26_人とヒトガタと腕と腕
――どれ程の時間が経っただろうか。
体感としてはかなりの時間が経過したように思える程だが……焚き火の様子を見る限りでは恐らく勘違いなのだろうか。
先程から然して時間は経っていないようだ。
その僅かな時間で、戦況は明らかに不利となっていった。
奴………人形の魔蟲の爪を四度ほど斬り飛ばし、そして同じ数の再生を許している間に、戦闘可能な兵士は指揮官含めて五名にまで減っていた。
ヒトガタに葬られた二名以外、三名の負傷兵は未だ存命なものの、明らかに動きがぎこちない。彼らが受けた脚の咬み傷といい、毒が回っているのは明らかだ。早めに解毒処置を施さなければ、彼らの命が危ない。
ネリーの方も、安心とは言いがたい様子だった。今となってはリカルド達と合流し、なんとか戦線を維持している。
その顔は魔力の酷使と疲労とで赤く染まり、玉のような汗を浮かべでいる。執念とでも言える形相で必死に戦い続けているものの……果たしてどれ程持つのだろうか。
当初よりは押し寄せる勢いが失われているものの、回りの雑兵どもは未だに健在らしい。視界の悪さゆえに全容を見通すことは出来ないが、断続的に放っている能動探知は敵の存在を如実に知らせてきている。
既に半分以上……七割近くは処理している筈だが、今の奴等に部隊損耗率やら撤退やらといった考えは無いようだ。夜間だから調子づいているのか、それとも指揮官がそうさせているのか。
………恐らく、こいつらは最後の一匹になるまで襲い掛かって来るのだろう。であればやはり、一刻も早く蟲どもすべてを駆逐するしかない。
最早、これ以上考る時間は無い。
申し訳程度に頭に浮かんではいだものの…あまりにもの運頼みと不確定要素、そして懸念材料の多さに棄却していた、作戦。…それを実行に移そうと、藁にもすがる心境で行動に起こす。
幸いにもヒトガタはこちらを敵と認識し、先程から執拗に狙ってくれている。現在のところ、ネリーや兵士達の方を気にする素振りは見せていない。雑兵どもで充分と考えているのか、それとも取るに足らない相手と判断したのか。
…どちらにせよ、これならば幾らかやり易い。
ヴァルターは剣を構え、ヒトガタへ向かい斬り掛かった。
狙うは奴の胴体…人でいうところの、腰の継ぎ目。いくら頑強な甲殻に守られているとはいえ、そこは甲殻の隙間とならざるを得ない。なまじ人の形を模しているだけに、全身鎧の急所はほぼそのまま奴の急所と言える。
甲殻の繋ぎ目…あるいは薄くなっている筈の腰を狙い、横から水平に切り抜けるように叩き込む。
……しかし、やはりというべきかその一撃は弾かれる。ヴァルターは勢いそのまま、ヒトガタの逆側へ………ちょうど、奴によってリカルド達と分断される位置へと受け流された。
前方にはヒトガタの魔蟲、後方には蠢く雑兵。絶望的な位置取りへと追い込まれ、もはや一刻の猶予もない。
ヴァルターは再度剣を構え駆け出し、斬り掛かる。重心を低く、踏み込みは深く。剣を右手一本で握り締め、今度は下から斬り上げるように。
果たしてヒトガタはこの一撃をも払い除けた。剣の軌道はほぼほのまま、僅かに横方向へと擦らし………結果としてヴァルターは剣を大きく振り上げる体勢となってしまった。
無防備を晒す胴体。そこを好機とヒトガタが腕を伸ばす。ヴァルターは上方へと弾かれた剣持つ右手はそのままに、空いているもう片手を握り締め、左足を更に踏み込むと共に下から拳を突き上げる軌道で繰り出すが………ヒトガタはその拳を脅威とは見なしていない。
たかが握り拳程度、己の甲殻を撃ち抜けるはずはないと見切っていたのだろう。そのまま二本の腕と爪を伸ばし、攻めの姿勢を崩さない。
………好都合だ。
ヒトガタの二本の爪と勇者の左拳が接触する瞬間。
ヴァルターは左手のみに魔法を発動した。
それは筋力を増すものでも、速度を増すものでもなく…
一般には、主に防御に用いられる魔法。
『表層硬化。――在れ』
しかしながら、ヴァルターの左腕は堅牢な籠手で覆われている。そのため直接肌と接する籠手…王都の職人が手掛けた実直な仕上がりのそれが表層硬化と干渉し、その瞬間。
甲高く壮絶な音を立てて、
左手を覆っていた籠手がバラバラに弾け飛んだ。
[ガ、、、ギ、ガ、、、、!?]
下から上へ、ヒトガタを殴り付ける軌道にあった左腕。そこから放たれた金属片の散弾はそのままヒトガタへと襲い掛かる。
そのすべてを避けることは叶わず、散弾の直撃を受けたヒトガタの腹を、胸を、………そして腕を、強烈な衝撃が襲う。
…しかしながら、それでも甲殻を穿つには至らない。
………しかしながら、今や奴の身体は散弾の衝撃を受けて体勢を崩し、四本腕の全てが大きく広げられた状態であった。
「ああああああ!!」
ヴァルターが吼え、がら空きとなった奴の胴へと全力で振り抜く。
ついに、ヒトガタの腹へと白剣が叩きつけられる。
その一撃は、横から弾かれるのを防ぐために剣を縦にした………奴の腹に剣の腹を叩きつけるものだった。
………しかしながら刃ではない部分では、やはりその甲殻を破壊することはやはり出来ない。
だが、それで構わない。
「あああああああ………!!!!」
剣の腹にぶち当たったそれを力の限り押し込み、振り抜き、その身体を吹っ飛ばす。
勇者の渾身の一撃についに奴の身体が地から離れ、そのまま後方へと吹き飛び………
――負傷兵の投げ込んだ燃料によって勢いを取り戻した焚火の中へと、投げ込まれる。
[――、、――――!!、――――!!!!]
もはや声ではない、金属片を擦り合わせるかのような耳障りな音を撒き散らし、その身を炎に包まれながらヒトガタが叫ぶ。
引火した燃料が付着したのだろうか、自慢の甲殻を熱する炎をなんとか消そうともがくものの………既に熱で筋繊維が変質しているのかその挙動はぎこちなく、炎は到底消える様子もない。
[――――!!、――――――――!!!!]
そして、鎮火を待ってやる義理など在りはしない。
駆け寄った勇者の構えた白剣が、ついに分厚い甲殻に守られたヒトガタの胸を貫き通し、ついでとばかりに首が落とされ………
ついに、ヒトガタは完全に沈黙した。
耳障りな音が消え、周囲に音が戻る。
やっと働きだした勇者の知覚器官が捉えたのは、
「………ッ!ヴァルター!…ヴァルター!」
「………ゆう、………し…ゃ………、 ど、の…」
悲壮な………泣き声を上げるネリーと、
掠れるような弱々しい声を漏らす、リカルド。
慌てて振り返ったヴァルターが目にしたものは、
地に倒れ伏すネリーを押し倒すように覆い被さり、背中を深々と抉られ、溢れ出る血で真っ赤に染まったリカルドと……
二本の脚で直立し、四本の腕と爪を持つ………人の鎧姿を模したかのような、異形の蟲。
今しがた首を落とした筈のものと同じ姿が、そこには立っていた。




