254_王都と勇者と東奔西走
控え目な灯りに照らし出された、四方を石で囲まれた堅牢な空間。
明かり取りや通風のための窓さえも、この異質な部屋には備わっておらず……何よりも機密性と守りやすさに全力を注いだかのような、武骨きわまりない一室。
しかしながら……床の石材は鏡のように磨き上げられ、隅々に至るまで曇りや陰りは見られない。その上にはふかふかと足触りもな敷織が敷かれ、無骨な部屋を上品に彩っている。。
各所に配された調度品も一点一点が名品と呼ばれる代物であり……ここは限られた人物のみ立ち入ることを許された特別な一室であることを、言外に主張し続けていた。
警備を務める私兵が至るところに目を光らせる館内、迷路か砦のように入り組んだ通路を進んだ、その先。
この館の主、ヴァルフラース・イヴァニコルの執務室に程近い、彼が『大切な客人』を持て成すための応接室にて……一組の男女がそれぞれの護衛を傍に、真っ向から向かい合っていた。
「…………あれを貸せ……と。そう仰有りましたかな?」
「ええ。間違い無く」
先んじて口を開いたのは、未だ青年と呼ぶべき年頃に見える男。鐵のように暗い灰色の髪と鳶色の瞳を持ち、鋭く細められた目許からは只ならぬ雰囲気を放っている。
それに応えたのは、未だ幼さの残る少女。未だ大人とは成りきらぬながらも堂々と振る舞うその姿……仄明かりに照らされ輝きを増す黄金色の長い髪と、思慮深さと強い意思を湛えた翡翠色の瞳を持つ、この国有数の貴人。
歳の頃は今年で十六。リーベルタ王国前国王アルフィオの第三子にして、現国王アルカンジェロの実妹。
名を、マリーベル・ティア・リーベルタ。
若くして王位を継いだ兄の力となるべく、また許嫁である『勇者』の期待に応えるべく……王都東岸街有数の権力者であるイヴァニコル侯へ、一見無謀とも言える要請を持って来た交渉人である。
「殿下も御存知とは存じますが……あれは我が東岸闘技場隆盛の要。手塩に掛けて育ててきた、可愛い可愛い箱入り娘で御座いますゆえ。不肖このヴァルフラース・イヴァニコル、殿下のご期待に添えず心苦しく御座いますが……あれをお貸しすることなど叶いませぬ」
「……そうね。確かに、今が大事なときなのでしょう。先日の魔物脱走騒ぎ以降、客入りが芳しくないと聞き及んでおりますし。魔物の納入業者も後任が決まらず、演目の大幅な再考を余儀なくされているとか」
「これはこれは。優秀なお耳をお持ちで御座いますな。……なればこそ御理解頂けましょう。生じた赤をどう遣り繰りすべきか……こう見えて私めも多忙でしてな」
「そう……忙しいの…………それは残念ね。いい儲け話と手土産を持って来たんだけど……要らなかったみたい。邪魔したわね」
「ほう……? 御自ら直々に『儲け話』などとは…………穏やかでは御座いませんな? 私めで良ければ、ご相談相手を仕りましょうぞ」
「それは心強いわ。………………そうね。折角だし、聞いて頂きましょうか。ガイウス、あれを」
「はっ」
王女マリーベルの護衛を務める騎士が一礼し、前へと歩み出る。
その手には精緻な意匠の刻み込まれた飾り箱が抱えられており……対峙し合う両者の間、イヴァニコル候の前へと、その箱が捧げられる。
警戒も露にマリーベルを見遣るイヴァニコル候と、そんな彼を満面の笑みで見つめ返す王女マリーベル。
中身を検めるべく私兵に指示し、箱を開けさせたイヴァニコル候の視線が……途端に鋭く細められる。
「先ずは……先払い報酬を提示いたしましょう。わが王家の所有する国宝、伝説級遺物が一……術者随行支援用魔道具『白の魔書』。銘は『アルガイエル』……だそうです」
「これを…………報酬、と申されましたかな」
「ええ、確かに言いましたわ。先の……『魔王』による王城襲撃の際、宮廷魔導師によって『魔王』迎撃に用いられた、まさにその品。実戦での動作試験を経て、持てる機能も全てを残した……『完品』と呼ぶのでしょう? それなりに価値があるものだとお兄様も仰いましたわ」
「その王家の秘宝を……私めに譲る、と?」
「あくまで先払いの報酬ですから……この『儲け話』に乗ってくれるなら、ということになりますが」
「…………これだけの品を譲り、更に『儲け』させようなど……依頼主が殿下で無ければ、到底信じられなかったでしょうな」
「ふふ……ありがとう。……どうかしら? 話だけでも……ご相談だけでも聞いて下さります?」
「…………私も歳を取って臆病になった心算ではありましたが……柄にもなく『欲』が湧いて来たようですな。…………お聞かせ願いましょう。殿下はあれを……我が娘アデライーデを、如何様に御使いなさるのかを」
実年齢に反して未だ若々しい青年の姿でありながら……数々の修羅場を潜り抜け、巨万の富と東岸闘技場を手にした男……ヴァルフラース・イヴァニコル。
表はもとより、裏においても絶大な『力』を持つ彼である。彼とその手勢を敵に回すことは、たとえ王族とて避けねばならない。
そんな化け物じみた人間を相手取り、彼の所有する手勢と治癒術士を巡る交渉が……王女マリーベルの戦いが幕を開けた。
…………………………
軽鎧姿の男達が大勢出入りする、お世辞にも華やかとは言いがたい王都守衛隊の詰所。
決して狭くはない王都の治安を守るために日夜業務に励む守衛隊の面々であったが……今日このときに限っては、決して広くない詰所内は異様な熱気と緊張感に満たされていた。
興奮覚めやまぬ彼らの視線の先、普段は練兵場として用いられる広場の片隅に陣取っていたのは……最強の航空戦力との呼び声も高い大型の魔物。ヒトに与し、長耳族の少女を主と仰ぐ、飛竜メリジューヌ。
国王陛下直々の許可を賜ったことで招き入れられ、堂々と王都の空を堪能した彼女は……その騎手である長耳族の少女とその連れを待つ間、周囲の視線など一切気にならないとばかりに昼寝を決め込むのだった。
一方こちらは、詰所内の会議室。込み入った話があるからと人払いが敷かれ、今この室内には三人が居るばかり。
飛竜を駆る長耳族というのも物珍しくはあったのだろうが……激闘の末『魔王』を退け王都を守った『勇者』ヴァルターの知名度とその人気の高さは、以前の比ではなかった。
「……申し訳ありません、勇者殿。此のような場で」
「いえ……コチラこそお仕事中にすみません。……ご無沙汰しています、リカルド隊長」
「湖南砦以来になりますか。……ディエゴ殿に伺いました。この街と…………あの子を、ありがとうございます」
「俺は…………っ、……すみません。こちらこそ……ありがとうございます」
「…………本当に顔が広いのね」
王都の人々にとって記憶に新しい『魔王』による襲撃、ならびに前国王アルフィオの崩御。その未曾有の危機は、他ならぬ『勇者』ヴァルターの活躍によって終息に導かれた……ということになっている。
眼前の隊長……自分達ならびに共犯者である宮廷魔導師ディエゴと面識のあるリカルドは、裏に秘められた真相――真白の少女を巡る太古の亡霊との衝突――その経緯を聞いているのだろう。
真実を知ってくれている理解者が存在すること。……そのことは、確かに幸いだった。
しかし、今日ばかりは愚痴を言いに来たわけでは無い。
一度陛下と謁見した後、テルスを伴いわざわざ詰所を訪ねたのは……テルスに飛竜メルを喚んで貰ったのは、リカルドに愚痴を溢すためでは無い。
「私はべつに良いけどね。久しぶりに会ったんでしょう? ゆっくり語らってもバチは当たらないんじゃない?」
「いや、大丈夫だ。積もる話はまた今度、是非。…………今日は別件で、折り入ってお願いが」
「聞きましょう。……幸か不幸か、それなりの我儘が許される立場になってしまいまして。上への繋ぎもやり易くなって居ます。微力ではありますが、お力になれるかと」
「助かります。…………そう、ですね。近々陛下から告知があるとは思いますが」
心を落ち着けるように、大きく一呼吸。
これから忙しくなるであろう隊長格に申し訳なさを感じながらも……しかし今更悩んだところで変わらないと開き直り、告げる。
「『鉄工街道』の終端、鉄工都市オーテル……その更に先。パトローネと呼ばれる山のことをご存知でしょうか」
「? ……ええ、まぁ…………周囲に温泉が湧く活火山である、というくらいなら……それが何か?」
「……そのパトローネ火山ですが…………火山ではありません。『迷宮』です」
「な…………!?」
「我々で主の排除には成功しましたが……内部の調査はまだ不充分。陛下は現在、ディエゴ先生と大規模調査計画を立案中です」
「…………なるほど」
「そしてここからが重要なのですが…………パトローネ山体地下迷宮の付近に拠点集落を造成中でして。特需を見込みその拠点集落の拡充と、治安維持のための兵員の配置がかなり前向きに検討されていまして」
「待っ、……ちょっ……あの、勇者殿。…………まさか」
「……リカルド隊長にご足労頂けるなら、我々としても非常にありがたいです。…………勿論、あの子も」
「それはそれは……確かに、やり甲斐が有りそうですな。…………承知致しました。道連れの面子を見繕っておきましょう」
「すみません。助かります」
テルスとメルの力を借りて王都を訪れたヴァルターは、国王アルカンジェロへの報告と同時に『人手を集める』という任も負っていた。
ノートたっての希望であり、彼女が『おともだち』と声高に主張する治癒術士、『巫女姫』アデライーデ。ヴァルター本人は面識が無いため、彼女の勧誘こそマリーベル殿下の威を借る必要があったが……それ以外の交渉は極力自分で行いたい。
守衛隊近郊派兵班のリカルド隊長においては……先に陛下とディエゴ先生との会談を済ませてしまったため、外堀を埋めてからの事後報告となってしまったが……仮にその経緯が無かったとしても、彼ならばきっと力になってくれるだろうとは考えていた。
とりあえず、これで二件目。
ノートたってのお願いとはいえ、王女殿下に丸投げしてしまった巫女姫様との折衝が気が気ではないが……殿下ご自身が『私にお任せくださいませ』と仰っていたのだ、今は殿下を信じて自分にできることをするべきだろう。
「……それで、勇者様? 次はどこへ行くつもりなのかしら?」
「狩人組合へ。知り合いに会って来る」
「そう。……じゃあ私は街中でも見て回って来るわ。メルを停める許可も貰ったし。適当なところで勝手に宿に戻ってるから、ごゆっくり」
「停め…………泊める気か。まぁ騒ぎにならないなら……良いのか?」
「良いのよ。言質は取ったんだから」
「お……おう」
アルカンジェロ陛下が直々に迷宮対策に動き出し、人々の流れができるまで……この王都で出来ることを一つでも多くやっておきたい。
『あの拠点をより良いものにする』という願望が芽生え始めたヴァルターは、積極的に行動を続けるのだった。




