239_勇者と魔王と忠実なる下僕
当代最強の剣士である証、白塗りの『勇者の剣』を握る二つの人影が、こちらを悠然と見下す黒鎧に向かい躍り掛る。
見上げる程に巨大な大鎧と、華奢で軽装な装いの女性型。後者は初めて相対するが、あの大鎧を纏う『魔王』と肩を並べ罵倒し合っている時点で……その脅威度は推して知るべしだろう。
『白いのと戦わらせろ。小僧はもう戦い飽きた』
『ククク……よく言う。負け犬の分際で』
『貴様後でブチ殺す』
『上等だヤってみろ雌犬』
空を切る二人の『勇者』はその会話を聞き取ることこそ叶わなかったが、どちらがどちらを相手取るのかを話しているということは推測出来た。
果たしてその通りだったのだろう。直後それぞれ立ち位置を入れ替えるように大小の黒鎧が動き……小柄で比較的軽装な女性型は純白の少女へ勢いよく踏み込み、その一方で二本角の大鎧は白黒の二刀を構える青年へと鉄塊の如き大剣を振り下ろす。
大地が爆ぜ、砂礫と砂埃を四方八方に吹き飛ばすのを合図として。
彼ら彼女らはそれぞれが敵と見定めた脅威に向かい……暴力を交えたコミュニケーションが幕を開けた。
………………………………………
魔王の側近(不本意)が一柱、『黒騎士』アルノーは大きく息を吐く。
人工の肺と腹腔から絞り出されたその空気は、成分自体は周囲の空気と全く同一。ぜいぜいが排熱を帯びる程度、何の老廃物も含まれていない。とはいえ生身の体を持っていたときの名残だろうか、嫌な気分や熱を帯び過熱する思考を鎮めるためには不可欠の動作であった。
幸いというべきか予想外というべきか。金属と樹脂と焼結器で形作られた無機質な身体であってもその効果は健在であり、常識外れの速度で白剣を振り回す小柄な『勇者』と立ち会いながらも、電子信号化された思考は冷静さを取り戻しつつあった。
『何だお前は。速過ぎるだろう。人間とは思えぬ』
「んぎ……っ! そ、ち、こそっ!!」
『……オマケに足癖も悪い。見掛けの割に野蛮な』
音速に匹敵する速度で振り抜かれる白剣を剣先で跳ね除け、崩れた体勢から繰り出される小さな踵を左の籠手で受け流し、その予想以上の衝撃に目庇の奥、人工皮膚の表情を歪める。盾の調子のまま真っ向から受け止めていたら……砕かれはしまいが、恐らくはべっこりと凹んでいただろう。内部構造とて只では済むまい。
華奢で儚げで小柄な少女でしかない容姿に反し、その戦闘機動や一撃の重さはえげつない。常人であればその動きを捉えることすら叶わず、これまたえげつない破壊力を秘めた一撃を叩き込まれる。現代の技術力であればほぼ防御不可能であろう勇者の剣は言うに及ばず。その小さな脚から繰り出される蹴撃は、直撃すれば生半可な鎧ごとカチ割ってのけるだろう。全く馬鹿げた戦闘能力だ。
見た目に騙されていてはいけない。コレはただの幼子ではない。以前相対した――それこそこの少女の身体を間借りした際に刃を交えた――当代の『勇者』たる青年などより、その研ぎ澄まされた戦闘技能・戦闘経験は、軽く数段上だろう。
「ッ!! これ、も……!」
『驚いたな。まだ上がるのか』
「なまい、きな……!!」
先程よりも更に一段階加速した剣戟が、前後左右から襲い掛かる。無駄を省かれ高速化された思考速度を最大限活用して斬撃の軌道を見極め、高速戦闘に対応すべく強化処置を施された全身の関節部へと適切に電子信号を飛ばし、その指示を受けた全身各所の関節と筋肉は極めて高速かつ正確に、思考のままに身体を制御する。
……とはいえ、今のは正直、少々危なかった。剣戟を往なすだけであれば、貸与されたこの玩具でも何とかなるが……さすがにあの速度であの蹴りを受ければ、この玩具とて只では済まなかっただろう。この理不尽な蛮族少女の手に掛かれば、ベッコベコのボッコボコにされても可笑しくは無い。
憎々しげにこちらを睨みつけ――しかし悲しいかな、可愛らしいその顔では迫力に欠けるが――より一層濃密な魔力をその身に纏った小柄な姿。
なるほど確かに。この時代この世界において恐らく屈指の実力者である彼女であれば……この身体の慣らしには丁度良い。
剣は間に合わせの試作品に過ぎず、盾は姿形さえ無い。武装の類は不充分極まりないが、それでも良い運動にはなるだろう。
『壊れぬ案山子、か。……さて。本当に壊れぬかどうか』
「……ッ!!?」
出力を上げた魔力反応炉に呼応するように、無機質な身体の全身に魔力が満ちる。理不尽な速度と破壊力を誇る彼女に合わせた機体強化が発現し……さすがにその規模の強化魔法ともなると余波など容易に見て取れるのだろう、彼女の顔が目庇越しの瞳に映る。
眼前の少女が絶望感さえ漂わせ、驚愕に目を見開く。……それにしても見目麗しい上、いちいち挙動が可愛らしい娘だ。
こんなときだというのにそんな感想を抱いてしまうのは……恐らく彼女の遺伝子情報を基幹に据えながらも性格の捻じ曲がった……殺したいほどに憎らしい害悪が身近に存在するせいだろうか。
あの害悪とは異なり、この真白の少女は視ていて心地良い。裏表が無く、懸命で、真っすぐで……強くて。
そして恐らくは……とても、頑丈。
『そう簡単に……壊れてくれるなよ』
「!!? ッ、ある」
何者かの名を呼ぼうと試み、悲愴な表情を形作るその顔を……やはり愛らしいなと感じながら。
愛らしいその顔に向け一片の躊躇無く、玩具を叩き込んだ。
………………………………………
魔王の側近(不満気)が一柱、『黄昏の大鷲』フレースヴェルグは力無く嘆く。
全速力とまでは行かずとも高速で飛翔する彼の溜息は、高空の大気に跡形もなく消える。心因の元凶である有角の魔王と別行動であるが故に、不本意極まりないその表情とその心境を微塵も隠すことは無かった。
今回の任の要たる荷物を抱え、重要動力供給拠点たるパトローネ山の地下施設へと向かうフレースヴェルグ。彼に下された命令とその他諸注意を思い起こし……その煩雑かつ到底意味不明な指示に、今再び大きな溜息が零れ出る。
[……何が……目的なのだ。あの魔王は]
応える者など居るはずもない。彼の抱いた疑問が解消されるはずもない。解ってはいるが、それでも口に出さずには居られない。
意味不明な指示や正気を疑う命令は今に始まったことではないが……それでも嘆かずには居られない。
[本当に……本当に…………面倒な]
目的のみを達するのなら、ものの数瞬で片が付く。翼に蓄えた魔力を開放し爆発的な速度を稼ぎ、両足で抱えるこの荷物をパトローネ山に投下さえすれば、その時点で完了なのだ。
だが……それでは『面白く無い』と、あの魔王は言う。
この『詰まらない』展開を『面白く』するためには色々な工夫と努力が必要なのだと……もっともらしい口調で、あの道楽者の魔王は持論を口にする。
今回の一件もそうだ。わざわざかの飛竜に手傷を負わせ、これ見よがしに荷物を抱え先行させ、かと思えば追い付かれるのを待てだなど。
侵攻を止めたいのか、止めるつもりが無いのか。目的が真っ向から相反する指示を下されたときには、さすがに二の句が次げなかった。ともあれ意味不明な魔王の指示は今に始まったことでは無い。考えるだけ無駄だと思考を止め、取り敢えず下された指示を盲目的に片付ける他無い。
……結局のところ、あの魔王も解っているのだろう。
指示さえ下せば私情を挟まず――内心はどう思っていようとも――下された指示を正確に遂行する……『フレースヴェルグ』という有用な駒のことを。
[……来たか]
遥か後方にて膨れ上がる気配――『新入り』の内燃魔力機関による膨大な魔力の余波――を感じて、暫し。生半可な飛翔生物では到底太刀打ちできぬ強者が圧倒的な速度で追い縋ってくるのを、探知器官が告げていた。
どうやらあの魔王の予定通り、あの飛竜は再起動を果たしたらしい。かの者達の中では最速の翼を以て、先行した『フレースヴェルグ』の企みを阻止するために追撃を仕掛けたようだ。
概ね予定通りだが……ただ一点。
かの飛竜の飼い主と思しきエルフ種の他に、もうひとつ人間の気配が同乗しているようだが……大した障害とはならないだろう。
ならば丁度良い。精々憂さ晴らしに――『勇者』めと行動を共にする、憎からず思っている彼女との再会を……あろうことか『新入り』ふぜいに妨げられた鬱憤を晴らすために――少々付き合って貰うとしよう。
血湧き肉躍る闘争への渇望を胸中に秘め、『命令』を遂行するための冷静な判断力にて厳重に封を行う。
全力での闘争は望むべくも無いが……十分の一程度は欲求も満たせよう。
正確にこちらを見据え向かってくる……雌の飛竜が一匹と、雌のヒト種が二匹。
物足りなさを感じる自身の本能を宥めながら、追撃者を刈るため身を翻した。




