02_白い少女と河の街道
流れの穏やかな河沿いの道を、とある集団が進んでいた。
騎兵が三騎と、馬車が二台。
歩みは非常にゆったりとしたものだが、馬上の兵士達は異様に緊張した様子である。
その緊張の原因は集団の長、リカルド・アウグステにあった。
……正確には、彼のすぐ前にあった。
外套のみを身に着けた少女が、馬の背に揺られているのである。
左右の騎兵は周囲を警戒するように、終始せわしなく視線を巡らせているが……砦と街とを結ぶ街道、ましてや騎兵込みの編隊である。危険などそうそうあろう筈もない。
彼らは、編隊の中央に位置する少女の御開帳を……必死に視界から外しているに過ぎなかった。
そんな彼らの健闘を知ってか知らずか、
少女は物珍しそうに、きょろきょろと周囲を見渡している。
……………………
あの後討伐隊は、少女を保護することと決めた。
言葉こそ通じないものの、幸いにして非常に従順な様子である。砦まで移送するのに、さしたる手間も問題も生じないと思われた。
………甘かった。
まさか少女が、馬車に載せられることを拒むとは思わなかった。
まさか少女が、大股開きで鐙に足を掛けるとは思わなかった。
まさか少女の警戒心が、こんなにも霧消しているとは思わなかった。
(そもそも! 何故ここまで恥じらいが無いのだ……!)
馬の背で能天気に揺られる少女に、リカルドはそう嘆息せざるを得なかった。
……………………
陽が傾き、空の色が変わり始めた頃。編隊の歩みが止まり、付近の集落へと買い出しに駆けていた騎兵も合流した。
元々野営装備はおろか、食糧すら充分に備えていなかったのである。
……尤も、行きは一刻を争う強行軍。そもそも生きて帰れる保証など無かったため、準備不足も仕方のないことではあったのだが。
しかしながら当初の悲観的予測とは裏腹に、状況は一変していた。誰一人として人員を喪うことなく、更には一般人と比べて体力的に劣る少女も同行している。
予定を変更し、道中で夜を明かす運びとなったため、戦装備を下した騎兵を一人物資の買い出しに出していたのだ。
河から少し離れた…せせらぎの聞こえる草地に荷を下ろし、隊員達が着々と設営を進める傍ら。少女と一人の兵士が、河へと近寄って行った。
彼は先の戦闘で転倒した際に腕を痛め、現在その右腕は白布で吊られている。設営作業には加われないと判断され、少女の監視……もとい警護に回されていたのである。
少女は揚々と、長い外套を引きずりながら河へと近づき、
ふと、思い至ったように兵士を振り返った。
少女はしばし困ったような顔をしたかと思うと軽く頭を下げ、そして立ち尽くす兵士を見上げ……申し訳なさそうに、兵士が腰に下げた剣を指さした。
……どうやら、剣を貸してほしいらしい。
兵士は一瞬躊躇したものの…隊長からある程度の判断を任されていたこと、そして少女に対し警戒を緩めていたことから……最終的には少女に鞘を差し出した。
片腕が自由に動かせないので『直接抜いてほしい』という意思表示である。
果たして少女には通じたようで、彼女は会釈した後に柄を両手で持ち、
ゆっくりと、引き抜いていった。
…………ふと、兵士に一抹の不安が過ぎった。
そして奇しくも、
その不安は現実のものとなってしまった。
少女は兵士から剣を借り受けると、会釈とともに口元を綻ばせ、
そのまま小さな身体を大きく翻したかと思うと………
………………
……………………………
――わずか一瞬の後。
兵士に背を向けて駆け出した少女の後には、
どく、どく、と溢れ出る血で、自らの首元と地面を赤く染める……
地に倒れ伏した兵士が一人、残されていた。
……………………
……………………
およそ一刻後。
―――件の少女の姿が見えない。
野営準備がひと段落した頃、リカルドはふと気掛かりを覚えた。
湧き上がる胸騒ぎを抑えつつ、周囲で作業中の隊員に声を掛けたところ……どうやら警護を任せていた負傷兵一名を引き連れ、河へと向かていったらしい。
(……何故だ? 単に騒がしい場を避けただけか。……あるいは、考えたくないが………)
不安を感じつつも、二人が向かったと思しき方向へと歩を進め、
そこで
―――赤く血に染まり、倒れ伏した兵士を、発見してしまった。
「どうした! 何があった!!」
「……隊長……すみ……せ…………あの子……が…………」
咄嗟に駆け寄り倒れていた兵士を抱え起こすと……幸いなことにまだ息があった。どうやら、気絶していたようだ。
一刻も早く止血せねばと傷を探すものの……どうしたことか、それらしき傷が一向に見当たらない。
「何処だ……? 何処をやられた!?」
「……いえ、…………あの……」
ふと、気づく。
バッサリと斬られ息も絶え絶えかと思っていた彼の顔は、失血とは到底思えないほど朱に染まり。
生死の境を彷徨っているのとは違う形で、視線をあちこち慌ただしく彷徨わせ。
その表情は恐怖や痛みというよりも……照れや赤面といった表現のほうが、近いように見えた。
「ん、い? …………あー、え?」
ふと耳が捉えた声に反応し、顔を上げ……
そして彼の身に何が起こったのかを、全て察した。
見ると倒れていた兵士もまた、完全に硬直していた。
一糸纏わぬ身体から雫を滴らせ、その手に騎士用の片手剣を下げ、
可愛らしく小首を傾げ、顔中に疑問符を浮かべた白い少女が……そこに居た。
(………だから! 何故ここまで無頓着なのだ!!)
なんということはない。どうやら少女は少女なりに、貢献しようとしてくれたらしい。
食糧が充分でないことを見抜いたのか、ただの気まぐれなのかは定かではないが……どうやら借りた剣で魚を獲っていたらしい。
そして血染めで倒れていた彼は。
眼前で突如外套を脱ぎ捨てた少女を目にした結果、鼻血を吹いて倒れただけであった……とのこと。
あの子の言動がああである以上ある程度は仕方がないが、……さすがに少々肝が冷えた。
まあ、
竿と糸ではなく、剣で魚を獲っただとか。
隊員一人に一匹行き渡る程の、謎の大漁だとか。
一様に綺麗に頭を割られ仕留められていた魚だとか。
……気になる部分は多々あるものの、とりあえずは良しとしておこう。
彼女のお陰で、思っていた以上に豪勢な飯になった。
最初は彼女を警戒していた隊員達も、この予想外のプレゼントには思わず顔を綻ばせ……口々にお礼を述べていた。
無論、自分も、その一人だった。
「……有難う」
燻製肉のスープをすすり、焼き上がった魚に幸せそうにかじりつく少女に…そう声を掛ける。
……とはいえ、言葉が通じないのだ。
元より返事は期待していなかった……のだが。
「ん……ん? ……ある、い、がろ。・・・・・あり、ま、と?」
焚火に照らされた、ほんのりと笑みを浮かべた彼女の口から零れ出た、『音』。
その音を、その言葉を、一瞬理解することが出来なかった。
……………
しばしの沈黙。
遠くで隊員達の団欒の声と、焚火のはぜる音が聞こえる。
「まり……た、と? んん、んい……たり、がも?」
数瞬の後。
状況を理解したリカルドは、いち早く行動に出た。
「リ、カ、ル、ド」
リカルドは自らを指差しながら、自分の推論を確認するかのように……
ゆっくり、はっきりと、自らの名を名乗った。
「リ、カ、ル、ド」
もう一度、ゆっくりと繰り返す。
初めはきょとんとした顔を見せていた少女であったが、
その意図したことを察すると
「り……か……ん…………と?」
リカルドを指差しながら、辿々しくも述べた。
………やはりだ。思っていた以上に理解が早い。
これはそう遠くないうちに、会話が出来るようになるかもしれない。
リカルドは頷くと、自らを指し示していた指をゆっくりと少女に向けた。その指先とリカルドの顔とを交互に見やる少女に、ゆっくりと頷いてみせる。
「ん……んんー、なー……ねす…………めぃ……なー…………ねす……」
視線を宙にさ迷わせ、しばらくぽつぽつと呟いていたが……軽く頷くとリカルドと目線を合わせ、自らをその小さな指で指し示しながら、
「んんー…………のーと。めぃ、なー、ねす、……のーと」
『ノート』
それが、彼女の名前なのだろうか。
「ノート?」
試しに彼女を指差し、告げる。
果たして効果は覿面であった。その顔がぱぁっと笑みに染まったかと思うと、
「のーと! のーと! やうす、めぃ、なー! のーと!」
人間と、初めて意思の疎通が出来た。
そんな喜びを表すように身を乗り出し、そしてその場で何度も何度も跳ねる。
彼女は、身体全体でその感情を……『喜び』を、せいいっぱいに表していた。
「りかるの! ありあと! あるい、まと!」
浮かべた表情は見た目相応の……とても、可憐な笑顔だった。
……………………
彼女とのコミュニケーションにも光明が見え、当初思っていた以上に和やかな雰囲気での食事の中。
―――『それ』は不意に訪れた。
初めに『それ』に気づいたのは、先程鼻血を吹いて倒れていた兵士。ノートの警護を勤めていた、年若い兵士だった。
「……隊長」
「どうした?」
「…………お気付きですか?……あの子……」
示された方を確認し、思わず声を失った。
そこにはわずかに顔を綻ばせ、嬉しそうに食事を摂る少女……ノートの姿。
笑うのは不慣れなのか、その表情の変化はごく僅かでしかない。それでも彼女は嬉しそうに、幸せそうに……簡素な食事を摂っている。
問題は彼女の瞳が……絶えず滴を湛えていたことだった。
「ノート!?」
思わず掛けた言葉に、彼女はびくりと反応する。
どう言葉を掛ければいいものかと思考を巡らせた後、目許を指先で触れるジェスチャーを取った。
彼女もそれを真似するように自分の目許を……そこから溢れるものに触れ、
「………!!?」
その顔を疑問と驚愕に染め、………目に見えて狼狽し出した。
……………
………………………………
「……隊長」
「黙れ何も言うな」
緊張の糸が切れたとでもいうのか。
突如として震えだし、ついには泣き出したノートを落ち着かせるため……周りの視線を無視しつつ、腕の中に抱き止めることしばし。
果たしてこの対処が適切だったのか、単に体力を使い果たしただけなのか。最初は悲痛な声を上げていた彼女は、やがて幸いにも落ち着きを取り戻し……先程までの取り乱しが嘘のように、静かに眠っている。
眠りに落ち、静かになったノートを起こさないよう細心の注意を払い……幌馬車の荷台の中、綺麗に畳まれた敷布の上へと、彼女の軽い身体をそっと横たえた。
「考えてみたら、壮絶な状況っすよね、あの子。……今まで他の人間に会ったことなんて、無かったんじゃないすか?」
「手とか足とかも生傷だらけで。靴やら服やらだって持ってないっぽいですし。一人だけで『あの島』に居たってことですか……」
「固パンと燻製肉のスープなんて、俺らにとっちゃありふれた食事じゃないですか。それなのに………滅茶苦茶幸せそうに食ってたんですよ」
荷台から降りると、心配した隊員達が声を掛けてきた。
彼らの言うこと、……恐らくは、そうなのだろう。
この掴みどころのない少女と出逢ってまだ間もないが、これまでに集まった情報は、その仮定を裏付けするのに充分に思えた。
恐らく彼女は……人気の全くない『魔境の島』、想像もつかない危険が犇めくあの島で……たった一人で生きてきたのだろう。
「何とか……してやりたいがな………」
とはいえ、自分一人でどうこうできるものでもない。
やはりとりあえずは砦へと連れていこう。その後のことは、落ち着いてから詰めれば良い。
「手の空いた者から休め。見張りは四人ずつ立てろ。一刻ごと交替。一人は姫の寝床番だ。……手を出すような馬鹿がいたら…構わん。遠慮なく斬り捨てろ」
隊員達の苦笑と共に、その日は幕を閉じた。
【勇者の外套】
旧人族の決戦兵器、『勇者』に支給される装備のひとつ。
全盛期を迎えていた旧人族の技術の粋を結集して作られた防御装備であり、布でありながら高度な耐弾・耐刃・耐衝撃・耐魔性能を兼ね備えた、当時でも世界有数の高性能装備。
きわめて丈夫であることに加え、高度な防汚措置が施されており、輝く白さ長続き。
決して汚れることのない純白の外套を翻す『勇者』は、旧人族の戦意高揚に大きな役割を果たしたという。