242_少女と黒騎士と切札の応酬
真白い幼子の顔面目掛けて叩き込んだ斬撃を予想だにしなかった手法で凌がれ、あまつさえ一瞬生じた思考の隙を突かれ反撃を受けたことに……さしもの『黒騎士』アルノーも混乱を禁じ得なかった。
盾などの堅牢な防具で攻撃を防ぐ、というのであれば……解る。
致命傷を避けるために回避を試みる、というのも……まあ解る。
しかしながら……今しがた眼前にて繰り広げられた応酬は。
回避困難なタイミングで急所たる頭部に叩き込まれた斬撃を凌ぐために、この少女が取った行動は。
自らの顔面に叩き込まれる敵の剣から目を背けず、避けるどころか前へと進み、表層硬化を複層展開した顔面で攻撃を受け流し、前へ出た勢いそのまま横凪ぎの一閃を放ち反撃に転じる……という、常軌を逸した行動であった。
確かに……確かに、そもそも敵が攻撃を放つタイミングというものは、攻撃を加える好機でもある。武器を握りそれを振るうタイミングであれば、重心移動や体勢や武器の角度等は『攻撃』に最適化されてしまっている。直ちに『防御』あるいは『回避』に転じることは困難であり、そのため一対多の乱戦においてはいかに攻撃を受けない立ち回りを図るかが重要となってくる。
だが……一対一の戦いであれば、この心配は薄いだろう。
自分が攻撃を試みることで無防備となろうとも、敵が攻撃を試みる前に殺せば良いだけのことだ。攻撃に攻撃を重ねて畳み掛け、反撃を受けぬ状況に押さえ込んでしまえばそれで良いのだ。
その『連続して攻撃に繋げる』『攻撃されずに攻撃する』ための技術がいわゆる『剣技』と括られるものであり、いかに効率良く武器を振り回し優位に立つかを突き詰めることこそが、一対一の戦いにおいて優位に立ち回る秘訣とも言えるだろう。
少々話が逸れたが……要するに攻撃の瞬間に多少なり無防備となることは、充分に有り得ることだ。
しかしながらその瞬間とは当然、敵の攻撃が今まさに迫っている瞬間でもあり……その攻撃に対処しなければ自分が死ぬ、まさにそういう瞬間である。
いくら『隙があった』からといって。
凌がねば死ぬか、致命傷を負う攻撃を無視してまで、その『隙』を突こうと動くなど。
普通の思考であれば……常識的に考えれば、有り得ない。
それを平然とやってのける者など……正気の沙汰とは思えない。
「んぎ…………よけ、れれた……!」
可愛らしい顔で歯を剥き憎々しげな表情を形作り、表層の薄皮一枚とはいえ斬り裂かれ鮮血を溢す額を微塵も気にせず、真白の幼子は白の直剣を両手で握り正眼に構える。
見た目の幼さとは裏腹に、その構えはなかなか様になっている。子どもの遊びの延長線上などではなく、実直な鍛練と実戦経験の賜物なのだろう。
動力炉の出力を上げ、瞬間魔力量面では同等まで引き上げている以上、単純に立ち回りと技量での戦いとなるのだろう。しかしながら先程からの立ち回りを見る限り、この娘に常識的な『剣士』としての立ち回りは期待出来ない。
形式に則った綺麗な剣技ではなく……どちらかといえば薄汚い――しかし『勝つこと』を最優先に置き実戦に則した――極めて泥臭い戦い方。
ソレは……どちらかと言うと、自分達のような。
他の全てを……それこそ自らの命さえ擲ち、何よりも勝利を優先することを宿命付けられていた、自分達のような。
「んい…………あなた、きけん。……だから」
思考回路に浮かんだ思考を精査する暇も無く、戦況は進展する。
白の直剣――『勇者』シリーズの標準的制式装備――を構え、真っ直ぐこちらを見据えるその視線は……限りなく冷徹な、紛れもない敵意を秘めたもの。
彼女に合わせて出力を増した筈の機体が気圧される程に、濃密な殺意が向けられる。
「あなた、きけん。……あるたー、かてない、だから」
ただでさえ常識外れの自己強化魔法を、もう一段階上へ。身体全強化と瞬間強化の更に上へ表層硬化を纏い……全身全霊の殺意を小さな身体と剣に籠める。
少女の背丈には似つかわしくない、刃渡り百cm程の直剣。その鍔の装甲板が小さく動き、内部に仕込まれた魔道具が唸りを上げる。
「……わたしが、たおす。『しゅいると』、いる」
『…………成程。コレは拙いな』
白の直剣の周囲を眩い光が包み、大気中の魔力と激しく干渉し震えるような異音を生じさせる。
触れたもの全てを焼き尽くし消滅せしめる、物騒極まりない決戦兵器……蟲の羽音のような独特の音は、その特徴の一つである。
あまりにも高密度の光魔法を収束させ、およそあらゆる防護を貫通する代償に『勇者の剣』刀身本体にも小さくない負荷を掛ける奥の手。刀身および発振機構保全のために設定された仕様上の稼働許容時間は、四十五秒。
つまりは……これは『四十五秒以内に片を付ける』という宣言に他ならない。
出し惜しみをしている場合では無いのだろう、でなければ冗談ではなく細切れにされてしまう。身体を喪ったとて消滅する訳では無いとはいえ、現実界に干渉する手段を喪うことは実質的な死に等しい。否……終わりが存在しない分、死ぬことよりも残酷だろう。
それに何よりも……あの阿婆擦レの糞餓鬼魔王に何を言われるか。
敵ながら見事と評さざるを得ない、これ程の機体を用意して貰いながら早々に敗退し、それどころかせっかく誂えた専用機体を喪失するとなれば……その後に下されるであろう嘲笑と侮蔑と嘲弄は、想像に難くない。
よって。此方も本気で抗わざるを得ないだろう。
具合の良い『盾』が無いのは不満だが、無いものは仕方無い。盾がないのならば『盾以外』を使えば良い。
「ん……いッ!!」
触れるもの全てを消し去る白光の剣を振り上げ、清浄な容姿に血の赤を加えた小さな修羅が真正面に跳躍する。
認識速度を現在の出力における最大値に強化して尚、その速度は異常。もはや疾走などという次元では無く、『射出』と形容する方が近いだろう。
すれ違いざまに斬り捨てるべく振り下ろされる剣、防御不可能なその剣戟に対し真っ向から迎え撃つように左腕を振り抜き……此方も『切り札』を切る。
『身体拡張、表層硬化・三重』
「ッぎ!!?」
白光の剣と漆黒の籠手が衝突するその一瞬。小柄な少女の膂力を斥力場の反発力が上回り、触れたもの全てを消滅させる白の剣が非実体の斥力鎧を纏う籠手に触れることも出来ずに殴り返される。
剣を握る手を襲った衝撃と驚愕に目を見開き、飛び込んだ勢いを削がれた少女が体勢を崩す。一瞬とはいえ呆然と無防備を晒した少女、その動きを止めようと腰椎を狙い剣を振るう。
足とは異なり腰であれば、迅速に切り返しての回避は難しいだろう。行動を抑制するか、あわよくば手傷でも負わせられればと斬り掛かるが……下肢の運動そのまま、防御も回避も取ろうとしない少女の挙動に違和感を覚え、直後失策を悟る。
「んぎ、っ、……とど、かなっ!?」
『ッ、……気狂いか、貴様』
左腰から右股へ、左薙ぎ真一文字に斬り裂かれることさえ頓着せずに……彼女は自らの身体の損傷を危惧せずに、またしても攻撃に転じてみせる。
こちらの左肩口へと振り下ろされた白剣は未だ物騒な光を纏ったまま、防御に失敗すればそのまま袈裟斬りに真っ二つ。どう考えても大破は免れられなかっただろう。
幸いなことに『身体拡張・表層硬化』による防御は成功したが……汗腺など既に無いにもかかわらず、内心冷や汗が止まらぬ心境である。
苦し紛れに繰り出された足裏での蹴りを凌ぎ、少女を大きく弾き飛ばし距離を取る。
不機嫌そうな表情を隠そうともせず、額と下腹部から血を滲ませながらも……驚くべきか呆れるべきか、その戦意と殺意は微塵も揺らいでいない。
『戦闘技能は極めて高水準、装備の運用熟練度も高水準。警戒能力も咄嗟の判断力も収拾選択も極めて迅速。自身の損壊さえ厭わず対象撃破を最優先。……狂戦士か貴様は』
「っ、……っ!! ば――か! ば――――か!!」
『……しかしながら語彙力と会話能力は貧弱だな。基礎教養は履修したのか?』
「は!? わかり! やすく! ゆえ! ばーか!!」
『………………知能が低いのだな』
「んいいいいい!!」
非情に解り易く気分を損ね、地団駄を踏む眼前の少女。通用しないことを理解したのだろう、白剣はその光を収める。
それにしても……少女の正体が不明だ。手掛かりであろう情報は幾つか存在するのだが、それぞれ互いに互いの手掛かりを打ち消すような存在感を秘めており……総合的に考えようにも意味が解らない。
思考傾向と戦闘姿勢と使用魔法から、恐らくは自分と同じ『勇者』に属する存在なのだろうが……だとすると、その秘めたる魔力量が有り得ない。
まず何より、『勇者』とは『魔族』に対抗するため『人族』に強化処置を施した歩兵の総称である。その保有魔力量は一般人より豊富とはいえ……『魔族』並の魔力を秘めていること自体が稀なのだ。長耳族種や獣人族種を素体とした『勇者』の中には際立った魔力保持個体も居ただろうが、眼前の少女にそれらの特徴は当て嵌まらない。
加えて……『勇者』にしては、外科的処置を施された形跡が無い。骨格を置換するにしろ四肢を挿げ替えるにしろ、大規模な外科手術は不可避の筈だ。着衣を断たれ顕になった柔肌に縫合痕は見当たらず、そもそも今この身体の感覚器類は彼女の身体に悪趣味な金属細工が埋め込まれていないことを……綺麗なままの身体であることを知覚している。
そもそも。『勇者』の製造工場は、その施設も研究資料も何もかも、今この時代には何一つとして残っていない。
自分のような『亡霊』と化した『規格外の欠陥品』ならまだしも……この時代に――この時代の人物が勝手に名乗っている『最強の剣士』という意味を持つ称号を除き――『勇者』が存在している筈が無いのだ。
外部補正無く『三重展開』を常用するほどの魔力量を秘める存在。仮に彼女が『魔族』であるとすれば、その潤沢な魔力量にも説明が付くが……だとすると今度は『何故『勇者』じみた戦法を取るのか』という疑問に行き当たる。
当然だろう。魔族ならば魔族らしく、外界作用系の攻撃魔法を使っていれば良いのだ。攻め手の選択肢を増やすために身体強化魔法を会得するのは可怪しなことでは無いが……得意な筈の分野を丸ごと封印して不得手な手段に固執するとなると、途端に意味不明になってくる。
……そもそも。仮に彼女が『知識と学問に秀でた魔族』であるならば。
あの貧弱な語彙は。間の抜けた言動は。未熟さを感じずには居られない口調は、一体何なのだ。
「わたし、が……とめる。とめ、ないと」
『……本当に……何なのだ、お前は』
「わたし! のーと、です!」
『…………ああ、もう……アレコレ考えることさえ面倒になって来た。張り切り過ぎたか身体も熱いし……胸も張る……俺は帰りたい。……アチラはまだ終わらんのか』
試運転ということもあり、この鎧も武具もまだまだ未完成。内蔵動力炉の産み出す膨大な熱を全て排するには至っていないらしく、機体の内側各所に熱が篭もっているのを感じる。
中でも一際酷いのが…………悪趣味極まりない、この巨大な胸だ。ただでさえ動きづらく、体捌きに支障を来しているというのに……此処へ来て異様ともいえる発熱を感じるまでになっている。
有り体に言えば……非常に、だるい。機能に障害が生じる程では無いだろうが、やる気は物凄い速度で急下降している。
こと此処に至ってはもう試運転などどうでも良い。一刻も早くこの下らない茶番を切り上げて拠点へ戻り鎧を脱ぎ捨てたい。この機体の仕様について製造元を問い質し、返答次第ではニ・三発ブチ込んでやりたい。
『……ハァ。あの糞餓鬼魔王め。勇者に犯られちまえ畜生が』
臣下らしからぬ言動だと自覚しては居るが、今更取り繕うつもりも無い。
とりあえず省エネ運転を心掛けながら、未だに敵意満々で飛び掛かってくる少女をあしらい務めを果たすべく玩具を構える。
この機体であれば……殺そうと思えば、殺し切れる。
それが解っただけでも、試験結果としては充分だろう。




