248_犬猿の仲と微かな雪解け
『ハハッ! 手酷くヤられたなァ鳥頭』
「チッ……出来損ないの木偶の坊が」
荒野の片隅に空けられた大穴の底にて……ボロボロと化した軍服を身に纏う壮年の男が、肩で息をしながら天を仰ぎ佇んでいた。
着衣こそ砂埃と煤で汚れ、末端をあちこち千切られてこそいるものの……その剣呑な眼光は未だに健在。嘲りと共に声を掛けてきた黒甲冑の少女を射殺さんばかりに睨み付けている。
勇者ヴァルター達を襲撃した『魔王』セダ――漆黒の大鎧を纏う暴虐の魔王――の手駒が二人、立場としては同僚にあたる両者であったが……その間柄は良好とは言い難い。
「……貴嬢こそ。かの特記戦力相手に随分と身綺麗な。まるで徹頭徹尾逃げに徹したが如き戦振舞……見事としか云い様が無いな」
『笑わせるな。小娘に舌で負けて自らハンデを背負った挙句あっさり負けた鳥畜生が。ド低能な貴様にアレコレ言われる筋合いは無い』
「観察力が乏しいようだな性隷人形め。我は未だ膝を突いて居らず、敗北条件を満たすに至らず。……寧ろ彼の娘の逃亡が為、我の白星と判断出来よう」
『ハイハイそうかいそいつァ喜ばしいな。貧弱な人族種の女の子に勝てて良かったな。大好きな魔王サマに褒めて貰えよ。『女の子と喧嘩して勝ちました!』ッてな』
「口の減らぬ小娘が。貴様こそ彼の『魔王』に股でも開けば良いのでは無いか。……あの好色な魔王のことだ、その貧相な身体でも売れば左腕は買い戻せよう」
『…………チッ、忌々しい。相変わらず視力だけは一丁前か』
表層の装甲部分こそ綺麗なままであったが……その実黒騎士の左腕駆動系は製造者の想定外な用途に用いられたがため、酷使によって異常を来していた。
ほんの数度の遣り取りのみで駆動系の障害を看破して見せた同僚に、黒騎士は兜越しの幼貌を憎々しげに歪める。
この機体の実動試験も兼ねた出撃ではあったが……いくらボトルネックを洗い出すためとはいえ、実際に左腕部を破損させる被害を被ったのは事実なのだ。
人工物の集積体である黒騎士の身体は、生物の類とは異なり時間経過での自然治癒は有り得ない。
精神体と化し千幾百年を経た黒騎士とて、元来はやはり純粋な戦闘要員であった。機械工作の技能に長けている訳でもなく、仮に長けていたとしても付け焼き刃程度の技量でどうこう出来るような構造ではない。
つまるところ治療を行うことができるのは、ひたすらに性格の悪い『魔王』ただ一人であり……とにかく底意地の悪い『魔王』が無償で治療に応じてくれる可能性が有るかと問われれば……それはまぁ、絶望的だろう。
左腕の修繕と、新たなる装備の調達。いったい何を要求されるのか……黒騎士本人としても、存在しないはずの胃が痛む問題であった。
『……必要経費、ってことで……工面して貰えぬものか』
「あの『魔王』めが、そんな優しさなど持ち合わせている様に見えたか?」
『………………見えぬな』
「そう云う事だ。……諦めろ、新人」
『グッ……』
何の慰めにもならない言葉を掛けられ、漆黒の甲冑を纏った少女型機工人形はがっくりと項垂れる。
単純な戦力としてのみ活躍を期待されているのではなく……わざわざ愛らしい少女を模して製造が行われたことを鑑みるに――忌々しいほどたわわに実った胸や丁寧に作り込まれた性器を見るまでもなく――そういう目的も視野に入れられていることは疑いようがないだろう。
元々あった素体を『アルノー』に流用したのか、はたまた『アルノー』の機械化蘇生が決定した後に意匠設計作業が行われたのか。
前者であればまだ仕方がないと諦めがつくが……もし後者だったとしたら救いようがない。もちろんクソ魔王の頭が、だ。自身もメスの身体であるクセにメスの身体に欲情するとはまったくもって見下げ果てた変態思考だ。あんなのが頭目を張っているだなんて、どうなっているんだこの集団は。
『おい、フレースヴェルグ』
「…………何だ、アルノー」
兜の面頬に覆われた顔であれば、どれ程物騒な表情を形作ろうとも露見する心配は無い。
心底不本意な形で性的魅力も露な機体を与えられてしまった黒騎士アルノーは……その仕打ちを仕出かした張本人に対して、極めて解り易い感情を抱くに至っていた。
『…………貴様、よくアレの下で働いて居られるな。嫌にならんのか? あんな倒錯思考と特殊性癖の持ち主だぞ?』
「…………実力そのものは……申し分有るまい。鎧を纏ったあの風体といい、実力だけ視れば紛れもなく『魔王』と呼べよう。……旗印となるには充分だ」
『旗印、ねぇ。…………随分と規模の大人しい『魔王軍』だがな』
「『魔王』めの策が成れば、我等が勢力も幾らか増強されよう。……貴様は、其で良いのか?」
『あ? ……何がだ?』
現世において『魔王軍』と呼べる勢力は……僅かに四名。
頭目である半人半獣の『魔王』セダ、『神話級』の位を持つ稀少な生き残りであるフレースヴェルグ、管制に特化した製造したての合成魔族ヴェズルフエルニエ……そして『元・勇者』の少女型機工人形、アルノー。
実際には『神話級』の位を持つ生き残りがもう一柱存在するのだが……自身の勢力と活動指針を確たるものとしてしまった規格外の神鳥は、『魔王軍』と見なすことは不可能だろう。
ともあれ、たった四名の『魔王軍』。前の三名は生粋の『魔族』であるのに対し、黒騎士アルノーただ一人が『元・人族』である。
千数百年も前の……惑星を二分する程の大戦においては滅ぼすべきとされていた敵対勢力、その復興に荷担することに対して。其で良いのか、思うところは無いのかと、現『魔王軍』の第二席は問い質す。
……本来ならばこんな場所で、今更問うような質問では無かったのだろう。
しかしながら、互いが互いを殺したい程に憎み合っていた前世の蟠りもあってか……黒騎士の機体が生まれてこれまで、両者共に歩み寄りの姿勢を見せたことは一度とて無かったのだ。
そんな両者の間に初めて芽生えた共通認識が……『あの魔王の性癖、大丈夫なのか?』という一点であった。
自らの選択した姿を駆れる自身とは異なり……生前の性別とは反し、性的魅力も露な女体に閉じ込められ、思考を弄らずとも反抗出来ず、いずれは性的に喰われる見込みという……凄惨な状況に追い込まれたアルノーに対し、さしものフレースヴェルグとて憐憫の情が浮かばざるを得ず。
また黒騎士アルノーにとっても、自身の身体の置かれた状況をほぼ正確に察しているが為に……そんな倒錯した性癖の持ち主である『魔王』に、本人の意思に関わらず無条件で恭順せねばならず、かつもっとも近しい位置で控えねばならないフレースヴェルグに対し……こちらも少なからず憐憫と、『よくやってられるな……』という畏敬の念さえ浮かぶほどだった。
生前から不仲であった両者の間は……こともあろうに『魔王』の存在によって、ほんの僅かではあるが打ち解け始めていた。
ともあれ。
いけ好かぬ同僚であったフレースヴェルグに、突如として問い質された設問。『本当にソレで良いのか』との問いかけに……黒騎士はその表情を隠したまま、やれやれとばかりに肩を竦めて見せる。
彼(?)にとってはもはや愚問と化したその問い掛け……しかしながら眼前の同僚には、その心情を吐露したことなどあるハズも無く……まさか吐露することになろうなど、彼(?)自身思いもしなかっただろう。
『俺は元より……人族共などどうでも良い。この身体の生殺与奪を握られてる、というのも在るが……あのクソ魔王めが俺の願いを叶えると宣ったから、な。その契約に従い、媚と恩とを売ろうとしているだけだ』
「…………人族共をも顧みぬ願い、だと」
『あぁ。…………聞くか? 大して面白くも無いだろうが……我ながら珍しく吐き出す気になったので、な』
「聞かせて貰おう。貴様の弱味を握る良い機会だ」
『ハハッ! ……良いだろう。いつでも相手になるぞ』
荒野に開けられた陥没穴の底にて、『魔王』の従僕たる二柱の将たちは……奇しくも彼らが心底嫌っている『魔王』の思惑通り、ほんの僅かずつながら歩み寄りを見せ始めていた。
…………………………
…………………………
「はァァアア゛!? 冗談でしょう調子乗ってんじゃ無いわよ嘘吐き! ふッざけんじゃ無いわアンタが白湯でも飲んでりゃ良いでしょう!?」
「いえですがソの何と言いまスか……! 此方とシまシても調達には精一杯の努力を」
「実らない努力なんざ何の意味も無いのよ! この拠点を守って負傷した救世主に対してアンタ何とも思わないわけ!?」
「い、いや、その……待つが良い学者殿よ。吾は別に特別扱いなど」
「怪我人は黙って安静になさい!! ホラ嘘吐き早く良い食材出しなさいよ!!」
「その……だ、だからの、もう治……あの……」
拠点郊外での一連の迎撃戦の後、体力魔力ともに消耗し尽くしたニドを先ずは休ませるべきだとヴァルターが主張し、幸いにしてその場の全員より同意の声が上がった。
目に見える当面の危機――大規模破壊魔法を行使しようとしていた土人形――の排除に成功したこと、ならびに魔王一派が引き上げていったらしいことを受け……こちらも一旦体制を整えるべきだろうとの結論を持ち上げようとも、さしたる疑問も挟まれなかった。
「諦めろニド……あいつ昔っから思い込みが激しいっつうか正義感が無駄に強いっつうか……」
「んええ…………にとー、だい、じょう?」
「吾は大丈夫なのだが……大丈夫では無くなりそうだの」
「んいいいい……」
療養のために拠点へと帰還したネリー達一行、特にテルスはネリーと共に甲斐甲斐しくニドの世話を焼き、持ち前の土魔法を駆使して堅牢な医務室を新築して見せた。
そこへメアと蟲魔達留守番組が手ずから作り上げた試作品、蜘蛛絹糸と真綿をふんだんに用いたベッドマットを運び込み、それどころか有無を言わせぬ剣幕により真っ白な掛布をも繕わせ、あれよあれよという間に医務室の環境を整えていった。
入院環境が整えば、他に用意すべきは食事だろう……ということで、栄養価の高い食材を寄越せと総責任者の元へ突貫する長耳娘とそれを宥めようとする長耳娘、さすがに放置するのはヤバい気がしたニドとノートが彼女らに続き……結果としてライアの執務室には少女四名が詰め掛け、ライアは突然の襲撃に怯えながら状況の釈明を行い、しかしテルスは『いいから寄越せ』と詰め寄っているという……よくよく落ち着いて考えてみれば、非常に非生産的な修羅場であった。
「ま、まぁまぁテルス落ち着けって……実際今この拠点は物資不足らしいし、な? メルの翼なら直接町まで買い出しに行った方が早」
「それだわ!! さすがねネリー!」
「マジで? テルスおまマジで行く気? その熱意どっから来たの?」
「という訳で、私達は買い出し行ってくるけど良いわよね? もし何かあったら『遠隔通話』飛ばしなさい。ついでに何か仕入れるモノある?」
「えぇ、と…………では、獣毛布を可能な範囲で。まだ殺風景でスが、敷物でもあれば人を入れられるでシょう」
「解った、ツケとくわ。……いちおココの人員ならよっぽど心配無いと思うけど、本当に何かあったらすぐ喚びなさいよ? 代金徴収する前に死なれたら困るんだからね」
「え……えぇ、肝に命ジておきまス」
自他共に認める他人嫌いであり、圧倒的強者である相棒とべったりであった同胞の考古学者……彼女にしては珍しく他者を――それこそ明確に嫌っているハズの自分を――僅かとはいえ心配して見せたその様子に、張本人であるライア自身も混乱を隠しきれない。
柄にもなく『ぽかん』とした表情を浮かべるライアに見送られ、二人の長耳族を含む少女四人は執務室を後にした。
「というわけでニド、あんたは何か食べたいモノあるか? 買えそうだったら買ってくるぞ」
「であれば……クク、そうさな。年若い女子の肢体など在れば」
「オッケー任せときなさい! 何としてもかって来るわ!」
「冗談に決まって居ろうが阿呆! ああもう……坊は何処行きおった!? 此奴等吾には手に負えぬぞ!?」




