223_少女と魔鳥と魔の王の叡智
叡智(使いこなせるとは言っていない)
掲げた剣の構えを解くこと無く、冷静に標的フェネクスを見定めながら、ノートは左手を剣帯の小物入へと手を伸ばす。
そこに収められたそれに指が触れ、それの内包する魔法式を魔王の権能が感じ取り、ただの仮定でしかなかった切り札が現実味を帯びていく。
正当な術式など解らない。その術式を誰かに習ったことも無ければ、書物を読んだ記憶も無い。そもそも『魔族』の専売特許だったたのだろう、自分達『人族』はその存在自体は知っていても、実際に行使するところを見たことは無い。
人族の『勇者』の中で、その光景を見た者は居たのかもしれない。……居たのかもしれないが、恐らくほぼ間違いなくその直後に死んでいるだろう。
もしくは『勇者』で無かったとしても――例えば指揮官として優秀な思考と頭脳を備えていた壮年の男性軍人であったり、例えば突然変異的に膨大な魔力を備えていた賞金稼ぎの少女であったり、例えば幼いながらも大変見目麗しく女性的な身体を備えた、『生贄』として適した少女であったり――その光景を目にし、それと同時に命を喪った者じたいは……少なからず居たのかもしれない。
その行為の名は――『捕食』。
引き千切り、噛み砕き、咀嚼・嚥下ならびに消化し、自らの身体の内へと取り込んだ『食材』の持つ性質・情報・特技・容姿を我がモノとする……摂取した『食材』の成分構造や遺伝子情報を分析・解析・応用出来る知能を持ったごく一部の有力魔族のみに赦された、自己強化・自己進化のためのいち手段。
記憶や知識などといった存在しない情報を得ることはほぼ不可能だが、たとえば『食材』の会得している技能・魔法を解析し我が物としたり、『食材』の遺伝子情報を解析し容姿を自らの身体へ反映させて他者に化けたり、『捕食』の使い手の知能の高さ次第で様々な応用が効く反面…………その凄惨さから一部では『唾棄すべき技法』であるともいわれる、いわば禁術。
高位の存在とはいえ、一般の魔族は経口摂取でしか取り込めないそれを……魔王の身体を授かった少女は左の指先のみで行う。
その手法や術を身に着けずとも、膨大な魔力に後押しされた『知りたい』『理解したい』『我がモノとしたい』という強力な願いが、細やかな手順の一切を無視し『結果』となって現れる。
いわば『補食』の更に上位、『解析』。
その手で触れたものの『生きた』情報を読み取る、『魔王』種にのみ赦された専用技能。
……尤も、流れ込む膨大な情報量を処理する頭脳が無ければ、十全に使いこなせるとは言い難い代物であるが。
ともあれ、ノートは手で触れたそれの『解析』を『魔王の身体』に刻まれた本能で行う。
開示された膨大な情報――それでも生物そのものの情報よりは格段に少ないのだが――その中から必要と思われるお目当ての情報を、理屈や理論ではなく直感的に捉える。
それの持ち主であった者が……誇り高き『神話級』が一柱が、戦装備として全身に纏っていたもの……炸裂魔法の込められた風切羽、その起爆魔法を強欲に『捕食』・『解析』する。
魔の王の身体を持つ少女の、その切なる願望に応えんと……魔王の身体は着々と準備を整えていく。
細かな術式など解らない、理論を理解しているわけじゃ無い。ただ単純に願った事象のみを引き起こす、魔王の身体あっての強引な魔法構築――『魔法』を学問と捉える者達の怒りを買いそうな理不尽な手法だが――だがしかしそれでも、行使を咎める者も叱り導く者も居やしない。
フレースヴェルグの風切羽を素材として会得した、大気を炸裂させるだけの簡易魔法。彼は全身に纏う羽毛の全てこれを仕込み任意のタイミングで起爆することで、攻撃や防御のみならず姿勢制御をも行っていた。
……それを、模倣する。
「んひひ。おぼ、えま!」
『…………?』
フレースヴェルグの風切羽に込められた能力を奪い、我が物とする。
自身の身体の表層にて圧縮大気を炸裂させ、その出力の大小および作用ベクトルを調整することで姿勢制御を行う。
たとえ地に足を着けていなくとも、たとえ空中に在ろうとも、体表面にて風爆を生み出し、その反作用で任意の方向に加減速を行う。
「るふと・ふぁお! いける、します!」
『……見せてごらんなさい』
「んい! やうす!」
基本装備である身体全強化のすぐ外側に、いつでも起爆出来るようまだ魔法では無い魔力を漂わせる。
先程の一撃と同様、瞬間強化を並列展開。速度に強力な補正を掛けられた小柄な身体が、足元の砂礫を弾き飛ばし跳躍する。
魔力制御の精度はてんで甘く、せっかく漂わせている魔力の全てをすぐそこに留めることは出来ないようだが……問題無い。大気に霧散してしまったなら新たに生み出せばいい。多少垂れ流した程度で枯渇するほど、魔王の身体の諸能力は低くない。
三度目となる跳躍に反応し、迎撃のため動き始める標的フェネクス、その姿を両の眼でしっかりと捉え……起爆する。
『ッ!?』
「んいにゃ!!」
剥き出しの左足裏、表層硬化によって守られるそのすぐ外側にて、大気が急激に膨張する。
魔法によって発生した小爆発は足裏の防御魔法と激しく干渉し、金属が軋むような音を立てながら盛大に反発し合う。
右手に剣を握った小さな身体が、空中にて急激に加速する。
「んぎ……っ!?」
『く……よくも』
一方のフェネクスも、こちらは炎熱の小爆発を生じさせて襲撃者の勢いを殺す。しかしながら予想外の急加速を見せた敵の動きに一瞬遅れ、右の翼にかすり傷よりかは深い刃傷を負う。
しかしこの程度であれば自己修復は可能。目の前で小爆発をまともに食らい、跳躍の勢いを殺がれ無防備を晒す白い少女を引き裂かんと、鋭利な嘴が大きく口を開け……
『グ……ッ!?』
足場のない空中で大きく身を捻り、左踵のすぐ外側にて生じさせた小爆発を推進力とする回し蹴りが、フェネクスの頭部に直撃する。
頭部への衝撃に一瞬硬直するフェネクスを尻目に、くるくる回りながらも体制を整える。左掌と左足裏の二箇所にてルフト・ファオを展開し、大気の炸裂を踏み台に真上に跳躍。硬直から回復したフェネクスの視界に彼女の姿は既に無く、これまでの経験からフェネクスは当然のように眼下を探る。
『居ない……? ばかな!』
しかしながら見下ろす地表、遮蔽物や障害物の見当たらぬ荒涼とした山肌に、真白い幼子の姿は無い。
気絶していた時間はほんの数瞬であった筈、そこまで遠くに逃げ遂せているとは思えない。一騎打ちの行く末を見守っているヴァルター達の背後にも、黄昏の眷属たる青年の背後にも、自らの眷属ベンヌの影にも……小柄な真白が隠れ潜んでいる様子はない。
そのことに焦燥を感じるフェネクスは平静を欠き、標的が居る筈の地表を血眼になって走査する。
当然であろう。完全に跳躍の勢いを殺された『地を這う者』が行き着く先など、汚れた地表以外に有り得ない。
慣性を打ち消され落ちる一方であった『地を這う者』が、まさか更に上空へと跳躍していようなど……こと空中での戦いにおいて『翼持つ者』の優位を信じて疑わぬフェネクスに、そんな非常識な考えが及ぶ筈が無い。
だからこそ生じた、完全なる隙。
地表をくまなく探るために水平になった身体と、揚力を稼ぐために大きく広げられた翼と……真っ直ぐ伸ばされた首。
左足裏の大気を蹴り飛ばして鉛直落下方向への推進力を稼ぎ。
左腕で大気を引っ叩いて角度と進路を調整し。
地を這う人族の姿ながら空中での姿勢制御を行ってのけた真っ白い影が、空を裂く音さえも置き去りに。
宙に舞う『不死鳥』フェネクスの首を――生命体共通の絶対的な弱点を――白の一閃のもとに斬り飛ばし。
「「「ぎゃあああああああ!!?」」」
「んんんんんんんん」
『わあああああああ!!!?』
そのままの勢いで地表に突き刺さり、山肌を観覧者もろとも盛大に吹き飛ばした。
「む…………?」
「おっ、戦況に変化有ったか? 早く教えろ俺に教えろ早く」
「…………埋まり、ました」
「は?」
「埋まりました。彼女も。我が眷族も」
「は?」
「彼女は……頭から地に突き刺さった模様」
「は?」




