234_故代と少女と歓迎の挨拶
『黄』のテルスは、集落を飛び出たはぐれ長耳族の一人である。
まだ集落にて日々を送っていた頃の彼女は、自分よりも年代が下である同胞の面倒を見ることが極めて多かった。同年代の同胞達が狩猟や魔法の会得に精を出す間も、彼女に言い付けられていた『やるべきこと』は変わらず『子どもたちのお世話』であった。
周囲の大人達にそう仕向けられていたこともあり、彼女は若干の疑問を抱きながらも『やるべきこと』を全うしていた。一度疑問に思い『なぜ私は狩りや勉強をしなくて良いのか』を訊ねてみたこともあった。なんでも将来彼女が携わるであろう御役目は狩りや勉強とはまた異なるらしく、その御役目の一端として子ども達を健やかに育む経験を積ませているのだ……という。
そのときはどういう意味かよく解っていなかったが……このときに疑問を感じたことは間違いではなかったと、彼女は後年になって気付くこととなる。
話がやや逸れたが……帰結として。
彼女は本来定められていた御役目を果たすことなく、むしろその宿命に反逆すべく集落を出奔したのだが……彼女が幼年の頃より携わってきた『やるべきこと』の経験とそれに伴う情操教育の成果は真っ当に顕れており、テルス本人はそれを自らの性質であると認識していた。
……要するに。
はぐれ長耳族の考古学者テルスは――どこぞの青とは異なり極めて清廉な意味で――『子どもが好き』なのであった。
「お嬢ちゃん? もう御眠の時間よ。夜更しはダメでしょう?」
「んん…………んんー……」
突如として今夜の寝床へ襲来した幼女型傍迷惑生命体に対しても全く動じることなく、未だ清い身ながらも育児経験を積みまくったテルスは、思考を巡らせながらも丁寧に対応する。
肌も、髪も、瞳さえも白い、出鱈目に綺麗な少女……こんな特徴だらけの娘を忘れるはずがない。大白金貨を掘り当てたという『勇者』が連れていた――大白金貨の束を保持していた――謎多き幼女。
恐らくは、見たままの儚げな少女では無いのだろう。何かしらの秘密が隠されているのは疑いようがない。
家が買えるどころではない資産を、当然のように預けられている。彼女の同行者……人族種の勇者も黒髪の少女も青の同胞も、皆一様にそのことを『当然』と認識している様子。
つまりは……この真白の少女の懐こそが、最も安全であると判断しているということ。
単純に、彼女自身が誰よりも強いというのだろうか。或いは未知の遺物や魔道具……それこそ『勇者の剣』のような特級遺物によって護られているのか。
……はたまた、その両方か。
「……こん、ばんわ。めぃ、な…………んん、んんん……なー…………なま、え。……わたし、なまえ、『のーと』。……なまえ、『のーと』……です」
「……あら、御丁寧にどうも。私は『テルス』。考古学者を名乗ってるわ。……わかる? 『テルス』。て、る、す」
「んい。やうす! わたし、『てるる』、おぼえま! 『てるる』、にぇーれま! んい!」
「ふふっ。元気は良いことだけど……ちょっと静かに、ね」
「…………んん、あい。……もめ、やさい」
ふっくらとした頬と薄い唇から紡がれるたどたどしい言葉は、確かに見たままそのままの幼い少女のものである。……彼女に何かしらの秘密が存在するのは間違いないといえ、こうして見る分には確かに可愛らしい。
加えて……彼女の口から零れた、『音』。テルスの推測が正しければ……それは彼女について知るための、極めて重要な手懸かりとなろう。
「ところで……ノートちゃんは、こんな時間にどうしたの? 眠れないの?」
「んん、やー。……わたし、もあいさつ。……あーで……おはなし、ほしい……でした。……このこ」
「……肝が据わってるのね」
こんな夜分に、わざわざ安全地帯の外側まで訪ねてきた、幼げな少女。一体何事かと思ったら……おはなしがしてみたかったのだという。
なるほど。やはり只者ではない。見たまんまの儚げな美幼女である筈がない。普通の女の子は安全の保証もない夜間に一人きりで出歩いたりしないし、飛竜とお話したいなんて口に出す筈が無い。
表情はそのまま、思考を巡らせるテルスを余所に……眠たげながら熱の込められた瞳で見つめられた飛竜は、さも愉しげに喉を鳴らす。
人族の身には理解できぬであろう筈のその声色は、語り掛けられた飛竜の発した感嘆であり、興味であり、返礼であり……そして歓喜であった。
「……んい。めり、るーぬ……かっこい、すごい」
「な…………!?」
「てるる、すごい。めりるーぬ、すごく……すごい。めりるーぬ、ぱーてな、てるる…………あるぞー、すごく、すごい。わたし、わかる」
「ふふ…………すごい、ですか。……ありがとう」
「んい!」
危うく口から零れ出るところだった『貴女ほどではありませんよ』という言葉をなんとか呑み込み、テルスは眼前の少女に対しての考察を進める。
間違いでは無いだろう。彼女はたった今、まだ彼女には紹介していない筈の相棒メルの……『メリジューヌ』という名を、ものの見事に言い当ててみせた。
加えて……現在進行形で交わされている、彼女と相棒との会話――喉を鳴らす相棒とそれに相槌を打つ彼女という、会話と言えるのか疑問が残る光景ではあるが――その様子と先程のやり取りを鑑みるに、彼女には相棒と……魔物と意思疏通を行う手段がある。
推測ではあるが、恐らく間違いは無いだろう。
「めりるーぬ、すごく……つよい。わたし、わかる、する。……そーあ、てるる、もっと、つよい」
「あら……そんなことも解っちゃうの? ノートちゃんは……本当にすごいのね」
「……んんー…………わたし、できる、こと……すこし。……やくにたつ、すこし。……あるぞー……てるる、てつだい、いっぱい、くれた。あるたー、ねりー、らいあ……わたしたち、すごく、うれしい」
「ふふ……私もよ。『報酬』が手に入るのも勿論だけど、ノートちゃんと会えて嬉しい。……これからしばらく、よろしくね」
「んい……やうす! てるる、めりるーぬ…………んい、よろしく、おねがします! あーで……よう、こそ! かんげい、します!」
「…………ありがとう。嬉しい」
ほんの僅かな時間言葉のやり取りを行っただけでも、この真っ白な少女が多くの謎を秘めていることは、はっきりと解った。
テルスは自らの知的好奇心が刺激されるのを感じながら、やはりこの話に乗ったのは間違いでは無かったと確信する。
魔物と意思を交わし、勇者よりも格上の戦闘力を誇り、太古の文明の言葉を操り……素直でまっすぐ、真面目で丁寧な少女。
謎が多い点も自分にとっては魅力であるが……それを差し引いてもわざわざ『挨拶』に尋ねてきてくれた彼女の気配りは、関心に値する。人付き合いが苦手であると自負しているテルスであったが……それんな彼女であっても『嬉しい』という感情は、偽らざる本音であった。
良い子、なのだろう。
飛竜メルの唸り声に一喜一憂し、ころころと表情を変える少女を眺めながら……テルスはそう判断を下した。
「……ほら、ノートちゃん。早く帰って、今日はもう寝ましょ。……また明日、ね? ……おやすみなさい」
「んい……やうす! てるる、めりるーぬ……おやすい、まさい!」
「はい。おやすみ。……あまりネリーを困らせちゃダメよ?」
「んい! やうす!」
小さな手をぶんぶんと振りながら……白の少女ノートは堀を飛び越え柵をくぐり、拠点内へと消えていった。
そう……『また明日』。興味深い観察対象である少女と、翌日以降も行動を共に出来る。これは非常においしい話であった。
「……メル、どう? 敵意は感じた? …………そう。やっぱりね」
危機察知に秀でた相棒に問い掛けるも、その解は聞くまでもなく解りきっていた。あの少女が異質であることは間違いないが、しかしどうやら安全を脅かす存在では無いらしい。
であれば、お近づきになっておくべきだろう。
少女の所作の端々、発言の数々を観察していたテルスは、この段階で既に様々な情報を手に入れていた。推測だが、あの少女は故代文明に何かしらの所縁がある存在であり……あの『大白金貨』の束も、恐らくは少女自身が齎したもの。
勇者達はあの少女に管理を任せているわけではなく、そもそも彼女が入手したものなのであろう。……であれば、あの一連のお伺いも頷ける。
あの少女と懇意にしていれば……いずれはあの『大白金貨』が出土した遺跡の場所を聞き出すことが出来るかもしれない。
未だヒトの手の殆ど入っていない未開の遺跡を探索する際、助力や案内を依頼することも叶うかもしれない。
「ふふ。……本当に、乗って良かったわ」
相棒の飛竜が呆れ混じりの唸り声を溢す中……テルスは翌日以降の有意義な調査に思いを馳せながら、自信と相棒二人だけの宿営地を仕上げていった。
やっぱり週一になりそうです。
大変申し訳ございません。




