おもしろい表情でわたしの顔を覗き込んでいる。
そういえば下僕…もとい、勇者には散々迷惑を掛けてばかりだった。照れ隠しを含んでいたのは否定しないが、ずっと辛辣な態度ばかりとってしまっていた。
……結局最後まで、碌な労いや謝罪の態度も示してやれなかった。
せっかく人々に好かれる、人々を思い遣れる勇者だったのに。
……わたしがなりたかったはずの、理想の勇者像だったのに。
でも……どうせ死ぬなら。最期くらいは。
わたしの夢の、幻覚の中でくらい……労ってやっても良いか。
けれども……口はまともに動かない。言葉は殆ど発せられない。
…………少し、いや…正直死ぬほど恥ずかしいが、どうせもうすぐ死ぬのだ。むしろこのまま労ってやれなかったら、
迷惑を掛けたままだったら……死んでも死にきれない。
幻覚の勇者が、その無駄に整った顔をわたしに近づける。よりいっそうおもしろい表情で。……今にも泣きそうな、整った顔が台無しになる表情で。
……距離が近い。今ならば。
鉛のように重い腕を全身全霊で持ち上げ、なんとか勇者の背に回す。そのまま重力に任せるように腕を落とす。
すると……勇者はわたしの腕で襟足を押し下げられ、
急激に接近した勇者の顔。
その首もとにしがみつくように……わたしの腕を交差させる。
わらえる。ちょうどいい位置に落ちてきやがった。……それもそうか、どうせ幻覚だし。
ろくに動けないわたしに表現できる手段は、これしか浮かばない。
勇者とはいえ、あいつも男だ。ぱっと見た感じ不細工ではなかった……はずの…………わたしが自分で見た限りでは悪くないと思っている娘にこんなことされて……嫌ではないはずだ。たぶん。……恐らく。
……というかそもそもがこの身体は、この顔は、親愛なる魔王のものだ。可愛くない筈が無い。愛らしくない筈が無い。
この顔と身体を不細工だと貶すならば……勇者を呪い殺さなければならない。
まあそもそも、こいつはわたしの幻覚がつくりだした幻。本人ではない。
……どうせわたしの自己満足でしかないのだ。たとえ勇者がわたしを心底嫌っていても、知ったことじゃない。わたしの気が晴れたから、わたしは満足だ。
……つかれた。もういいや。
直接謝れなかったのが心残りだが……仕方ない。
やれやれだ、と……二度と開くことのないだろう瞼を閉じる。
わたしは、ここまでだ。
せっかくいのちをくれたのに……先生、ごめんなさい。
それと……ヴァルター。……勇者。
迷惑ばかりかけて、ごめんなさい。
(つよく、なって)
ついに口に出せなかったその言葉を最後に、
二度と這いあがれない深淵へ……わたしの意識は沈んでいく
……………
……………………
はずだった。
勇者の首元を押さえつけていた腕を振り解かれ、口に刺激を感じた。
口内になにかが入ってきた。なんだかやけに明瞭な刺激だ。
どうやら液体のようだ。呼吸が出来ない。懸命に嚥下する。
脳内を侵食していた霞が、あからさまに晴れていくのを感じる。
石のようだった身体が、再び自分の支配下に戻るように感じられる。
周囲の音が、においが、振動が、はっきりと解る。
……わたしと密着している何者かの温かな体温が、はっきりと解る。
……………………………
…………………………………………うそだぁ……
おそるおそる……
『どうかネリーであってくれ』と祈りながら薄っすらと瞼を持ち上げ…
無情にも、嫌なほうの予想通りの顔を至近距離で確認し、思わず咳き込み突き飛ばした。
……いや、突き飛ばしたはずだった。
そもそも体格差のあり過ぎる相手を押し退けることなど出来る筈も無く、十歳児相応のの膂力すら無いわたしには、せいぜい勇者の胸に手を押し当て、ぐいぐい押すくらいしか出来なかった。
「………んいっ、…………んいっ」
しかしこの勇者重い。びくともしない。
ちくしょう。やせろ。わたしに覆い被さるな。
「ノート……!? 大丈夫か!!」
「……………だいじょ、ばない……ぶえええ」
死にたい。
どうしよう……死にたい。
幻覚じゃなかった。本物だった。夢でも幻でもなかった。
どう見ても現実の、実在の勇者ヴァルターだった。
……つまり。つまりわたしは。今しがた。
たすけに来た勇者に抱き着いて
うでを…………うで、を……………
「うあ……………うああああ―――!!」
「ノート!? どうした! しっかりしろ!!」
「ヴァル邪魔だ退け! ほらお嬢! 薬だ! ほら!!」
「うわあああああ!! うああああ!!」
頭を抱え、思わずうずくまり悲鳴を上げる。
だがそんな恰好をしたところで、やらかした過去は消えない。
自ら勇者の首筋に抱き付き、この身体を委ねたという事実は、消えない。
「し……しぬ……………もう、やだ………しぬ……」
「お嬢口開けろ……! 大丈夫! 大丈夫だから!! 助けるから!!」
ネリーが泣きそうな顔で何かを飲ませながら……懸命になぐさめようとしてくれているらしい。本当にネリーはいい子だ。……なんで勇者だったんだろう。なんでネリーじゃなかったんだろう。
涙が止まらない。不覚だ。一生の不覚だ。
……しかし、ついさっきまでほとんど動かせなかった身体が……動く。
遠い昔によく飲んだ味。薬液の苦味を、成分に影響を与えない甘味料で強引に誤魔化そうとした結果、それらが混じりあってえげつない味になった……霊薬の味。
相変わらずな味はもとより、その効果も相変わらず劇的だった。体力用だけではなく、魔力用のものも含まれていたのか。身体が活力を取り戻し、頭が……すっきりと澄んできた。地面に身体を投げ出しつつも感覚器が情報を収集していき、頭は情報を整理し始める。
ネリーが懸命に、からだを拭ってくれている。完全になされるがままだ。勇者も手伝おうと身を乗り出してきたが足で押し返す。あっちいけ。さわるな。あわよくばしね。
「ゴラヴァルテメェ!! 何ジロジロ見てやがるこの変態!! 腐れ外道!!」
「不可抗力だろう今のは!! ……ああもう! 悪かったよ!!」
いくつか理解できない言葉があったが、ネリーが勇者にガツンと言ってくれたらしい。的確に言いたいことを察してくれるネリーほんとまじ天使。けっこんしてほしい。
からだを拭う刺激が、過敏になった感覚に鋭く響く。若干回復した意思の力でそれを必死に押し止め、考えを纏める。
「………どう、やって……あんっ、……ここ、きた」
「道中の蟲を蹴散らしながらだ。先生の炎熱結界あってこそだがな。……うわマジ肌すべすべ」
「これで、きた、ひと………んっ、すべて?……やんっ」
「部屋の入り口でディエゴ先生が結界張ってる。あとアイナリーとオーテルの兵士が、上で戦ってる。進みながら蟲を擂り潰して、退路確保してくれる筈だ。………うわ柔らか」
「んやっ! ……これ、まで……てき、……むし、だけ?」
「ヒトガタが数匹、あとはただの蟲ばっかだ」
「……………そう。………んいっ、あっ、んひぁあ!」
「おいネリー何してんださっきから!?」
「ぁあテメェ畜生! 邪魔すんな殺すぞ!!」
……ネリーが勇者に引っぱられてった。さっきまでよりも幾分きれいになった身体を起こし、考える。
勇者たちはあの子と……人蜘蛛と遭遇していない。あの子の目的がわたしに『主』を産ませることである以上、ここから出ても絶対に追ってくる。
街に逃げ込んだら………大変なことになる。
このまま帰るわけには、いかない。
「……ゆうしゃ」
「ん? どうした」
ネリーにあちこち殴られてた勇者の視線がこちらを向く。と思ったら顔をしかめてそっぽを向く。なに顔赤らめてるわけ?
「そなー。おっきい、はんのう。……わかる?」
「…………ああ。桁外れにヤバそうな奴がある」
「は!? マジで言ってんの!?」
恐らくは、それが蟲たちの本丸だろう。やばそうな反応と言うのは恐らく……眠っている『主』とやらのものだと思う。
ここよりも更に奥。地中深くにひっそりと佇む、勇者をして『明らかにやばそう』と言わしめる存在。わたしがここに連れて来られた原因にして、……あの子の、『主』。
あの子も、そこにいるのだろうか。
ならば……覚悟をきめなければ。




