243_学者の防衛戦と謀略の黒蛇
[―――goahead。―――goahead。―――goahead。]
「こッ……の! 止まりなさいよ!!」
一歩一歩土人形が歩を進める度、地響きと共に土砂が舞い上がる。
鈍重な標的に対しテルスの攻撃魔法が嗾けられるが……少女の胴体を模る土人形本体周囲を浮遊する岩塊によってそれら全ては平然と防がれる。
作り物じみたその表情を微塵も動かすこと無く全ての障害を無視し、また一歩巨大な足が踏み出される。
壱号橋頭堡『土人形』の構造は、大きく『本体』と『その他』に別れている。
恐らくは、個体としての思考と情報統括を行っていると思しき『本体』部分……肩ほどの長さで揃えられた銀灰色の髪と、硝子玉のように無機質な紅玉色の瞳に彩られた、灰土色の肌の四肢の無い少女。
さも当然とばかりに宙に浮かび上がり、薄い唇から理解不能な音声を垂れ流し、重量を一切感じさせない挙動でもって周囲に漂う『その他』の部位を自在に操っている。
その『本体』に追従するのは……周囲の岩石を支配・吸着・圧縮することで創り出した、巨大な四肢。それらに関節部は存在せず、それぞれの部品が宙に浮かび『土人形』の魔力で繋がれ、重厚な二基の足はしっかりと大地を踏みしめ、長大な二本の腕は『胴体』肩部付近にふわふわと漂っている。
また……両手と両足以外に幾つもの岩塊が周囲に浮かび、それらは『本体』を護る衛星のように付かず離れずの位置を漂っている。
『足』が一歩踏み出されるたびに巻き上がる土砂が、土人形の発する魔力に囚われ吸収されていく。驚愕すべきはこの地響きを立てる一歩でさえ、恐らくは『足』一基ぶんの重量しか掛かっていないという点だろう。本体や両手やその他衛星は物理的に繋がっておらず、それぞれが浮遊しているのだ。それらの重量を『足』が支えているとは考えづらい。
土人形を構成する全ての部位を含めば、一体どれほどの重量となるのか……想像もつかない。
また、その構造のため仮にこの『足』を破壊したとて、行動不能に追い込める見込みは極めて薄いだろう。
「だからって! 黙って見てる訳には!!」
テルスの視線が向けられる先、土人形が今まさに一歩を踏み込もうとしていた地面が、地響きと共に大きく陥没する。
浮遊しているとはいえ、座標を算出する基準点の役割を果たしているのだろうか。陥没穴に沈む片足に引き摺られるように、胴体とその他構造物も陥没穴内へと沈んでいく。
[―――control。―――control。―――control。]
「逃がすワケ無いッ、でしょう!!」
陥没穴の底へと全身が沈んでいった土人形の頭上へ、直径十mに届こうかという巨大な岩塊が姿を表す。
周囲より掻き集めた土礫を上空に導き、圧縮し、一つの巨大な質量弾として形成する。
「この重量なら……! アナタとて無事じゃ済まないでしょう!!」
[―――searching。―――searching。―――searching。]
ただでさえ鈍重な標的、加えてすり鉢状の陥没穴で身動きが取れない状況なのだ。あとは巨大な質量を支える斥力魔法を解除し、惑星の重力に任せるだけ。
あれ程の質量を持つ塊に押し潰されて生存できる生物など……無傷でいられる生物など、居る筈が無い。
「喰らいなさい! 『岩塊鉄拳』!!」
[―――alert。―――alert。―――al]
保持魔法を解き放たれ、自由落下を開始する巨大な質量弾に……無感情な瞳で為す術もなく上空を見上げる土人形。
巨大な岩塊はその姿さえ一瞬で覆い隠し、桁違いに巨大な地響を一つと盛大に土砂を巻き上げる。
陥没穴にすっぽり埋まった岩塊、その上半分のみが顔を出した荒野に……静寂が訪れた。
………………………………………………
[如何した。威勢が良いのは口だけか?]
「相ッ変わらず糞腹立たしい奴だの……!」
地上でゆっくりと歩を進める土人形に、テルスの投射攻撃魔法が雨あられと降り注いでいたその頃。
その上空では飛竜メリジューヌを借り受けたニドが、最強の航空戦力と言えるであろう高位魔族フレースヴェルグと大立ち回りを繰り広げていた。
……とはいうものの、やはりフレースヴェルグ自身は真面目に戦うつもりなど最初から無いのだろう。攻性の魔力鎧を纏うこと無く、冗談じみた航空機動を取ることさえ無く、ただただ中空に佇み二名の攻勢を凌ぎ続ける。
攻勢に転ずる間もない防戦一方……というのは訳が違う。あからさまに『攻撃するつもりが無い』フレースヴェルグの振る舞いに、一方的に宿敵視しているニドの苛々は徐々に徐々に溜まっていく。
無理もないだろう。千と数百年も昔は面と向かって衝突することこそ無かったとはいえ……神鷲フレースヴェルグと神蛇ニーズヘグは互いに互いを貶し合い、罵り合い、競い合い、殴り合った間柄であったのだ。
当時の『勇者』十三番に敗北し、神蛇の姿と権能を喪ったニーズヘグ。紆余曲折の後、何一つ当時の面影を残すこと無い非力な少女へと様変わりしてしまったニドであったが……久方ぶりに『いけ好かない鷲鼻野郎』と相見えたニドを待っていたのは、歯牙にも掛けられぬほど隔絶した実力の差であった。
「……ッ、済まぬメルよ。気苦労を掛ける」
飛び蹴りを軽々と往なされ落下するニドを、飛竜メルが器用に拾い上げる。気にするな、と言わんばかりの唸り声に一つ頷き、同時に飛竜メルより送られた意思を的確に察知する。
そのままメルは身を翻し、再度フレースヴェルグへと仕掛ける。飛翔魔法に由来する大気障壁に攻性を付与し、鋭い鼻先を抉り込むように肉薄。鋭い牙の並ぶ顎を大きく開き首筋を狙うも……渦巻く暴風を纏った翼で的確に往なされ、攻撃は実を結ぶことは無い。
メルに侘びつつその背を蹴って空中に身を投げ、防御直後の無防備な背へと攻撃を図るニドであったが……切り返す軌道で再び大翼を振り抜かれ、避けることも叶わず軽々と打ち返される。
あまりにも呆気ない、あまりにも大味な対応を取られ……これまで冷静な判断力を維持していたニドの中の『何か』が、ぶちりと音を立ててキレる。
「ぐ、ぬ……っ、ああもう糞! おのれ鳥畜生めが! ……この吾が! こうも軽々と遇われるとはな! く呵々々成程、あのとき小僧は此う云う心境で在ったか! 此は確かに絶望的だの笑けて来る! 今は非力な此の身が恨めしいわ!!」
[捲し立て喚くだけでは何も変わらぬ。……勇猛果敢なる娘、その意気振舞や見事。貴嬢の実力は此の程度では在るま]
「ああ!? 此の程度で終わりじゃ呆ケ! 御期待に添えず悪かった! 抑もが貴様飛んどる時点で反則なんじゃ畜生めが! 安全地帯から余裕の御高説とは誠神経の逆撫が御上手だの! 全く以て良い御身分よな舐め腐り居って! 畏れ入ったわ死ね滓が!!」
[っ、…………な、に……?]
かつての宿敵は今や、逆立ちしても到底手の届かぬ遥か高みへ。自ら選んだこの身体とこの道そのものに悔いは無いが、以前は出来ていたことが出来なくなるということは想像以上のストレスであったらしく……ここまで感情も顕にがなり立てるというのは、彼女の長い長い生においても初めての経験であった。
自暴自棄気味に捲し立て、今や圧倒的に強者となったフレースヴェルグに喧嘩を売る。どうせ逆立ちしたって勝てぬ相手なのだ、どういうつもりか殺意は無いようだが……ならば遠慮なくそれに乗じてやるまでだ。
「吾らの戦力を観たいので在れば! 直接地に降り拳を交えれば良かろうに! 安全地から見下しておいて『実力を見せよ』とか莫迦なのでは無いか!? 雄なら自ら直接相手取って見せぬか此ンの臆病者めが!!」
[ぐ、ぬ……]
「貴様とて高位種ならば模倣体程度嗜んで居ろう! 降りて来い糞鳥! 直接一対一で吾と殴り合うが良い! か弱い娘相手に真逆『恐い』等と云うまいな!? 高位種の名が泣くぞ!!」
[………………成程]
何事か思案していた様子のフレースヴェルグは、やがて翼を畳み降下すると音もなく地表に降りる。すぐさま巨大な猛禽の身体中を緻密な魔法陣が覆い尽くし、眩い光を放ちながらフレースヴェルグの身体を再構成していく。
泉の水が凍りついていくような音とともに巨体が縮み、やがて光は二本足で立つ人族を模る姿となり……振り払うような手振りと共に、体表面を覆う光が粉々に砕け散る。
硝子片のように飛び散った光の中姿を現したのは……軍服らしき礼装を纏った、歳の頃は壮年に差し掛かろうかという男。
短く刈られた黄昏色の頭髪と、触れれば切れそうな程に鋭い目許、苦々しげに歪められた顔には深い陰影と皺が刻まれ……肺と喉を震わせ、唇は人族の言葉を紬ぐ。
「……貴嬢の言葉、確かに……一理在ると判断する」
「一理処か百理は在るわ。この図体ばかりの鳥頭めが」
「グ、ッ…………然れば、今一度相対を。貴嬢の云う通り……地に降り、拳を交え、然と貴嬢の実力を……この我に見せるが良い」
「当然、手加減は貰えるので在ろうな? 吾は只のか弱い小娘で在るからに」
「……ならば…………我は今此より、此の場より動かぬ。我の下肢膝を地に突かせば、其を貴嬢の勝利としよう」
「ヨシ乗った!!」
ちゃっかりと勝利条件を引き下げながら、ニドは意気揚々と身を翻し飛竜の背より飛び降りる。
どう考えても打つ手無しであった展開から一転……挑発と勢いに任せたゴリ押しの理屈で、なんとか宿敵を同じ土俵に引き摺り下ろすことに成功した。
引き締めた表情とともに身構え……ニドは溢れそうになる内心の笑みを、全身全霊で押し殺す。
手の届かぬ獲物が、わざわざ手の届く距離に近付いて来たのだ。笑わずには居られない。
(ククク……何という好機。……あわよくば殺す)
内心の闘争心を器用に覆い隠し……人族の姿を借る神蛇の化身は、その狡猾な性根を発揮しひっそりと牙を研ぐ。
全ては……自らが主と仰ぐ、無垢なる少女のため。
あとほんの少しの私情を交え……彼女は駆け出した。




