224_少女と魔鳥と和睦の儀式
遮るものの存在しない、それでいて周囲よりも標高が高いパトローネ山の裾野。地底の管制室へ続く昇降機へと繋がる跳上扉の軒下にて、男女の一団が座り込んでいた。
全身を余すところなく砂埃で汚した青年が二人と、同様に土に汚れた長耳の少女、彼ら三人よりは汚れの少ない四本腕の幼女と……そして左のみ裸足を晒している真っ白な幼女。
砂埃と土埃で汚れた前の四人は、心なしか非難がましい視線で五人目の幼女を見詰めている。
空中に飛び上がることで難を逃れた人鳥の少女は、上機嫌にぴよぴよと囀っていた。
一方の幼女はというと、そんな視線を微塵も気にせず……どこか得意げに無い胸を反らせ、まるで『責任重大な仕事を一人きりでやり遂げた』かのような堂々たる表情で、はしたなく胡座をかきながら鋼鉄の床に座り自慢顔を晒している。
「あるたー、あるたー! わたし、ほめて、かった! んひひ」
「ああ……うん。そうだな、良くやったノートただ強いて言えばもう少し周囲を」
「やうす! んへへ……わたし、よくやた、した! んひ……んへへ」
「もう止めとけヴァル。やり遂げた今のお嬢に何言っても無駄だ諦めろ。私は諦めたぞ」
「同意する。今の姉上に何を言っても無駄だ。半日後には忘れていよう」
「んん。わあし、諦める、します」
腰を下ろしたまま上半身を大きく左右に、自らの上機嫌っぷりを余すところなく表現するように大きく揺らし、『んへへ』やら『えひひ』やらと気の抜けた笑い声を上げ続ける少女。
先程から『ほめてほしい』との態度を隠すこと無く、自らの仲間たちへと労いの言葉をせびっていた。
ヴェズルフエルニエの弁護によりとりあえずは免罪とされ……『勇者』一行の安寧を賭けての一騎打ちも、こうしてノートの勝利で幕を下ろした。
フェネクスの『誓い』が本物である以上、(フェネクスの縄張りを意図的に侵犯、ないしはこれ見よがしに同胞を手に掛けない限り)今後彼女によって『勇者』一行が害される恐れは無いだろう。
また……地底の魔力炉および制御室も、これといった破損も劣化も無く無事。溜め込まれていた膨大な滞留魔力は流出先を定められ、少しずつ順調に流れ出していっている。
魔力炉の稼働率と魔力供給量も併せて低下させているため、貯蔵槽の圧力は今後も下がっていくだろう。
当初の予定とは随分と様変わりしてしまったが……兎にも角にもやっと目的は達成できた。これでやっとオーテル郊外の仮設集落、源泉開発拠点へと帰還することが出来る。
功労者である『誰か』のせいで全身砂まみれになってしまったので、早いところ身体と服を洗いたい。これは被害者四名の本心であった。
『……かえっちゃうの?』
ノートの脳裏に突如、幼げで寂しそうな声が届く。
ふと見れば跳上扉の影から顔を覗かせるように、ひたすらに存在感の大きい魔鳥がじっとこちらを伺っている。
夜が明け空が明るさを取り戻したことでより一層目映く煌めく黄金色の羽毛、優美な体躯と長い首と長い嘴を持った魔鳥――『不死鳥』フェネクスの眷属――ベンヌ。
初めて相対したときはその外見から『不死鳥』本人だと思い込んでいたのだが……とうの『不死鳥』フェネクスが呼んでいたことで、初めてこの子自身の名を知ることが出来た。
当初感じていた印象より圧倒的に幼げなその思考は、警戒感をまるで抱かせなかった。
「わ、わわ…………とり。……ぴかぴか、すごい」
『……? ぼく……のこと?』
「ん? どしたお嬢ぅおおおおお!!?」
『わああああああ!!!?』
ノートの視線と呟きに反応し、魔鳥ベンヌを視界に収めたネリーの悲鳴と、その悲鳴に驚いた魔鳥ベンヌの悲鳴。
つい先日は命の遣り取りを行った間柄である魔鳥、それを目の前にすれば致し方無いとはいえ……控えめで幼げな『本来の姿』を知ったノートは無情にも叱責を飛ばす。
「ねりー、おろろかす、だめ。……べんぬ、こっちおいで、ちょうだい」
『…………いい、の? ……おこって、ない?』
「おこてる、ない。へねくす、わたし、なかなおり、ました。おこてる、ない」
『えっと…………じゃあ』
ネリーの悲鳴に驚き引っ込んだ跳上扉の影からおそるおそる頭を出したベンヌは、翼を畳んだままおずおずと脚を動かす。
小動物じみたその挙動に一瞬で心を奪われ、ノートとネリーはその表情をだらしなく緩ませる。
なかば無意識に手を広げ、欲望がだだ漏れるまま抱き留める格好を取ったノートの眼前へ、おっかなびっくり歩を進める。
「べ、べんぬ、べんぬ……だっこ。だっこ」
『……えっ、と…………お、おじゃま、します』
「あふぁ――――――!!」
「いいなァ――――――!!!」
大人しく眼前に佇む魔鳥に抱きつき、心の底から歓喜の声を上げるノートと、そんな彼女の様子を心の奥底から羨むネリーの絶叫が上がる。
なかよしな間柄であるシアを抱っこすることで日頃から鍛えられていたノートの手腕は、痛みや苦痛を与えることのない絶妙なおさわり加減でベンヌの身体を堪能していく。
かつては身に纏う高温で周囲を焼き尽くしていたベンヌの身体は、戦闘のための付与魔法の一切を解除したことで、今や圧倒的な羽毛のボリュームと単純な柔らかさを余すところなく発揮していた。
フレースヴェルグほどの巨体でないとはいえ、胴体部分のみでノートと釣り合うほどの体躯であり……それが余すところなくふわっふわなのだ。
「あ゛あ゛――――……しゅき。とり、しゅき」
『えぇ、っと……? きょうしゅく、です?』
「いいなぁ――――――!!」
「ぴゅっぴ――――――!!」
ベンヌの胸元に顔を埋め、全身全霊で堪能しているノートに注がれる憧憬の視線。
それに気づいたノートは好きな子の願いをかなえるべく、自身にしか出来ないこと……人族達には『魔物』と呼ばれている者との交渉を、自ら進んで執り行なう。
全ては……自らの立場向上のために。
ネリーとシアにいいところを見せて、かわいい彼女らにいいところを見せるために。
「んい……べんぬ、おねがい、あります。……ねりー、しあ。……べんぬ、だっこ……いい?」
『え、えっと……いたく、しないなら……』
「やさしく、ぎゅっぎゅする、いい?」
『…………や、やさしく……してください』
「いいって!!!」
「「ウオオオオオオオ!!!!」」
『わああああああ!!?』
元より羽毛の魅力には抗えないノートとネリー、そして好奇心旺盛で甘えん坊のシア。出会って日の浅い三人に抱きつかれ絡みつかれ、それでも危機感や恐怖を一切感じさせない心穏やかな触れ合いに……これまで他者より抱擁を受けたことなど無かったベンヌは一瞬たじろぐも、どこか満足げに受け容れていた。
同胞たちの傍らに寄り添い、また寄り添われたことこそ数あれど……腕を回し抱きつかれた経験など在るはずもない。身を預け合い密着し、すぐそこに他者の息遣いを感じることの幸福感と安心感は……ベンヌは勿論、あのフェネクスとて恐らく経験は無いことだろう。
翼持つ同胞同士ではどうしても味わえない、他種族との交流による心の安寧。
これまでは主フェネクスの受け売りで『くだらぬモノ』と切り捨てていたその行為、その有用性を身をもって体感したベンヌは、当初こそ慣れない刺激に身を捩り喘いでいたが……しばらく身を任せるうちやがて満更でもなさそうに、甘ったるい鳴き声を溢し始めるに至った。
「……随分と手慣れているのですね」
「「ちょっ…………!!?」
「んえ? ぴ」
「ん? あぁ……エネ」
先程までの空虚さを秘めたどこか不気味な声ではなく……コミュニケーションを取るべき相手に向けられる、意思の疎通のための言葉。
『フェネクス』としてではなく、少女『エネク』の姿と声で――これまで自らが『地を這う者』と侮蔑していた者の姿と声色で――自らを下した相手を対等な立場と認めた上で、会話のために投げかけられた言葉。
しかしながら……どちらかと問うまでもなく混じりっけなしの『友好的』な言葉は、しかし。
その言葉を放った存在『エネク』の姿を視界に収めた者たちは皆一様に言葉を失い……『会話』に繋がることは無かった。
「この子がこうも容易く手篭めにされるとは……正直、あなた達を甘く見ていました」
『あっ、あふ、あふあああ…………ふぇね、くす、さまぁ』
「それほどまでに心地良いと在れば……わたしも興味が湧きます。そこな手すきの雄方、わたしにも試行頂けますか?」
「は……? ちょっ!?」
「……確認する。……其処で姉上…………個体名ノートがベンヌに対し行っているような行為を……フェネクス、今の貴嬢に対し実行せよ……と?」
「ええ、そうです。……それをもって和解といたしましょう」
「おま……!!?」
非常に、非常に簡単な要望である。
ノートとネリーがベンヌに施しているのと同じことを――優しく心地よい抱擁と丁寧で細やかな羽繕いを――手すきの殿方ヴァルターかトーゴに施してほしいという。
身体を密着させ両腕で相手の背中と腰を抱き寄せる抱擁や、顎や頭や項や胸や背や腹や脇腹や太腿や臀部を優しく撫で揉む愛撫を、自分に施してほしいという……簡単な要望である。
……ただし。
施術対象が今のフェネクスということであり。
それはつまり、少女エネクに対して行うということであり。
つまるところ……相手が全裸の無表情系黒髪美乳美尻美少女であるという、その一点に目を瞑りさえすれば…………簡単な要望だったであろう。
「当号は不適格と判断する。我が主と同格である貴嬢フェネクスに対し斯様に不躾な真似は出来ぬ。和睦の為にも此処はやはり『勇者』個体名ヴァルター本人に遣らせるべきであると愚考する(早口)」
「あっ!! お前!!」
「そうですか。ではヴァルター、お願いします」
「嘘だろ!!?」
瞬時の判断で敵前逃亡を決めたトーゴに対し、残念なことに逃げ遅れたヴァルターはエネクに完全に捕捉されてしまったようだ。
すぐ眼前には一糸纏わぬ黒髪の少女が佇み僅かに腕を広げ、以前は何の感情も映し出さなかった黄金色の瞳は今や、何かを期待するかのように輝きを湛えている。
ほんの少し視線を下に落とすと……可愛らしく、美しい二つの膨らみ。ネリーよりもふた回り、シアよりも一回りは豊かな膨らみの先端には、これまた美しく可憐な花が顔を覗かせる。
あの筋金入りであるネリーが『美にゅう』と評する、見惚れるほどに美しい母性の象徴を隠そうともせず、何かを期待するように『じっ……』と見上げてくる不死鳥の化身……少女エネク。
そもそも……今でこそ美にゅう美少女の姿とはいえ、炎纏う怪鳥『不死鳥』フェネクスこそが本来の姿である。
元より人族としての貞操観念や羞恥心の類は持ち合わせていないのだろうし、整った裸身を晒していることに――ふつうの人族にとっては非常に恥ずかしいであろう状況に――微塵も抵抗感を抱いていないのだろう。
加えて……エネクの口にした『和解としましょう』という宣言。
つまりは彼女との和解のためには、彼女の要望を叶える他無いということであり。
ああいうことを自分が彼女に施す必要があるのだと、理解せざるを得なかった。
『ふあああああ…………きもち……きもちい…………ふわああ……』
「べんぬ、かわいい……ふかふか……しゅき」
「ほらほらほら……ココかい? ココがいいのかい?」
「…………ヴァルター、わたしにもあれを」
「…………アレは……ちょっと」
視界の端で(普段は)信頼できる相棒が盛り上がり盛っているのを認識しながら……表情変化の乏しいながらも期待に満ちた貌を見せるエネクの求めに応えぬわけにもいかず。
(これはスキンシップこれはスキンシップこれは和平条件であり極めて健全でありむしろ義務でありやましいところは何もない何もやましくない何も悪くない俺はエネクの要望に応じるだけ俺は悪くない不可抗力これは不可抗力しかたがない不可抗力……)
不本意であろうが『やるしかない』状況に追い込まれたヴァルターは、自己弁護の言葉を必死に並び立て自身に言い聞かせながら…………
人類の平和のため、期待に胸膨らませる美にゅう美少女の裸身へと、震える手を伸ばしたのだった。
「………………………」
「…………どうなってる?」
「いえ、その…………フェネクスめが」
「………………あの不良娘が?」
「『勇者』と………………抱擁を」
「は?」
「奴めの眷族はあの娘に骨抜きに……」
「は?」
「我が眷族より『淫猥極まりない』と苦情が」
「は?」
「蟲魔の女王めに気苦労を慰められたと」
「は?」




