230_生贄の少女と絶望の魔鳥
何時とも知れぬ大昔。
何処とも知れぬ深遠。
とあるひとつの生命が……とびきり異質な存在が、深い底にて産声を上げた。
わたしは賢かった。わたしは特別だった。
誕生して直ぐに『自分が他の生命とは根本的に違うのだ』と……自分は有限では無いのだと、本能的に気付いてしまった。
『……そうか。君はとても賢い子だね、フェネクス』
あの方が笑う。
嬉しそうに、しかしながらほんの少しだけ悲しそうに。
今にして思えば……このときにはもう既に、わたしの反抗を予期していたのかもしれない。
『愛しい子。賢い子よ。君の力をどうか私に……この『魔王プリミシア』に貸してくれ』
『…………わかりました。我が創造主』
あの方に『賢い』と評されたわたしよりも、数段上を行く『賢い』あの方。
わたしの疑問に、わたしの本心に、気付いていない筈がない。
間違いないだろう。全てを理解した上で……あの方はわたしを召し抱えたのだ。
………………………………
『ふざっ、……けるな!! そんな……そんな理不尽が…………そんなことが! 赦されるというのか!?』
『……あなたに赦しを得る必要など……有りません』
比喩や誇張ではなく血を吐くような勢いで……いや実際に血を吐きながら、眼前の敵が捲し立てる。
あの方の下命により、わたしが今まさに戦っていた相手。
数多もの同胞の命を奪った、白く禍々しく輝く片刃の剣を携えていた……整った容姿であった少女。
艶やかだったのだろう黒髪は、今や焼き切られ灰にまみれ。
黄金色に輝き強い意思を湛えていた二つの瞳、うち一方は白く濁り。
その周辺の顔面は火傷に犯され見る影もなく。
白剣を振るっていた右腕を肩ほどから喪い。
形の良い乳房や無駄な脂肪の無い腹や魅惑的な尻を始めとする皮膚のほぼ全ては、身に纏っていた装備ごと見るも無惨な炭となり。
誰がどう見ても生き残る余地など絶無の状況にありながら、色濃い怨みを吐き捨てる……『三十九番』の名を持つ『勇者』。
わたしを三度殺し、同数『再誕』する度に手酷い反撃を受け、攻め手の要となる右腕と両脚部を壊されついに戦えなくなった哀れな獲物が……わたしという理不尽な存在を前に、ついに心が折れたようだった。
『殺したハズだろう! 首を落とし……胴を両断し……風穴を明けたハズだろう……!! なんで……死なない…………なんで……っ』
彼女の嘆きも無理はない。もしわたしが普通の生命であれば、この戦いは彼女の勝利でとっくに終わっていた筈だった。
今まで彼女が多くの同胞を殺してきたように。雑兵だろうと高位魔族だろうと、容易く討伐してきたように。
だが……残念なことに、わたしは普通の生命では無い。
殺されればその数だけ蘇り、決して『勝ち』を渡しはしない。
『…………わたしは『不死鳥』フェネクス。……わたしには……『死』の概念が存在しない。何度殺されても、何度死を迎えても……同じ数だけ『再誕』を迎える』
『……………………ははっ、…………なんだ、それ』
哀れな『三十九番』は……やっと気付いたようだ。
わたしは死ぬことが無いということに。わたしが負けることは無いということに。
わたしに殺し合いを挑んだ時点で……彼女の『死』が確定していたということに。
『わたし、は……何の……ため、に…………なんで、わた、しは……こんな…………ははっ、……あはっ……なんで…………わたしは…………かてる、はず……なかっ、た……あははっ、かてる、はず……ない、のに…………なんで』
醜く炭化していた膝が折れ、バランスを崩した身体は左の肩から地に倒れ……地面に激突した左肩を起点に『三十九番』の身体がボロボロと崩れていく。
只の生物であれば間違いなく、とっくに生命活動を停止していたであろう。……しかしながら人の道に背いた業によってひたすらに強化された彼女達『勇者』は、この程度で死ぬことはない。
もはや寝返りも打てぬ程に壊れた身体で、光を失った瞳からもぽろぽろと涙を溢し……完全に壊れてしまった彼女は泣きながら笑い続ける。
『あは、はははっ、かて、るわけ、ない、こん、なてき、なんど、なおって、も、ははっ、むり、あははは、やだ、もう、やだ、ははは、あはははっ…………かてな、い、きまっ…………て、っはは、あはははは…………はは……』
狂ったような自嘲は、いつしか尻すぼみに収まっていく。
自らの運命を嘲笑う声は鳴りを潜めるも……壊れた瞳から溢れる涙は止まらない。
決して勝てない存在が、敵として存在している。
哀れな勇者『三十九番』を……彼女を絶望させるには、その事実だけで充分だったのだろう。
『不死鳥』という存在はこんなにも……他の存在にとっての『絶望』なのだろう。
『…………ころして』
もはや何も映していない瞳で中空を眺め、壊れきった身体と壊れきった心の少女はぽつりと呟く。
もうこんな運命は嫌だと。決して殺せない存在に敵対する自分達は、どれ程生き延びても所詮無駄なのだと。
回収され、修繕され、思考を弄られ、再び戦線に投入されるなんて……終わらぬ地獄を味わうなんて。
……そんな運命は、もう嫌だと。
『わたし、を……ころして。……おわ、らせて。おねがい。…………おねがい。……おね、がい………おわらせ、て』
『………………いいでしょう』
勇者『三十九番』を宿命付けられた哀れな少女を構成する何もかもを、蒼白の炎が焼き尽くす。
強靭な合金骨格も堅牢な金属細工も関係無く……彼女を構成していた概念全てを灼き尽くし、灰の一片まで燃やし尽くす。
わたしの『再誕の炎』で焼かれたモノは、わたしの魔力として根こそぎ吸収される。
この世界にはもはや『三十九番』は存在せず……『三十九番』と呼ばれていた少女は、今やその全てがわたしの中に取り込まれている。
『あり…………がと……』
『…………礼を言われる筋合はありません』
全てを諦め手放した、ひどく空虚な声色ながら……それでも満足げに彼女は笑い。
わたしの中に、融けて…………消えた。
その日を境に。
わたしはあの方の下命を、明確に拒絶しはじめた。
反逆など面倒なことをするつもりは無い。あのお方や同胞を手に掛けるつもり無い。
ただ……命令を拒絶する。
人族のみならず、魔族とも距離を取る。
全ての生命を等しく脅かし。
全ての勢力と等しく距離を置き。
全ての存在に……一様に等しく怖れられるために。
わたしという『絶望』を、誰か一人に押し付けないために。
………………………………
あのお方からの命令を無視し始めて、しばらくの月日が流れた。
元・同胞からは考え得る限りの罵倒と憤怒と憎悪を向けられる毎日。中には実際に態度で示す豪気な者も度々見られたが、彼らとてわたしを殺すことなど出来やしない。
たとえそれが、わたしと同じ『神話級』と称される者であろうとも。
指折りの攻撃能力と破壊力を備える、誇り高き四枚翼の猛禽であろうとも。
どれ程破砕の魔法を向けられても、どれ程わたしの身体が砕かれても、わたしの意思を変えられやしない。
存在そのものが反則であるわたしを味方に引き入れることなど……誰一人として赦しやしない。
あのお方は困ったように苦笑いを浮かべながら、終ぞ何も言わなかった。
言うだけ無駄だと思ったのだろうか。あるいは遠い昔に、既に予見していたことだったのだろうか。
しかしながら……あのお方に付き従うその他大勢の魔族達は、そんなやり取りに不快感も露のようだった。
原因であるわたしを糾弾するならまだしも……わたし一人咎められないあのお方に食って掛かる者。あのお方を『反逆者一人咎められぬ軟弱者』と嘲笑う不心得者も出る始末。
あのお方が雑魚どもに舐められるのは……さすがに面白く無い。
わたしは不心得者どもを軽く焼き尽くし、わたし一人のみで『魔族』の根城を離れ……魔族達からも人族どもからも遠く離れ、悠々と生きることに決めた。
空を舞う翼と死を拒絶する身体を持つわたしにとっては、戦線も国境も何一つとして関係無い。
西から東へ、北から南へ、幾年もの月日を放浪に費やす間……ふと気付けば、わたしを中心とする大所帯となっていた。
行く先々へと進路を合わせる彼らにとって、降り掛かる火の粉を払わんと力を振るうわたしは、安全を得るにあたり都合の良い存在なのだろう。
わたしはそれを鬱陶しくも、忌々しくも思わない。たとえ彼らに利用されるだけであろうとも……彼らと行動を共にすることで、わたしは確かに温かさを感じていたのだ。
世界を二分する熾烈な争いを繰り広げるでもなく。相容れぬ間柄の種族を根絶やしにせんと力を振るうわけでもなく。
ただただその日を生き、その場のみを見、目の届く範囲のみを護る。……臆病者のわたしには、このくらいが丁度良い。
魔族にも人族にも与せず、この鳥達のためにわたしは力を振るおう。
それが望まれているのなら……わたしはそれを果たそう。
どちらかではなく、双方の滅亡で戦争が終わろうとも。わたしを産み出したあのお方の存在が消え失せようとも。わたしは嘆き悲しみこそすれ……怨みも怒りもしない。
……あのお方を護ることすら投げ出したわたしには――あのお方が死ぬはず無いと思い込んでいた愚かなわたしは――あのお方の死を嘆く資格なんて在りはしない。
都合よく管理人が消え失せた天空の浮島にて、新たなる同胞達と永劫に平和を享受できればそれで良い。
ただ一点……正直憎からず想っていた同輩、四枚翼の魔族が殺されたと聞いたときは、柄にもなく私欲のために動いたこともあったが……それだけだ。
わたしは……魔族にも、人族にも、この先与するつもりは無い。
……少しだけ、ほんの少しだけ興味深い人族の仔が居たから……見守っているだけ。
人族に与するわけでは無い。
わたしの行動指針は……何一つ変わらない。




