24_安らぎの羽毛と剣の声 ◇
「……いや、ね? 今に始まったことじゃないけどね? ……心臓に悪いよ、本当」
ギルバートがなにやらうなだれている。何か悪い報せでもあったのだろうか?さっきまで丁寧に教えてくれていた手が、急におっかなびっくりになってしまっている。
「ぎるまーと。……だい、じょう?」
「………あぁ。むしろ君の方が………いや、大丈夫そうだね……」
「んん……?」
なぜか曖昧な笑みを浮かべてしまった。…この顔は知っている、何かをごまかしたいとき…あるいは深く考えることを諦めたときの顔だ。リカルドもよく浮かべている顔だ。
…やはり、なにかあったのだろうか?
……気になる。少しくらいわたしに相談してくれても良いのに。
…………少しくらい、頼ってくれても良いのに。
内心の不満を隠すように、腕の中に抱き止めたふわふわのそれに、…柔らかな羽毛で覆われた後頭部に、顎をうずめる。
「…ぴゅぴ……ぴちち」
「んふぅ……」
くすぐったそうに身をよじり、囁くシア。その抱き心地の良さと温かさは、とても安心する。アニマルセラピーとでもいうのだろうか、心がすーっと安らぐのを感じる。
一方のギルバートはなにやら複雑そうな表情で……人鳥シアを抱きすくめるわたしを見つめていた。
……彼もシアを抱っこしたいのだろうか?
「…ぎるまーと。……だく、ねる? する?」
「は……!? ……あっ、いや………いい。大丈夫だ」
「んー……? んん」
なぜか驚愕や唖然といった顔を浮かべたと思ったら、顔をブンブン横に振って必死に否定された。
……そんなに嫌がることは無いのに。
「んいい、ぎるまーと。……つづき、おしえて」
「………あぁ。すまない」
気を取り直して、といった感じで……ギルバートは指導を再開してくれた。しかしながらやはり、最初のような精細さを欠いているように見える。
……本人が大丈夫と言い張っている以上、原因を聞き出すのは不可能なのだろう。やるせないが、あちらから頼ってきてくれるまで待たなければならない。
相談に乗れるように、言葉を身に付けなければならない。
「……がんばろう」
「ぴぴゅぴ?」
ふわふわのシアの頭を撫でながら、気合いを入れ直した。
………………………
その後も講義は順調に進み……やがて夕食の時間となった。
取っ捕まってからこの時間までぶっ通しで、ずっとわたしに付きっきりでお勉強だったのだ。付き合ってくれたギルバートには感謝しかない。
「……ぎるまーと。つかれた?……あり、がと」
「いや、礼には及ばないさ。君の上達っぷりを見るのは…なかなかに楽しい」
「? …んん、……ねー、にわ、よなわない……? じょ、たつ…… ん、んいい ……わから、ない」
「焦る必要は無いさ。……ええと、大丈夫だ」
「………んんん」
慰められた。どうやらまだまだ知らないことばだらけのようだ。……先は長い。
『またあした、よろしくおねがいします』
そう伝えて、その日の講義は終了した。
しかし翌日、
講義が続けられることは無かった。
………………………
それは、その日の晩のことだった。
――そもそも、何故シアは帰ってきてくれたのか。
ネリーはどうやら朝方別れの際に泣きじゃくっていた自分を心配し、わざわざシアを寄越してくれたらしい。陸路では三日の道のりとはいえ、当然ながら空を飛べばもっと早い。ハルピュイアでありながら更に風の…飛翔の魔法を使えるシアは、ぎりぎりまでここにいて……寂しくないように一緒にいてくれるらしい。
今でこそネリーの使い魔ではあるものの。元が魔に連なるものだからだろうか、魔王の権能が力を発揮しているのか……。僅かではあるものの、彼女の思考のようなものが感じ取れるのだった。
そうしてシアの意思をなんとなく読み取った限り、先述のような理由で尋ねてきてくれたことがわかった。
この采配には、予想外の驚きと喜びを隠しきれなかった。
実際にシアに癒された身としては、ネリーの先見の明には頭が上がらない。すごい、さすが勇者の保護者だ。
「……ねりー、 ありが、とう」
極上の天然羽毛抱き枕を抱きしめ、その柔らかさと温かさを感じながら…その晩は穏やかな眠りについた。
はず、であった。
静けさに包まれ、自分とシアの呼気以外に動きの無い筈の狭い室内。
そこに……ほんの僅かに、魔力の乱れを感じた。
自分にしか関知できないであろう、微細な乱れ。
違和感に、思わず目を開けた。
敵襲……ではない。これは自分にとって、馴染みのある魔力。
………『剣』だ。
すぴすぴと可愛らしく寝息を立てているシアを起こさないように、寝台の横に立て掛けてある剣へと手を伸ばし……
『……多いぞ! 囲まれてる! 蟲だ!!』
脳裏に響いた、切羽詰まった声に、
目が醒めた。
『敵襲』を認識し、一瞬で覚醒した頭。
戦闘に最適化されていたそれで、高速で思考を巡らせる。
先ほど響いた声は、勇者のもの。
勇者が襲撃を受けた。……蟲の大群に包囲された。
彼らが出発したのは今朝。盗み見た地図を思い起こす限り、現在地は町や集落ではない。……野営だろう。
いったい何故。
彼らはこれまでも幾度となく野営をこなしてきた、いわばプロの筈だ。わざわざ危険な場所で野営をするなんて考えられないし、彼らの警戒がおざなりだったとは考えにくい。
……今日に限って、何故。
『後にしろ! 今はコッチだ!!』
尚も流れ込んでくる勇者の……悲鳴のような指示。
ごく近くに動きを感じ、ふと思い至った。
剣を取る際の動きに反応し、起こしてしまったのだろうか。もぞもぞと身じろぎし、こちらを見つめてくる人鳥の少女と、目が合った。
……この子だ。
ハルピュイアの視力は、人間のそれよりも遥かに優れている。この子を眷族としているということは、ネリーはこの子の視力を使える筈。……つまりはそれを、これまで索敵の要としていたのではないだろうか。
その警戒の要を……大事なこの子をわたしのところへと寄越したばかりに。
野営の設営前に充分な警戒が……安全確保が出来なかったのではないだろうか?
なんて、ことだ
また、わたしのせいだ。
『火を広げろ! 固まれ! ネリー後ろを頼む。近付く奴から狙え。無理はするな。……リカルド隊長! そちらの指揮を頼みます! こちらはお構い無く!』
剣の向こう側……通信越しの声が、より一層慌ただしさを増す。
告げられた名に、自分にとって大切な人の名に、
彼らが危機を迎えている状況に、背筋が凍る。
わたしのせいで。
ネリーが、リカルドが、
ついでに勇者が、危険に晒されている。
「……ぴゅい……ぴゅい」
「………しあ…………」
こちらの顔を見上げ、何かを訴えるような視線を向ける……ネリーの使い魔、人鳥の少女。
「しあ………みち、みえる……?」
「ぴゅぴ!」
こちらのすがるような視線に応え、任せろとばかりに大きく頷くシア。彼女の目が、にわかに輝きを帯びる。
使い魔として魔力を分け与えられた彼女の目は、夜間といえどもその視野は健在。視界を失わないらしい。
「……しあ、………わたしは…………ねりーのとこ、いく。 ……ちから、を……かして。 ……たす、けて」
「ぴぴ!」
――任せろ。そう言ったのだと思う。
自信に満ちた表情でこちらを見つめ、大きく頷くシア。
丸めていた小さな体を大きく広げ、窓枠へと跳び移ると……そのまま身を翻し、闇一色の外へと飛び出した。
既に勇者達は会敵している。急がなければならない。
前回の……アイナリーへと駆けたときのことを思いだし、今度はちゃんと装備を整える。剣帯を胸に巻き、剣を背負い、外套を羽織る。
……衣類は病衣のまま、靴も簡素なものだがちゃんと履いている。今回はパンツもちゃんとはいているので、おまたをごわごわされる心配はない。奴らの体液を多少なりとも防ぐためには、下履き……いや、衣類を脱ぐわけにはいかない。
僅か数秒で身支度を済ませ、シアの後を追って窓から飛び出した。
宵闇に紛れ、人知れず飛び出したシアとノート。
彼女ら二人の出奔に気付いたものは、誰も居なかった。




